　会が始まってから数年間は、どこかの組の集会と間違えそうなほど、どいつもこいつも、おっと失礼、どなた様もパンチパーマがお好きだったようで、われ等の東谷落語研究会はまるでパンチ頭の集団でありました。広原さんなんぞは特に薄黒い色の入ったメガネを着用いたしておりましたから、それはそれは迫力あるお兄ぃさんのようでありました。

　しかしある時からそんなど迫力のお兄ぃさんの頭に、あらっ！清らかな天使の輪っかが・・と思えるような毛配、否、気配が見え始めると、次第に髪が寂しくなり出して、頭頂部がうっすら涼やかになって参りました。そのうち、あれよあれよと言う間に、オゾン層が破壊されたかのように小さな穴が開き始め、環境対策の手遅れからかとうとう長い友である髪に、別れを告げる日が来たのでありました。

　広原さんの潔さと言ったらそれはもう、男らしい！の一言に尽きるものでありました。残り少ない横の毛を右から左へと、大横断させて貼り付けるという悪あがきなどはせず、バッサと刈ってツルッとさっぱりさせたのでありました。初めのうちはまだ剃り跡が黒かったり（刈ったり）、青かったり（刈ったり）・・と、えっ、くどい駄洒落ですか、これは失毛い（失敬）致しました・・そうこうしているうちに、次第にツルツル、ピカピカとなり出して、時にはほんと、眩しくて大変なんスからもう、後光が射しているようであります。

ですからあの広原さんと面と向き合うと、何だかこう妙にありがた～い気持ちになって、思わず私のぶっとく皺だらけの、お手手とお手手を合わせて「なぁむぅ～」と、言ってしまいそうになるのでございます。鬼頭さんの創作落語に出て来る、クリーニング屋の爺さんが変装したお坊さんの唱える「かいきゅうけんご～ら～くぅ・・」の、あのありがたいお経が聞こえて来るような気が致します。

　いよいよその坊主、いや広原さんの出番であります。彼豊楽さんは師匠の持ちネタである「子別れ」という人情話に、大変惚れ込んでしまいまして、とうとう自分のネタにすることになりました。その「子別れ」という話は、遊び人だった元亭主が二人の間をとりもってくれた子供のお蔭で、別れた女房とよりを戻すという、涙の物語でい～い話なのでありましたが・・

　豊楽さんったらこの話を練習中に、気持ちが入り込んで自分が泣いてしまった、という鬼の目にも涙の物語を、観客にぜひ聞いてもらいたいと思いました。そして自分と同じように、何人の人を泣かせることが出来るでしょうかと、とても意気込んで迎えたこの日でありました。

　初めて高座にかけるのでまだ少々不安もあったらしく、一番前の横の席で出囃子の担当をしている私に、途中で危なそうになったら助けて欲しいと、台本を渡してきたのでありました。

　軽く受け止めた私がいけなかったのでしょうか。それともこんなに早いうちに、話につっかえてしまった豊楽兄さんがいけなかったのでしょうか。あぁ何ということか、まだ「まくら」（本題に入る前に話す部分）のところだったんですよ、その時歴史は動いた！いや、ちっとも動かなかったのですから、これはもう大変です。

「・・ってぇと、なにかい？・・ってぇと。　それからどしたい。」

「それからってぇと・・で、どうなんだい、次の言葉は何なんだい、ちどり姉さん・・して、ちどり姉さん・・」

　広原さんが一席やり終えて舞台を降りる時に流す、下座のテープの頭出しの確認をしていた私の耳に、ちどりちどりと呼ぶ声が。ああ！悲痛な叫びだったんですねぇ、ムンクのあの絵を思わせるような。まさかこんなに早くもう詰るなんて、古くなり過ぎた水洗便所のようじゃござんせんか。しかしつまるところ、こんな大噺をどこかで試すことなく、いきなりこのような晴れ舞台にかけるという考えの軽さは、あっさり水には流せませんようで。

　するってぇとやはり、これは明らかにアッシのせいでござんすねぇ。アッシはまだまだあっし、いえ安心しておりやしたんですよ、ハイ。

　しどろもどろになっている豊楽さんの声に、はっと気がついたけれど、時すでに遅しでありましてね。彼は深々とおじぎをして、高座を後にするところでありました。賑やかに下座をならしてやるのには大変に気がひけまして、何だか申し訳ないやら気の毒やらで仕方ありませんでした。

　そこで、やはりでしゃばりな私のことでありますからとっさの判断で、ざわざわしている観客に呼びかけたのであります。

「あの～ぉ、みなさ～ん、聞いて下さいなぁ～・・」

　私の必死に呼びかける声に、観客は何事かと思ったことでありましょう。

「実は豊楽さんはですね、この話が大変気に入りましてね。あのぉ、これって人情噺ですごぉくいいお話なんですよ実はぁ・・」

「本人も一生懸命に練習して話のあまりの切なさに、自分自身が何度も泣かされたんだそうですよ。それでもってね、今日はぜひ皆さまを泣かせたいものだともくろんでいたのに、反対に本人が泣いてしまった、というオチになっちゃいましたが、次回こそは素晴らしいものを聞いて頂きますので、その時には是非よろしくお願いします・・」

　今にして思えば、これってフォローになんかなってませんでしたね。やっぱりでしゃばりな私の考えは浅はかで、人情噺を聞かずとも涙が出てきちゃいます、ほんと。