第19話 女子会

 吹き抜けの様な高い天井にシャンデリアが吊り下がっている。渚は相変わらず掃除の行き届いた広い廊下を歩きながら

 メイドさん大変そう……

 と思っていた。床には赤い絨毯がひかれ、高そうな壺や絵画等の調度品が飾られている。

「美津子さん、お茶とお菓子をお願い」

 ノアがそう言うと、メイド服姿の女性が軽く会釈して行ってしまった。渚はノアの家には何度か来たことはあるが、自分には不釣り合いな世界なので家の中を全部把握しきれていない。ノア自身も、何度か自分の家で迷子になったと言っていたので相当広いのだろう。黒のジャケットにTシャツにGパンで来てしまった事を今更ながらに後悔した。

「渚~! お風呂沸いてるって! 一緒に入ろ? あ、今日、泊まって行くよね? 美津子さんに頼んで、渚のお父さんに連絡してもらったから!」

 渚は呆気に囚われながらも、ノアのペースにすっかり乗せられてしまった。あれよあれよと脱衣所に連れて行かれ、温泉みたいな広い露天風呂に入れられ、美津子さんが用意したネグリジェに着替えると、ノアの部屋のソファーにいつの間にか座らされていた。ノアがドライヤーで渚の髪を乾かしていると、サンドイッチとケーキが乗ったアフタヌーンティーが出て来て渚は蕁麻疹が出そうになった。

 ノアは渚の髪を整えると、ソファーに腰かけて紅茶の香りを嗅いだ。

「ん~良い匂い。渚は砂糖が良い? ミルク? それともジャム?」

「え、いや……何も……」

 渚がぎこちなく断ると、ノアは持っていたミルクポットをテーブルに置いた。

「そっか。渚、いつもブラックコーヒーだったもんね。珈琲入れてもらおっか?」

「いや、紅茶で良い」

 そう言って紅茶を一口飲むと、渚は深く溜息を吐いた。

 帰りたい……。

 見上げた天井には月と星が描かれている。天蓋のついた可愛らしいベッドも、本革のソファも渚には無縁のものばかりだった。いつ来ても緊張してしまう。

「私、渚と女子会するの夢だったんだ」

「ウエディングドレスを着るのが夢だったんじゃなかったっけ?」

「その次にだよ! 夢は多い方が良いんだよ?」

 そういうもんか……? と考えつつ紅茶を口にする。

 ノアは小皿にサンドイッチをよそうと、渚の前に差し出した。

「映画楽しかったんだ。今度渚も一緒に見に行こうよ。最後のキスシーンのとこでね、葵さん、私のほっぺにチュッてしてね、そのまま唇に……」

 ノアが顔を真っ赤にして話すが、渚は聞きたくなかった。

「ノア、人間の口の中の菌の数は、排水溝と一緒なんだぞ」

「渚の意地悪」

「本当の事だからな」

 渚がそう言って紅茶に口をつけると、ノアは不貞腐れて言った。

「で? 幸村さんとどうだった?」

 急に幸村の名前が出て渚は紅茶を吐き出しそうになった。何で今、幸村が出て来るのかと頭を悩ませる。

「は?」

「ドキドキした? 夜はどんな感じだった?」

「夜って……マッサージくらいならしたけど……」

 ノアが鼻血を出した。

「え、渚大胆……」

「は? え?」

 渚はやっと語弊が生じたのだと察する。

「いや、そうじゃなくて、翌日筋肉痛とかになったら困るから……」

「そんな激しいプレイしたの?」

「だから違うって!」

 渚が必死に否定すると、ノアが悪戯っ子の様に笑った。

「冗談だよ。渚はそんな事しないって知ってるよ」

 ティッシュで鼻血を拭いながらノアは笑っていた。

「あ、違う違う。もっと女子会っぽい会話しなきゃ!」

 なんだそれ……と思いつつも、ノアが満面の笑みで渚を見つめている。

「えと……兄貴のどんなとこに惚れたの?」

「優しい所だよ」

 それは完全に騙されていると言いたいが、ノアの手前、ぐっと堪えた。不意にいつだったかノアと一緒に恋愛ドラマを観たのを思い出した。

「じゃあ……キスってどんな味だった?」

 なんだか自分で聞いていて恥ずかしかったが、ノアは少し考える素振りをした。

「キシリトールガムの味だった!」

 ノアの回答に、渚は聞くんじゃなかったと思った。間違いでは無いだろうが、雰囲気ブチ壊しだ。

「渚は? キス、どんな味だった?」

「いや、排水溝に口づけとか本気で無理だから」

「渚、次、それ言ったら怒るよ?」

 ノアに言われ、渚は口を噤んだ。

「そのネックレス、幸村さんからでしょ?」

 ノアがにやにやしながら渚の首元のネックレスを指示した。

「これは……まあ、そうなんだけど……」

「良いなぁ。私も欲しいな」

 ノアがにこにこしながら言うと、渚はネックレスを外してノアに差し出した。ノアはそんな渚の行動に目を丸くする。

「冗談だよ?」

「えっ……そっか……まあ、お店の場所は解るから、今度買ってきてあげるよ。ノアが好きそうな可愛い物、沢山あったし……」

「渚、幸村さんの事、嫌いなの?」

 ノアに聞かれて戸惑った。嫌い……ではないと思う。一緒に居て楽しいし……男友達……とも違うか? 自分でもよく分からなかった。

「それ、四葉のクローバーだよね? 私だったらきっと嬉しくてはしゃいじゃうと思う」

 そりゃあ女子ならね。意味知ってたらね。けど向こうはそう言う意味で渡してくれたんじゃ無いんだよこれが……と、あの時一瞬でも頬を赤らめた自分を殴りたかった。

「幸薄そうに見えたんだろ」

「男の子から女の子へのプレゼントなんだから告白でしょ?」

「どーだかな……ただの気まぐれだろ。女とみれば誰にでもそうしてるんだろうし」

 ノアは怪訝な表情をした。

「渚、それは酷いよ。幸村さん、ずっと学校でも渚の事しか見てなかったよ? 好きでもない女の子の実家までついて行かないよ?」

「物珍しいだけだろ」

「渚……」 

「正直怖いんだよあいつ」

 渚は視線をそらせて呟いた。自分で言ったのに、何故そう口走ってしまったのか分からなかった。

「幸村さんに酷い事されたの?」

 ノアの質問に渚はどう答えて良いのか分からなかった。むしろ助けてくれた方なのだが、何とも言えない居心地の悪さがあった。

「そう言うわけじゃないけど……」

「そうだよね。渚強いもん。何かされてもさっきみたいにグーパンチでやっつけちゃうもんね!」

 ノアが拳を突き出すポーズをするが、渚は俯いたままだった。自分を本気で殺そうと襲ってきた敏雄に手も足も出なかった。幼い頃からよく知った仲だったから、そんな事するはずないという甘さがあったのは確かだった。

「……強くない」

 ノアは落ち込んだ渚の姿を見て居られなかった。その姿を前にも見た事がある気がしていたたまれない。

「昨日ね、私……すごく怖い夢を見たんだ」

 ノアの言葉に渚は顔を上げた。

「渚がね、水の底に沈んで行っちゃうの。どんどん沈んで行って、全然上がって来なくて……私、何度も何度も渚の名前を呼んだんだよ? でも、浮いてこなくて……すごく怖かった」

 ノアは『ただの夢だよ』と言って欲しかった。けれども渚は黙ったまま、長い様な短い様な沈黙が流れた。

「渚?」

 ノアが声をかけると、渚はゆっくりとノアを見つめた。

「渚、約束して。渚は、死んじゃったりしないよね?」

 ノアの言葉に渚は唇を噛み締めた。

「ごめん……」

 絞り出す様な、泣き出しそうな声だった。

「それだけは、約束出来ない」

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