第18話 仲間ではなく

 綾香は七志を盗み見た。

 どこを見るでもなく視線を向けているものの、藤田に注意を払っている。


「さぁさぁ、ふたりとも、わしの話を聞いてくれ」


 藤田がタイミングを見計らい、場を仕切るように口を挟んだ。

 男はそっぽを向いているが、特に反論もなく黙っている。


「この世界が奇妙であることは気づいていると思う。

 長くここにいるわしですらそう感じる。

 そこでだ、知っている情報を提供しあわないか?」


 藤田の意見に綾香はすぐさま同意した。

 だが、男は首を縦に振らない。


「目的はなんだ?」


 男は疑うような目で藤田を見ている。


「情報共有だ」

「答えになっていない。なんのための情報共有だ?」


 男の目が鋭くなった。

 藤田と男のあいだに不穏な空気が流れている。

 その場にいる綾香は気まずい思いがした。

 だが、藤田は全く意に介していない。


「目的なんてどうでもいいでしょう。

 この世界にいる数少ない者同士助けわないと、ね」


 この場の雰囲気をぶち壊したくて綾香は割って入った。


「綾香ちゃんの言うとおりだ。助けあいは重要。

 じゃあ、綾香ちゃんから話してくれるかな」


 藤田がにこやかに話を進める。


「わたし? なにを話せばいいのか……」

「この世界にやってきてからのことを話してくれればいい」


 悩む綾香を藤田がフォローした。


「会社の屋上にいたはずなのに、気づいたらここに来ていて……。

 それから、そうだ、女性がなにかに追いかけられているのを目撃したんです」

「土蛇だな」


 藤田の呟きと同時に男が反応を示した。


「ええ。土蛇が女性を追っかけたあと、飲みこんだんです。

 それからしばらくして土蛇が崩れて……」

「飲みこまれた女性は消滅した」


 綾香が言いたいことを藤田が代弁した。


「その通りです。

 わたしが目撃したのはこれくらい。お役に立てなくてすみません」

「どうして謝るんだい。十分だよ。

 じゃあ、次はきみの番だ」


 藤田が男に視線を送った。

 男は腕を組み、藤田を睨みつけるように見ているだけで口を開こうとしない。

 またしても不穏な空気が流れる。


「言いたくないなら質問をしよう。

 イエスかノーで答えてくれればいい。

 それくらいは協力してくれ」


 藤田の申し出に対し、男はなにも言わない。


「返事がないのは肯定と取るけどいいかい?」


 にやりと笑う藤田に対し、男は睨むばかり口を閉ざしている。


「イエス、だな。じゃあ、質問をする。

 きみは最近、この世界にやってきた?」


 男は藤田への視線はそのまま、なにも答えない。


「イエスと判断するぞ。

 次、きみは土蛇がひとを襲ったのを目撃したかい?」


 男の口元が少しも動かない。


「イエス、か。

 土蛇の崩壊、それにひとが消滅するのも見たんだな?」


 男は無言を貫く。


「イエス、なるほどな。

 じゃあ、ここからが本番だ。

 この世界では自殺できない」


 藤田が男の顔を覗きこむようにしている。

 男は視線を少しも揺らさず微動だにしない。


「他殺……ひとを殺すこともできない。違うかい?」


 藤田の視線が男の顔から動かない。

 男もまた藤田の視線を浴びつづけながら、否定も肯定もしない態度をがんとして続ける。


「よくわかった。助かったよ、初めて知る情報だ。

 どうやらこの世界では人為的な死は存在しないようだな」

「じゃあ、死ぬには消滅しか方法はないってこと?」


 綾香は疑問を投げた。


「いや、それはどうだろう。

 消滅と死がイコールかどうかはわからんからな」

「あっ、そっか。たしか前にその話をしましたね。

 情報がない以上、消滅が死ぬと同じとは言えないって」


 綾香がため息をつく。


「きみからの質問に答えよう。情報共有の目的についてだ。

 その代わりに次こそはイエスかノーで返答してもらいたい。

 そうでないと、無理強いしたみたいで気分が悪いからな」

「……わかった」


 男が珍しく返答した。


「この世界からの脱出のためだと言ったら協力してくれるかい?」


 藤田が男に向かって手を差しだした。

 その手を男が鋭い目つきで見つめている。


「一緒に行こう。

 そうすれば情報共有できるし、助けあえる」


 なかなか答えを出さない男に対し、藤田は後押しするように協力関係の利点を提示した。

 それでも男は答えを出さない。


 藤田の思いとは裏腹に綾香は男との協力関係に反対だった。

 明らかに怪しく、危険な人物と手を取りあうのは無謀だ。

 危害を加えられないまでも利用されるのは目に見えている。


「反対!」


 綾香が即答した。


「同感だ」


 男が反応を示す。


「どうして?」


 不服だと言わんばかりに藤田がつぶやく。


「だって、こんなひとと一緒にいるなんて……」


 言いながら綾香は一歩後退し、男との距離を取った。


「正論だ、あんたは正しい。

 俺のような危険人物と一緒にいて利益などないだろう」

「危険かもしれんが、新たな情報を得る機会が得られる。

 これがわしにとっての利点。

 きみにとっての利益は情報、それとこの世界からの脱出協力」

「別に脱出したいとは思っていない」


 男が即座に反応した。


「いや、きみは脱出しようとしているはずだ」

「どうしてそう考える?」


 男の視線が藤田に向けられた。


「これまでこの世界にやってきた者は例外なく脱出しようとしたからだ」

「俺が初めての例外かもしれないだろう」

「いや、きみも他の者と同じだ。

 その証拠にこうして情報を得ようとわしと会話しておる。

 目的はひとつ、だろう?」


 藤田の言葉に男はふっと口元を緩めた。

 気を許したと言うより、自嘲じちょうしているかのようだ。


 再度、藤田が男に手を差しだす。

 それを男はじっと見つめ、大きく息を吐いたあと手を差しむける。

 握手の寸前で払いのけるように手を打ち放った。


「仲間にはならない、協力するだけだ」


 男が藤田に背を向けた。


「えっ? どういうことですか?」


 訳がわからずあたふたする綾香に藤田が苦笑いを浮かべた。


「言葉の通り協力はしてくれるようだ」

「どういう流れでそうなったのかさっぱりわからない」

「それはだな……」

「説明するな。

 俺がここから脱出したいと思っているから協力する、それだけだ」


 男が苛立ち混じりに答える。


「そう、なの?」

「そういうことだ。じゃあ、話は決まり。

 名前を教えてくれ。わしは藤田、彼女は綾香ちゃん」

「……七志」


 七志がつぶやく。


「ななし? 変わってるわね。それって苗字? 名前?」 


 藤田の背後に隠れながら綾香は質問をぶつけた。


「どっちでもない」


 七志がそっけなく答える。


「どういうこと?」


 好奇心に火がつき、なおも質問をした。

 藤田はあまり興味がないのか、周辺を警戒するように見渡している。


「名前がないから『名無しの権兵衛』、そこからつけれらた」

「名前がないなんてことありえないでしょう。

 戸籍があるんだから名前……」

「戸籍はない。

 だから、名無しの権兵衛」


 吐き捨てるように言い、七志は綾香に背を向けて歩きだした。


 戸籍がないひとなんているの?


 七志に対する疑問が、溢れんばかりにある恐怖心を包みこんだ。

 いまは怖いというより、どうしてという好奇心が勝っている。


 知る必要はない、知ってはいけない。

 好奇心を押さえつけていく。


 七志は間違いなく危険人物。

 近づいてはいけない。

 好奇心より恐怖心を持つべきだ。


 そう自分に言い聞かせ、芽生えた感情を殺していく。

 知りたいと思ってはいけない。


 でも……。


 綾香は激しく首を振り、頭を真正面に向けた。

 視線の先に七志がいる。


 あのひとは危険だ。

 関わってはいけない、信じてはいけない。


 綾香はこの思いを胸に刻み、歩いていく藤田に駆けよった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る