第30話 終わりに
幸村は夢から覚めると、天井を見上げた。
「起きたか」
大人の男の人の声に、安堵と憤りを感じる。
「どれくらい寝てましたか?」
「まあ……一週間くらい」
男の人の声はそう言った。
「取り敢えずお粥作ったから、ゆっくり食べて休め」
「幸村兄ちゃん起きた?」
幼い子供の声がして幸村はゆっくり身体を起こした。黒のランドセルを背負った子供が、心配そうにこっちを見ている。
「兄ちゃん、起きたならあーそーぼ」
幸村は少し複雑な顔をした。血の繋がらない、弟とさして年齢の変わらない子供にどうしようもなく嫉妬してしまう。
「兄ちゃんはちょっと体調が悪いから、父さんと遊ぼうか」
「え〜……」
子供が不貞腐れると、男は部屋を覗いた。幸村はそんな男から咄嗟に顔を背ける。あの何もかも見透かした様な目が嫌だった。
「幸村、もう戻って来ないのかと思った。ここが嫌なら何処へ行っても良いと思う。けど、困った時には何でも言ってほしい。血は繋がってなくても、家族だろう?」
男の声に幸村は複雑な気持ちだった。
男が子供を連れて行ってしまうと、幸村は布団に横になった。
解っている。向こうも今まで居なかった大きな子供を引き取って、どう接したら良いのか分からないのも解る。それが分かるだけに、優しくされることが辛い。どうせなら『お前なんか要らない』と悪態ついて追い出してくれれば良かったのにと何度も思った。
けれども不意に渚の顔が思い浮かんで涙が流れた。
「……惚れちゃったな」
もっと、彼女の髪に触れていたかった。もっと彼女の顔を見ていたかった。もっと彼女の話を聞いていたかった。永遠に彼女の傍に居る事も出来たのに、それは永遠に高校生のまま、時間の檻に閉じ込められることを意味していた。
廊下を走る音がして、部屋のドアが開いた。髪の長い女の人が、息を切らせている。ハイネックのニットに、コーディロイの長いスカートを履いていた。幸村が驚いて起き上がると、女の人は幸村を抱きしめた。
「良かった。本当に良かった!」
小刻みに女の人の身体は震えていた。何だか気恥ずかしくて頬が赤くなる。
「お……かあ……さん、苦しいです」
幸村がそう言うと、女の人は涙を流していた。幸村の顔を両手で包むと、おでこをくっつける。
「無理にお母さんって呼ばなくていいの……もう……この子は……心配させて……」
女の人の言葉が、くすぐったかった。
「ごめんなさい」
幸村が申し訳無さそうに言うと、女の人は涙を拭いた。
「幸村くん、私じゃお母さんの代わりになれないのは解ってる。だから無理にお母さんって呼ばなくてもいいの。でも、一言相談して。何も言わずにどっか行っちゃったと思ったら、帰ったら直ぐ眠り続けちゃうし、もう……」
女の人の話を幸村は何度も頷いて聞いた。子供を肩車した男の人が、部屋を覗く。
「お母さん、そのくらいにしてやって。本人も解ってるから」
男の人がそう言うと、女の人は優しく幸村の頭を撫でた。
「何かあったら絶対に相談……」
「わかってますよ」
幸村がそう言うと、女の人は部屋を出た。羨ましく思うくらい仲の良い家族だった。あの輪の中に入るのはまだ少し気が引けるけれども、渚がこの世界の何処かで生きていてくれるなら、もう少し生きようかと思った。
幸村は渚に手紙を書こうかと思った。夢の中で電話番号とメールアドレスは交換したが、現実世界に戻ったら当然、アドレスは消えていた。家の場所は覚えているし……何だか少し不思議な気分だった。お母さんにお願いして便箋を貰った。
「私も学生の頃、お父さんと文通してたの」
と聞いて、まだ若いのに……と思った。お母さんが少し頬を赤くして嬉しそうに話していた。
「手紙はね、先ず時候の挨拶でしょ……」
「お母さん、挫折するからやめてあげなさい」
お父さんが慌ててお母さんを制した。どうやら若い頃に何かあったらしい。幸村は部屋に戻るとシャーペンを取った。
何から書いたら良いだろうか? 先ずはやっぱり、謝るべきだろう。直接会って謝りたいけど……怒るだろうなぁ……そういえば結局、僕は一度も殴られなかったな。頬は叩かれたけど……そんなに痛く無かったなぁ……渚さんが作ってくれた服……無くなっちゃったなぁ……またイカ飯Tシャツとか着てたら怒るかな?
そんなことを思い出していると、いつの間にか子供が机にしがみついて幸村の顔を見上げていた。幸村はそれに気付いて目を丸くする。白いセーターが温かそうだった。
「お母さ〜ん! 兄ちゃんがラブレター書いてる〜!」
「違います!」
幸村が顔を赤くして言うと、子供が笑った。この子供、結構感が鋭いというか、人の心が読めているんじゃないかと思うことがあった。
かくいうお父さんも、ちょっと不思議な雰囲気の人だった。お父さんも、子供の頃に家族と離れて暮らしていて苦労したらしい。
「渚さん、帰って来てるよ」
お父さんにそう言われた時、渚さんの話をしただろうかと幸村は少し首を傾げた。書いた手紙を持っていこうと丁度玄関に居る時に言われた。茶色のコートを着ていたので、お父さんが経営している園の方へ行っていたのだと思う。
「もうすぐ雪が降るから、傘を持って行きなさい」
そう言って傘を持たせてくれた。
「お父さんって……」
そう言いかけてその先が聞けなかった。偶に、お父さんの瞳が碧く光って見える事があった。
「お前の幸せを祈ってる」
お父さんが微笑んでそう言った。幸村は少し照れくさかったが、軽く頭を下げて外に出た。
「行ってきます」
幸村はそう言って玄関を出た。冷たい風が頬を刺す。幸村は息を弾ませながら慣れた道を走っていた。
白詰草の夢 餅雅 @motimiyabi
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