第7話 生きるために殺す

 こいつを今日中に殺せ——。


 七志ななしの脳内で桐谷の言葉がこだましている。

 そのなか、ターゲットとなる写真に映る人物を凝視ぎょうしした。


 ついにそのときが来たか……。


 七志は唇を噛んだ。


 物心つく前から、あらゆる武器の使い方と殺人術を学んだ。

 この頃から説明されなくても、桐谷が何者なのか察しがついた。

 殺し屋であり、殺し屋を束ねる元締めであると。

 加えて、捨て子を拾って育てた理由もわかった。


 嫌悪感はない。


 桐谷がどんな人物であっても、育ててもらった恩がある。

 それに、殺しに罪悪感を感じない。


 人間は日々、牛や豚、鶏などの生き物を殺して食べている。


 なぜなのか? 


 それは生きるため。

 それならば、桐谷が人殺しするのも同じ。

 生きるために殺す。

 命にひとも動物もない、同じだ。


 頭では理解している。

 生きるために殺すのは自然界では当たり前。

 だが、実際に殺せと命じられたターゲットを捕獲し、いざ命を奪うというとき手が震えた。


「よく聞け。拳銃はだめだ、ナイフで刺し殺せ」


 桐谷に口答えは許さないと言わんばかりに七志をにらんだ。


 拳銃なら簡単に殺せるのに。


 思わずジーンズの腰部分に差した拳銃に手が向かった。


 拳銃はだめだ、ナイフで刺し殺せ——。


 桐谷の言葉を思いだすと同時に、殺し方を指定した理由に気づいた。


 俺を試している。


 引き金を引くのは簡単だが、刺すのはじかに命を奪う感覚を味わう。

 それができるか否か。

 

 もし恐怖におののき拳銃を使ったり、逃げたりしたら終わり。

 殺し屋としてやっていけないと判断される。

 そうなるとどうなるか……。


 殺される——。


 殺しができない奴に利用価値はない、そう判断されて殺されるだろう。

 生き残りたいなら殺すしかない。

 誰かの命を奪うことで自らの生命を守れる。

 これは自然界の摂理せつり


 生きるために殺す!


 七志はターゲットの首をナイフで切った。

 続けざまに心臓を何度も刺す。

 最初はなんともいえない感触に寒気がしたが、刺すたびにおさまっていく。


 ターゲットが完全に息絶えた頃にはなんの感情もわかなかった。

 罪悪感も自己嫌悪感も……。

 生きるために殺すのだと呪文のように唱えつづけ、心を安定させていく。


 一度殺しを成功させると、桐谷は次から次へと依頼を持ってきた。

 断ることはできない。

 生きるために殺すだけ。


 だが、次第に思うようになった。

 殺す者はいずれ殺されるのだと——。


 子供の頃に周りにいた桐谷の仲間たちがひとり、またひとりと姿を消していく。

 新たな仲間が増えていくから気にならなかったが、顔ぶれは変化していた。


 なぜ消えたのかは察しがつく。

 ごくわずかだが桐谷の逆鱗げきりんの触れて消された者もいるが、ほとんどが殺されてこの世を去った。

 裏社会で殺し屋として名が売れるとターゲットになってしまう。

 一旗あげたい新人殺し屋に狙われたり、報復されたりと理由は様々ある。


 俺もいずれ殺されるだろう。


 最初はその日が来ることに恐怖を感じていた。

 だが、次第に気持ちは薄れ、最近ではむしろ早く殺してくれと思うようになった。


 死にたいからではない、もう殺すのに嫌気がさしてきたからだ。

 殺す相手への申し訳なさといった道徳的な理由ではない。

 人目を忍び、存在しない人間として生きるのに疲れたからだ。


 生きるために殺す——。


 逆に考えると、殺さないならば生きられないということ。

 だったら、生きることを放棄する。

 誰かのターゲットになったなら、正々堂々と勝負して死ぬ。

 桐谷の逆鱗に触れたなら、潔く殺される。


 心を決めると世界の景色が違って見えるようになった。

 普通の人々は、生きるために苦痛に顔を歪ませながら仕事をしている。

 その姿はあまりにも自分とかけ離れていて衝撃だった。


 そんなに我慢してまでも生きていたいのか? 

 辛ければ放棄すればいい。

 なぜなんだ?


 難題を解きたくなり、七志は公園のベンチに座った。

 ここへ来る途中にコンビニで買った牛乳パックにストローを差し、あんぱんを頬張ほおばる。


 奴らは苦しむために生きているのか?


 首をひねった。


 俺はなぜ生きている? 

 他人を殺してまで生きたいのか?


 ため息をつく。


 捨てられた命に生きる意味などあるのか?


 表現しづらい感情に心が支配されていく。

 それを追い払うかのようにあんぱんを咀嚼していると、強烈な視線を感じた。


「くぅん」


 いつの間にか足元にあんぱんと同じような色をした小さな柴犬がいた。

 なにか言いたげに見あげる視線が突き刺さって痛い。


「なんだ、犬っころ」


 何気なく声をかけると、犬は返事をするようにくぅんと鳴いた。


「なに言ってるかわかんねぇよ」


 犬は無言のまま、あんぱんを見ている。

 七志はあんぱんを隠した。

 これは好物であり、朝飯だ。

 犬に与えてしまったら、次の食事まで空腹に耐えなければならなくなる。

 犬のために自らを犠牲にする気はない。


「くぅん、くぅん」


 なおも犬はあきらめずに視線を送ってくる。

 食べなければ死ぬ、本能的にわかっているのだろう。

 その必死な姿が幼少期の自身と重なって見えた。


 犬っころ、おまえも生きるために大変なんだな。


 あんぱんと犬を交互に見ながら考えていると、スマートフォンが鳴った。

 桐谷を示すアイコンがディスプレイに出たのを確認し、ため息をつく。

 桐谷が連絡をよこすのは決まって仕事関連の話があるときだ。


 無視したい。


 いつも思う。

 通話ボタンを押せば誰かをこの世から消すことになる。


 断ろうか。


 最近よく考える。

 その結果どうなるかは火を見るより明らかだ。


 消される——。

 つまり死だ。

 生きるために殺すしかないのか……。


 ルーチンワークのように思考したあと、通話ボタンを押した。


「仕事だ。今日中に資料を取りにこい」


 桐谷が決まり文句を言った。

 この連絡を受けると、いつも早々にアジトへ向かう。

 そこでターゲットの写真と居所などの情報が得られる。

 デジタル時代になってもアナログを利用するのは証拠を残さないため。

 メールは足がつくうえ、データの完全消去が難しい。

 その点、紙は完璧だ。

 火をつければ短時間で燃え、確実に存在を消せる。

 

 断る——。


 ふと桐谷への返答が頭に浮かんだ。


 ずっと言いたかったが、いまだに言えない。

 決して言ってはいけないセリフ。

 

 その言葉を伝えれば、今後どうなるか簡単に想像できる。

 頭で理解しているはずなのに、なぜか消えない。

 それどころかどんどんと膨らんでいき……。

 

「……断る」


 七志の口から禁断の一言が発せられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る