第29話 手紙

 渚が家のポストを開けると、封筒が一つ入っていた。

『双海 渚さんへ』

 とだけ書かれていて、差出人は書かれていない。渚は家の中に入ると、ソファに腰掛けて封筒を開けた。中から見たことの無いネックレスと手紙が出て来る。渚は手紙を開いた。

『渚さんへ

 先ず、謝らせて下さい。ごめんなさい。

 実は僕、両親が亡くなって直ぐ高校を中退したんです。だからまた、渚さんの夢の中で高校生活が送れて、嬉しかったんです。部活にも参加出来て、同級生の葵さんとも仲良くなれて、とても楽しかったんです。

 アパートも事故の後に引き払ってしまっていて、家族と過ごした思い出の場所に戻れて、本当はずっと渚さんの夢の中に居たいと思っていたんです。

 でも、渚さんに傍にいて欲しいと思ったのも本当なんです。それは夢の中じゃなくて、現実世界で、一緒に歳をとっていけたならというのが僕の望みでした。

 騙すような事をして、本当にすみませんでした。

 今は、母方の遠い親戚の人にお世話になっています。すごく良い人達で、行き場の無い子供たちの面倒を見ている方達です。その方の援助で、今は通信制の高校に通っています。全部投げ出したくなっていた僕を助け上げてくれてありがとうございます。

 これからは誰かの為ではなく、自分の為に生きて欲しいと思っています。

 ネックレスは同じものをと思って探したのですが、見つからなかったのでそれで許してもらえないでしょうか?

 もし、僕がしたことを許してくれるなら、何でもします。

 渚さんの幸福を祈っています。

 幸村』

 渚は手紙を読み終えるとネックレスを見た。硝子玉の中に白詰草の花が閉じ込められている。その硝子玉の隣に四葉のクローバーのチャームが付いていた。

「夢……か……」

 あいつ、意味知らないんだろうなぁ……

 そう考えながらネックレスを見つめた。

「私のものになって……か……」

 渚は立ち上がると、家を出た。周りを見回しながら走り出す。近くの公園を横切り、いつものカフェテラスも覗いた。その何処にも兄貴とノアの姿は見つからない。なんだか寂しくなって公園の噴水の前に座ると、空を見上げた。

 灰色の空から雪が降っていた。

 どーすっかなぁ……まあ、取り敢えず生きているって事は分かったから良いか。一発殴ってやりたかったけど……切手も住所もないから直接家のポストに投函したのだろう。と言うことは割と近所に住んでいるとは思うが……

 そう考えて、幸村の顔が浮かんだ。無意識に頬に涙が伝うと、渚は目を細めた。

 『好き』って言っとけば良かったかな? 今更そんな事言っても仕方ないんだけど……遊びだったなんて言わなきゃ良かった。手紙を寄越したって事は、もう会ってくれないんだろうか?

 一発殴らせろって言ったから、会いにくいのかな……

 不意に視界が傘に覆われて渚は首を傾げた。傘を持っている男を見ると、なんだか戸惑った様な顔をしている。茶色のコートに、緑色のマフラーをしていた。

「風邪引きますよ」

 渚はその聞き覚えのある声に少し笑った。

「はじめましてですね。幸村です」

 幸村がそう言って隣に腰掛けると、渚は何だか変な気分だった。夢の中であんなに話したのに、はじめましてだなんて……

「双海 渚」

 渚がぶっきらぼうに自己紹介すると、幸村はにっこりと笑った。

「知ってます」

「四葉のクローバーの意味は?」

「『私のものになって』です」

 渚はそれを聞いて幸村を見つめた。

「知ってたのか?」

「起きてから検索しました」

「知っててまたこれ渡す神経どうなってんだよ?」

 渚がそう言ってネックレスを差し出すと、幸村は困っていた。

「嫌ですか?」

「そういうのは、彼女に渡してやれ」

 渚の言葉に幸村はそっと渚の手を包んだ。

「僕と、お付き合いして下さい」

 幸村が真っ直ぐ見つめて言うと、渚は少し頬を赤くした。

「初対面でそれはどうなんだよ」

 渚の言葉に幸村は少し考えた。幸村がそのまま目を閉じると、渚は首を傾げる。

「何してる?」

 幸村はそれを聞いて恐る恐る目を開けた。

「一発殴らせろと言われましたから……何処殴っても大丈夫ですよ」

 幸村がそう言って再び目を瞑ると、渚は幸村の頬に手を伸ばした。幸村がぎゅっと歯を食いしばると、渚はそっと幸村の唇にキスをした。幸村が驚いて目を開けると、渚は少し笑う。

「初対面の奴を殴るわけないだろ」

 渚がそう言うと、幸村は顔を真っ赤にしてマフラーに顔を埋めた。

 可愛い……なんというか小動物みたいだと渚は思った。

「しょ……初対面の人にキ……ス……とか、しないですよ普通!」

「あん? 喧嘩売ってんのか? もっかいするぞ?」

 幸村はマフラーで顔を隠すと、両手でマフラーを押さえた。

「やめてください」

 と蚊の鳴くような声で言われ、渚は眉根を寄せた。

 乙女かよ……

「初めてだったのに……」

 渚はそれを聞くと狼狽えた。

 ええ?! それ、お前が言う?

 渚が困惑していると、幸村はマフラーから顔を出して渚をきっと睨んだ。まだ顔が赤い。

「やり直しさせて下さい」

「はあ?」

「ファーストキスは自分からって決めてたんです」

 女子かよ……いや、やり直しって何だよ? もうファーストじゃねーだろ。

「あ〜……分かったよ」

 渚がそう言って幸村を見つめると、幸村はゆっくりと顔を近付けた。

「目、閉じて下さい」

 なんっっっだそれ?

 とは思ったが、仕方がないので目を閉じる。そのまま待っていたが何も起こらないので目を開けると、直ぐ眼の前に幸村の顔があった。急に渚が目を開けたので、幸村は茹でダコみたいに耳まで真っ赤になって俯いた。

「……それ、反則です」

「ああん?」

 思わずいつもの癖で襟首を掴んだ。

「漢なら女待たしてんじゃねーよ」

「初めてなんです! 優しくして下さいよ!」

「女々しい事言ってんじゃねぇっ!!」

 渚が怒鳴ると、幸村は泣きそうな顔をしてそっぽを向いた。

「雰囲気ぶち壊しです……」

「あ?」

「仕切り直しさせて下さい。これからデートしませんか?」

「時期外れのバラ園は却下な」

 渚がそう言って手を離すと、幸村はコートを整えた。

「渚さんの行きたい所に行きましょう」

 幸村はそう言うと渚の手を取って立ち上がった。

「何処までもついて行きますよ? 田舎でも、夢の中でも」

 幸村の言葉に渚は何だか気恥ずかしかった。

『な〜ぎさ!』

 不意に呼ばれた気がして振り返ると、兄貴とノアが居た。

『頑張って!』

 ノアがガッツポーズをして消える。兄貴も軽く手を振って霞の様に消えた。

「じゃあ、お前の家に連れてけ」

 渚がそう言うと、幸村は笑った。

「もう忘れ物しないで下さいよ?」

「……お前次第な」

 渚が誂う様に言うと、幸村は少し頬を赤くしていた。

「実は弟が出来まして……とっても可愛いんですよ。紹介します」

「ふ〜ん」

「お父さんとお母さんにも紹介させて下さい」

「ちょっと待て、それはまだ早いだろ。初対面で親に紹介とか頭いかれてんのか?」

「可愛いですから大丈夫ですよ」

 二人が他愛無く話す声が寒空に響いた。降り積もった雪に二人の足跡だけが残っている。降り続く雪の花が静かに二人を見守っていた。

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