第23話 誤解
渚は自分の耳の後ろに付けた香水を気にしながら、柄にもなく女の真似なんかするもんじゃないなぁと思った。
幸村に付いて行くと、小さなアパートに着いた。部屋は狭く感じるが、整理されている。七畳のリビングダイニングと、他に三つ部屋があるらしい。
「お茶淹れます」
「良いって。取り敢えず休め。スポドリかなんか買って来てやるから。ゼリーとかなら食べれそうか? 台所使って良いなら適当に何か作るけど……」
渚がそう言って幸村の顔を見つめると、幸村の頬がまだ少し赤い。それに直ぐ視線がそれて眉根を寄せた。
「いえ、気にしないで下さい。これは風邪とかではなくてですね……」
幸村が説明しようとすると、また渚が頬に手を伸ばしたので仰け反った。掴み損ねて転びかけると、幸村が支える。そのままソファに押し倒す形になると、渚は幸村の心臓の音を聞いて顔を上げた。幸村がまた顔を赤くして顔を背けると、渚はそっと幸村のおでこに触れる。
「心臓疾患か?」
「違います!」
「いや、本気で病院へ行ってもらいたいんだが……一度検査してもらった方が良いぞ?」
心配してそう言うが、頑なに病院を嫌がる意味が分からなかった。
「……大丈夫ですから」
「目を見て言え。目を」
渚がそう言うと、幸村は渚を見た。けれども直ぐに視線がそれてしまう。渚はその様子に首を傾げた。なんかやましいことでもあるのかと部屋の中を見渡すが兄貴の部屋の様に散らかっている訳では無い。
「取り合えずちょっと寝てろ。熱下がらなかったら病院まで引き摺って行く」
幸村の顔が茹蛸みたいに耳まで赤くなると、渚は本気で心配していた。熱中症では無いと思うが、水分補給をさせてなかったと思い返した。
「渚さん、本当に大丈夫ですから」
「いい加減にしないと怒るぞ?」
渚が睨むと、幸村は顔を背けた。
「熱が下がったら遊んでやるから。休んでろ」
渚がそう呟いて離れると、幸村は両手で顔を覆った。不意にドアの開閉音がして振り返ると、部屋の中に渚の姿が見当たらない。
帰った? 否、玄関ドアの音ではなかった。靴を履く音もしなかった。
幸村がそう考えていると、脱衣所で物音がして慌ててドアを開けた。ワンピースを脱いで、キャミソール姿の渚と目が合ってまた顔が赤くなる。
「何して……」
「ちょっと風呂借りる」
「却下です。服着て下さい」
「ワンピースは着慣れてないから動きづらいんだ」
渚がそう言うと、幸村は壁に掛けていたカッターシャツを取って渚の肩に掛けた。仕方なく渚が袖を通すが、袖が長すぎて袖口から手が出ない。
「何で長袖?」
渚が聞くと、幸村は渚を一瞥してまた目をそらせた。カッターシャツの隙間から、キャミソールのレースが覗いている。
「ボタンして下さい」
「いや、どー見たってチョイス間違ってんだろ。半袖のTシャツ貸せ」
渚がそう言うが、幸村はシャツを掴み上げてボタンを留めた。四つボタンを留めると、シャツの裾から見える太腿に目が行って顔を背けた。
「すみません、その……そう言うのって、まだ早いと言うか……」
幸村が顔を真っ赤にして言うと、渚は首を傾げた。
「ん? お前の家は夜しか風呂に入っちゃいけないってルールでもあんのか?」
「あります」
「ふざけてんな」
「今、作りました」
幸村の言葉に渚は驚いた様な、呆気に囚われた様な顔をした。
「お前な……」
「兎に角駄目なものは駄目です」
渚はそれを聞くと視線を泳がせた。
病院も嫌で、スポドリ買って来るのも、台所使うのも拒否されて、風呂まで却下された意味が解らなかった。
「……じゃあ、どうしてほしい?」
渚の質問に幸村は辛そうな顔をした。
「もっと自分を、大切にしてほしいです」
渚はそれを聞くとゆっくりと目を瞬かせた。
「ん??」
「ごめんなさい。本当に僕が悪いんです。渚さんを傷付けるつもりは無くて、そんな事しなくても、渚さんの事を思ってますからっ」
渚は腕を組むと首を傾げた。
こいつは一体何の話をしているんだ? 病原菌が脳にまで達しているのではないだろうかと本気で心配になった。
幸村の顔を見上げるが、相変わらず視線が合わない。その顔が、まるで嫌なものから目を背けている様で嫌だった。
「悪い。帰る」
渚がそう言うと幸村は脱衣所を出た。渚がシャツを脱いでワンピースを着る。渚が脱衣所を出ると、幸村の顔はまだ赤かった。
「あのさ、頼むから体調悪いなら早目に病院行ってくれ」
「……わかりました」
ぽつりと呟いたが、幸村は俯いたままだった。
「お前にそこまで顔背けられると思って無かった」
幸村がゆっくりと顔を上げると、渚は幸村を睨んだ。渚が玄関でヒールを履くと、幸村は渚の後を追う。
「送って行きます」
「良いって」
「送って行きたいんです!」
「一人になりたいってんだろ!」
渚が怒鳴ると、幸村は困った顔をした。
「渚さん、僕は、どうすれば良かったんでしょうか?」
「オレは遊びたかっただけだ」
渚がそう言うと、幸村は泣きそうな顔になっていた。
「ごめんなさい。出来ません」
渚は幸村の襟首掴むと、幸村を睨んだ。
「お前もオレが女だからって馬鹿にしてるならいい加減怒るぞ?」
「馬鹿にしてません」
「キャッチボールくらいオレにも出来るんだよっ」
渚がそう言ってどつくと、幸村が驚いた様な顔をして急に狼狽えた。
「え……?」
「兄貴は女には無理つって相手してくれなかったけど、それくらいオレにも出来んだよ!」
渚がそう怒鳴って逃げる様に玄関を出て行くと、幸村は追いかけようとして思い留まった。自分の勘違いに気付いて顔を赤くすると、両手で額を押さえて膝から崩れ落ちた。
葵は部屋でぼーっとしていた。あの日から、渚が生きているのか不安でたまらない。親に聞いたら「何寝ぼけているんだ」と言われた。確かに、渚が池に沈むのを見た。見たのに、それがいつだったのか、何故渚が池に入ったのか思い出せない。思い出したいのに、その前後がどうしても思い出せなかった。
玄関のドアが開く音がして、渚が帰って来たんだと思う。ボイラーが点く音がして、葵は首を傾げた。
え? 風呂?
葵は起き上がると、部屋を出て一階へ降りた。風呂場からシャワーの音がする。不意にケータイが鳴って画面を開くと、幸村からのメールだった。
あ〜……そういや今日は深森とデートに行ってたんだっけ?
「……」
葵はそっとケータイを置くと、風呂場の前に座り込んだ。
暫くして脱衣所のドアが開いた。白のタンクトップに黒のボクサーパンツ姿の渚が、髪を拭きながら葵を見て驚いている。
「んだよ……」
「やったのか?」
「は?」
渚が首を傾げると、葵はそわそわし始めた。
「じゃなきゃ帰って直ぐ風呂とかありえねぇだろ」
「あ? ノアから借りた香水がきつ過ぎて洗い流してただけだ」
葵はそれを聞いてあからさまに残念そうな顔をした。
「え〜……まあ、そうだよな。せめてもう少し胸が出てなきゃ抱く気にならんわな。ボクサーパンツもオレからすれば無しだし」
渚は葵の顔面に蹴りを入れていた。
「禿げろクズ」
渚は腕を組むと、何か考える様な素振りをする。
「幸村が兄貴くらい分かり易けりゃなぁ」
葵はそれを聞くと蹴られた鼻先を押さえて渚を見上げた。
「ちょっと話しがあるんだけど……」
葵の言葉に、渚は眉根を寄せていた。
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