第9話 桐谷からの最後の依頼
桐谷から連絡があってから早一週間。
仕事を断ってどうなるかと戦々恐々としていたが、いまのところなにもない。
殺されることもなく、連絡も一切なく、普段通りの生活を送っている。
朝起きてコンビニに行き、あんぱんと牛乳を買う。
それを持って公園に向かい、ベンチに座る。
袋を開けて食べようとすると、決まって老人と犬と出会う。
毎度毎度、知人でもなんでもないのに気さくに話しかけてくる老人、あんぱんをねだってくる犬。
どちらも驚くほど馴れ馴れしい。
最初の頃は無視していたが、老人と犬はめげることなく絡んでくる。
そうしているうちに、面倒になって適当に相手をするようになった。
老人の話に
目的を達成するまで媚び、突き刺すような視線を送ってくる犬には、あんぱんを半分にちぎって与えた。
「兄ちゃん、今日も一日一善だな」
老人の言葉に七志は首を傾げた。
「一日一善って?」
「なんだ、そんなことも知らんのか。
最近の若者はだめだなぁ。
いいか、一日一善っていうのはだな、一日にひとつ良い行いを続けろって意味だ」
老人が胸を張って答える。
「良い行いなんてしていない」
「犬にあんぱんを分けてやっただろう」
犬がくるっと巻いた尻尾を激しく振っている。
「そんなこと、別に良い行いでもなんでもない」
「兄ちゃんはそうでも犬にとっては違うぞ。
なにせ命を守ったんだからな」
予想外の答えに七志は目を見開いた。
これまで多くの命を奪ってきたが、守った経験は一度もない。
ターゲットの命を守ることは、依頼主を裏切る行為だ。
そうなると、裏切り者として命を狙われる。
だから、決してターゲットが誰であっても守らない。
「違う、犬っころを守ったりしていない」
七志は強く否定した。
殺し屋は命を奪うもの。
犬っころを黙らせるためにあんぱんをあげただけ。
他意はない。
絶対に!
七志はその場を去った。
仕事の依頼を断るという初めての体験をしてから二週間後——。
桐谷から電話がかかってきた。
『いますぐアジトに来い』
拒否は許さないという感情を含んだ強い口調で言われた。
明らかにいつもと違う。
依頼の話をしようという雰囲気をまるで感じなかった。
なんの用だ?
しばらく考えるが、答えが見つからない。
わからないなら、これ以上の詮索は無意味。
行けばわかる。
仕事を拒否したのを理由に殺すと言われたら素直に受けいれよう。
覚悟を決め、アジトに向かった。
意志を貫いたために命を狙われるなら仕方がない。
自分のしたことの始末をつける。
だが、簡単に殺されはしない。
ジャケットに忍ばせたナイフ、ジーンズの腰に差した拳銃を確認し、アジトのドアを開けた。
六畳ほどの小さな部屋の中央にソファーセットがある。
そこに桐谷が座っていた。
「よう、七志。元気にしていたか?」
桐谷が唇の端を少し上げて微笑んだ。
相変わらず腹の内が読めない笑顔を浮かべている。
「まぁな」
七志は桐谷の向かいのソファーに腰を下ろした。
「おまえ、今年で二十歳だったよな」
「さぁ、どうだろうな。
でも、あんたがそういうなら間違いないと思う」
七志はそっぽを向いた。
「殺し屋、辞めたいのか?」
唐突に問われ、七志は用心しながら桐谷を見た。
仕事の話をするときの事務的な表情をしていない。
世間話をするように穏やかだ。
怒って当然のことをやらかした自覚があるだけに、桐谷の予想外の態度に戸惑いを感じた。
なにかあるな。
理論的にそう思うのではない。
直感だ。
これまで生きのびるために磨いてきた危機管理能力が反応する。
「そうだと言ったら?」
探りを入れる。
桐谷の表情は変わらない。
「……わかった」
「えっ?」
予想外の返答に七志は動揺した。
想定していない事態が起き、次にどうすべきか、なにに注意するかなどの思考が途切れる。
「おまえは養った以上に稼いでくれたから、ここらで解放してしてやる。
でも、覚悟しろよ。
殺しの能力しかない奴がこの世界から足を洗ったところで、明るい未来なんて来やしないからな」
「そんなものは求めていない。
殺さない生き方をしたいだけだ」
「まぁ、いい。おまえの人生だ、好きにすればいいさ。
ただし、条件がある」
桐谷は胸ポケットから一枚の写真を取りだし、テーブルに置いた。
「なんだ?」
「最後の依頼だ。
写真の男を三日以内に殺せ。
成功したら二度とおまえに連絡をしない、縁を切ってやる」
桐谷の話を聞きながら写真を手に取った。
貧相な老人が写っている。
あっ、こいつは……。
「ターゲットはいまでこそホームレスだが、十年前までは殺し屋だった野郎だ。
舐めてかかると逆に殺されるぞ」
伸び放題の髪と髭、薄汚れた皮膚に人懐っこそうな目を見て、すぐにターゲットが誰か気づいた。
あいつだ!
毎朝公園で会うあの老人だと……。
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