第17話 後悔
渚が目を覚ますと、自分の部屋の布団に寝ていた。辺りは暗いが、天井にぶら下がった豆電球だけが仄かにオレンジ色の光を放っていた。
頭痛い……
渚が左手を動かそうとすると、肩に痛みが走った。それでやっと神座池での事を思い出すと起き上がる。目眩がして頭を押さえると、幸村の声がした。
「まだ夜ですよ」
見ると、隣の部屋との襖が開いている。渚は顔を背けた。服が、いつものボーダーシャツに着替えさせられていた。敏雄にシャツを切り裂かれた事を思い出して唇を噛んだ。
「お前、見ただろ」
渚が自分の肩を抱いて言うと、幸村は首を傾げた。
「やなもの見せて悪かったな。前に海へ行った時に、手摺錆びてるのに気付かなくてノアが寄りかかっんだよ。それで落ちかけたノアの手を兄貴が掴んだんだけど、あいつも結局落ちかけて……オレが兄貴の腕掴んだんだけど……無我夢中だったから折れた支柱が腹に刺さって、それででかい傷が出来たんだよ」
渚の話しに、幸村は少し困った。
「あの……僕は何も見てないです」
幸村がそう話すと、渚は気を使われたのだと思った。
「……そうか」
「僕はココまで運んだだけで、渚さんをお風呂に入れて着替えさせたのは美野里さんです」
幸村の話に、渚は自分の頭を軽く叩いた。
「それに……今は五月ですよ」
そう言われて渚は溜め息を吐いた。
「悪い。忘れてくれ」
「渚さん……」
「ちょっとまだ頭の中混乱してるんだ」
幸村はそれを聞くと、渚の傍に寄って渚を布団に寝かせた。身体に布団をかけると、そっと頭を撫でる。
「安心して眠ってて良いですよ」
渚はうざったそうに幸村の手を払った。
「てめぇが居たらおちおち寝てらんねぇよ」
「僕も、心配で寝れませんでした。このまま渚さんが起きないんじゃないかって」
幸村がそう言うと、渚は溜め息を吐いた。
「オレが起きたんだからお前、寝ろよ。明日、特急と新幹線乗り換えて帰らなきゃならないんだから、寝てて乗り換えそびれても知らねーぞ」
「ふふっそうですね」
幸村が意味深に笑った。『明日なんて来なくていい』と言った気もする。それで笑われたのだろう。
「渚さん、さっきの話の続きなんですけど……」
「ん?」
何の話ししてたっけ? なんか頭の中ぐちゃぐちゃでよく覚えて無いんだけど……
「僕と付き合って下さい」
幸村が渚の手を握って言うと、渚は目を丸くした。『じゃあ僕に下さい!』と言われた事を思い出して少し照れくさかった。
「嫌ですか?」
「嫌に決まってんだろ」
渚がそう言うと、幸村は萎縮した様に手を引っ込めた。
「すみません……」
「人が弱っている時に漬け込む様な事してんじゃねーよ。幻滅する」
幸村が落ち込むと、渚は目を細めた。
こいつなりに元気付けようとしてくれてるだけで、きっと本気じゃないんだよな。
「まあ、お前みたいなのが居るなら、もう少しだけ生きてようかな……」
渚がそう呟くと、幸村は渚の顔を覗き込んだ。
「オレを惚れさせてみせろよ」
幸村はぽっと頬を赤くして俯いた。両手で顔を恥ずかしそうに覆うと、渚はイラッとした。
乙女ですか?
「渚さん、狡いです」
「あ?」
「惚れてしまいました」
「お前がオレに惚れてどうすんだよ」
渚の言葉に幸村は笑った。
「僕、ずっと渚さんと一緒にいたいです」
幸村の言葉に渚は微かな不安を覚えた。
「オレなんかの傍に居たらロクな目に遭わないぞ」
渚はそう呟いて昔の事を思い出していた。
「独り言なんだけど……」
幸村は渚の隣に横になると、静かに聞いていた。
「昔、従兄弟に正孝兄ちゃんってのが居て……五つ上の兄貴だったんだけど……すごく面倒見がよくて、よく遊んだんだけど……
雨の日にスリップした車に撥ねられてさ。亡くなったんだ。オレを庇って」
ぽつりぽつりと絞り出す様な声だった。あの日の雨の冷たさと、湿気た臭いと、擦りむいた膝の痛みが今でも鮮明に思い出される。
「あの時、自分の事しか考えられなくて、背中を押されて転んで擦りむいた膝抱えて泣いてたんだ。泣けば周りが何とかしてくれると思ってたあの頃の自分が憎くて、あの時まだ息があった正孝兄ちゃんに何も出来なかった自分が情けなくて……オレが死ねば良かったのに……」
「それは違います」
幸村は思わず口を挟んだ。渚は深いため息を吐く。
「独り言だって言ったろ」
「渚さんのせいじゃないです」
「何で言い切れるんだよ」
「それ、十年くらい前の話ですよね?」
幸村がそう言うと、渚は少し驚いて目を瞬かせた。
「何で知って……」
「十年前なら五歳です。五歳の子に何が出来るって言うんですか?」
渚はゆっくりと深呼吸しながら幸村を見つめた。
「信じてもらえないかもしれませんけど、僕、その人に会いました。それで、自分が死んだのは君のせいじゃないから気にしないでって言っていましたよ」
渚は何度もゆっくりと瞬きをして呟いた。
「お前、頭大丈夫か?」
「嘘じゃないです!」
幸村が真剣な表情で言うと、渚は思わず笑ってしまった。
「……そっか。正孝兄さんが……まあ、そういう事にしておこう」
「本当ですって……」
「死んだお姫様が龍になるくらいだから、そんな事もあるんだろう」
「渚さん……」
「あ~もうやめやめ。変な話して悪かった。忘れてくれ」
幸村はどうすれば信じてもらえるのかと悩んだ。本当の事なのに、彼の気持ちが伝わらないのがもどかしい。
「あ〜……思い出した。あの時、兄貴がオレに言ったんだよ。『お前が死ねば良かったのに。妹なんか要らない』って」
「渚さん……」
それは多分、子供の、子供だからこその残酷な言葉だったのだろう。
「オレが本当に男だったら良かったんだろうなぁ……」
渚はそう呟いて寝てしまった。幸村はそっと布団をかけ直すと、隣の部屋に移って襖を閉める。
障子を開けると、天宙に青い満月が登っていた。幸村はその月を眺めながらぼうっとしている。不意にあの白装束に三角の紙を額に貼ったステレオタイプの幽霊が出て来て、幸村にペコリと頭を下げた。
「ありがとう。また池の底に沈んで、もう浮いて来ないのかと思ってた」
その言葉に少し苛立った。それに気付いて幽霊は首を傾げる。
「どしたの?」
「こんな騙しみたいなことしたくないんですよ」
幽霊は再び首を傾げた。
「嘘なの?」
「隣にいてほしいと言うのは本音です。でも……」
幸村は俯いて言葉を詰まらせた。
「せめてもっと早く出会えていたなら……」
幸村の言葉に、幽霊も困った様に俯いた。何か声をかけてやりたいが、言葉が見つからない。
「……ごめん」
「正孝さんのせいではないですよ」
「君を巻き込んだ」
「僕は平気です。どうせ両親も弟も居ませんから。ある意味渡りに船でした。整理が済んだら、追って行こうと思ってましたし……」
幸村の言葉に幽霊は泣き出しそうな顔をする。
「僕はそんなつもりで君に頼んだわけじゃ無い」
幽霊の言葉に、幸村は顔を上げた。
「……君に彼女の気持ちが分かる?」
幽霊は何も言えなかった。
「自分をかばって死んだ従兄弟のせいで実の兄に嫌味言われて、それでも生き続ける事を選択した彼女は強いと思います。兄に嫌われない様にずっと男の子を演じ続けて、気丈に振る舞って……見ていて痛々しいです。もっと楽に死ねたはずなのに……」
幽霊は憤慨した様に頬を膨らませた。
「僕が庇わなければ、渚が苦しまずに済んだって言いたいんだね」
幽霊はその場で宙返りすると不貞腐れて何処かへ行ってしまった。
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