第27話 さよならを言いに
渚はケータイの画面を見つめながら考えていた。画面には昨日、幸村に送ったメールの文章が映し出されている。カフェテラスには自分以外誰も居なかった。
『別れよう』
短い付き合いだった。告白されてからほんの一週間しか経ってない。けれどもこれで良かったのだと思う。返事はまだない。直接面と向かって言う勇気が無かった。
「もう、五月なのか……」
おかしいと思っていた。夏に近づかない様にしていた筈だった。あの日に近づかない様にしていた筈なのに、あいつが来てから少しずつ日にちが進んで、ズレが出て来た。本当はノアと女子会なんかしてないし、兄貴ともキャッチボールなんか出来なかった。オレも女の子の真似事なんかして誰かと付き合ったりなんかしてない。
何者なんだろう……?
まあ、そんな事今更知った所でどうでもいい。だってもう終わるから。もう、思い残す事が無くなった。ノアにはちょっと悪い気もするけど……あんなに必死に慰めてくれたのに。まあ、後で謝ればいっか。怒られるかな?
不意に幸村の姿が思い浮かんだ。
あいつは、勝手に入って来たんだから勝手に出て行くんだろう。
渚は首にしているネックレスを外すと、軽く溜息を吐く。
「……返しに行くか」
ぽつりと呟いてゆっくりと歩き始めた。近くの公園を通ると、幸村のアパートが見えた。
あいつ、もしかしてわざとだったのかな?
不意にそんな考えが思い浮かんだ。
わざとオレを怒らせるような事して、こっちの世界に嫌気がさすのを狙ってたのかな? それとも……
顔を真っ赤にした幸村の顔を思い出してそっと目を細めた。
「どっちでもいっか……」
思わず呟いていた。
あいつ優しいから、きっと可愛い子と付き合うんだろうな。向こうに戻ったら、オレの事なんか忘れて、他の女の子とキスしたり、デートしたりするんだろうな。奥手すぎるから少し心配ではあるけれども……まあ、もう死ぬオレには勿体ない男だった。
渚はそう考えるとアパートの呼び鈴を鳴らした。
「さよなら。オレの初恋」
ノアは幸村と近くの公園で待ち合わせしていた。このまま渚を連れて行ってくれるものと思っていたのに、別れてしまったと聞いて不安になる。
幸村が来ると、ノアは手を振った。ネイビーのシャツに白のTシャツを着ているのを見て『それ何処で買ったの?』と聞きそうになったが堪えた。幸村の少し落ち込んだ様な表情に、ノアは気付かないふりをした。
「渚と別れたそうですね。渚も満更でも無さそうだったのにどーしたんですか?」
ノアに聞かれ、幸村は少し考えた。
「葵さんと、仲直り出来るようにと思って努力したつもりだったんですけどね」
何か盛大に空回りをした事だけは察した。
「ごめん……」
ノアが謝ると、幸村は顔を上げた。
「ノアさんのせいじゃないです……」
「渚の服を選んだの、私なんです。渚にしては可愛い過ぎましたよね? 渚、いっつもスポーツ系のばっかりだから、こういう時くらいは可愛いレースの下着にしなさいって言ったの私なんです!」
ノアの話しに幸村はきょとんとしていたが、段々顔が赤くなって両手で顔を覆った。耳まで真っ赤になっている。
「ノアさん、その話はいいです……」
「よくないです! 私のせいで二人が別れるきっかけになっちゃったとしたら……」
「絶対にノアさんのせいではないですから」
「私! 渚には沢山お洒落して欲しいんです!」
ノアの熱弁に幸村は少し笑った。
「……そうですね」
「だから絶対、渚のこと、助けて下さい!」
ノアは深々と丁寧に頭を下げた。
「私じゃ駄目だから……」
幸村はそんなノアの姿にそっと目を伏せた。
「僕も駄目でした」
幸村の言葉にノアは驚いた様な、縋るような目をした。
「僕、思うんですけど、渚さんがそれでいいって言うのなら、もう良いかと思っています。正直、目を覚ました所で、また渚さんを苦しめるだけなんじゃないかと思うんです」
ノアは幸村に手を伸ばしかけて空を掴んだ。
「そんなの……」
「本人の意志に反して周りがどうこう言った所で、結局、決めるのは本人ですから……」
「幸村さんは、渚に死んでほしいんですか?」
ノアの質問に幸村は首を横に振ったが、それから俯いたままだった。
「だったら、無理矢理にでも渚を引き上げて下さいよ! 辛いのは渚だけじゃ無いんですよ? 私も、葵さんも! 渚のお父さんとお母さんだって……渚は、自分の友達が私だけだと思っているかも知れないけど、部員のみんなだって、田舎のお祖父さんや親戚の人達からも慕われてるめっちゃ良い子なんですよ?」
ノアが叫ぶ様に言うが、幸村は俯いたままだった。
「見損ないました」
ノアは必死に声を絞り出した。
「結局、幸村さんは渚の事誑かしていただけで、本気じゃなかったんですね。ふられて当然です」
ノアがそう吐き捨てて行ってしまうと、幸村はノアとは反対方向へ歩き始めた。
ーー初めて病院で彼女を見た時、とても綺麗な人だと思った。まるで陶器の様な整った顔立ちに、長い睫毛、烏の濡羽色の様な艶のある髪に、まるで物語の『眠れる森の美女』を彷彿とさせた。
「彼女と話をしてほしい」そう言われて最初は、「話をするだけ」それでおしまい。そう思っていた。けれども、彼女の夢の中に居た君は、全然眠り姫なんかじゃなくて、がさつで口が悪くて男の子みたいで、でも、何処に居ても人目を引く美しさがあった。強くて優しくて真っ直ぐで面倒見が良くて……そんな彼女に惹かれていったのは事実だった。
彼女が神座池へ入ろうとした時、咄嗟に引き止めてしまった。
解ってる。彼女が辛い目に遭った事も、後悔していることも、どうせなら自分も一緒に連れて行って欲しかった。寧ろあの出来事に遭う前に消えてしまいたかったと嘆いた事も。それでもやっぱり、生きていて欲しいと思った。傍にいて欲しいと思った。どうすれば彼女が目を覚ましてくれるのか沢山考えた。考えて、いたんだけど……
幸村は家に帰ると、アパートの前に渚が立っているのが見えた。青いシャツに、白いカーディガンを羽織っている。近付くと、渚は幸村の手を取った。
「これ、返す」
掌の中に、四葉のクローバーが硝子に入ったネックレスがあった。
「……ごめんな。幸村は良い奴だから、きっと他に良い人と付き合えるよ」
渚はそう言うとぱっと幸村の手を離した。彼女の言葉に嘘は無いだろう。もう決めてしまったのだ。永遠の眠りにつく事を……
「さよなら」
幸村はネックレスを握ると、玄関のドアを開けた。
「どうぞ」
「え、いやいいよ。ネックレス返しに来ただけだから……」
「お茶淹れます」
「だから」
「最期くらい付き合って下さい」
幸村に言われ、渚は家に入った。相変わらずリビングダイニングは綺麗に整理されている。というより、生活感の無い部屋と言った方が正解かもしれない。幸村はドアを閉めると、靴箱の上にペンダントを置いて渚の手を取った。
「酷いです」
幸村はそう呟くと渚を見つめた。
「渚さんのこと以外、何も考えられなくしておいて、こんなの狡いです」
幸村の睨むような目に、渚はそっと目を伏せた。
「悪い。お前との事は、ただの遊びだった」
幸村の手が小刻みに震えた。『遊び』そうだろう。本気じゃなかった。揶揄われただけ。それでも、彼女との時間は楽しかった。
「最初からお前とは、そういう関係になりたいとは思ってなくて……」
聞きたくない言葉が渚の口から発せられた。もう何の余地も与えられない。
「じゃあ、僕も狡いことします」
幸村はそう呟くと、諦めた様に渚の手を離した。一番奥の部屋を開け放す。
「僕は今、あなたの夢の中に居ます。でも、一応生きてはいます。今のところは」
幸村の言葉に渚は首を傾げた。
「僕はあなたの様に医療の整った病院に居る訳ではありません。一人暮らしの自分の部屋です。この意味が分かりますか?」
渚はきょとんとしていたが、直ぐに身体が小刻みに震えた。
「何の話し……」
「僕がここへ来てから、どれくらいの時間が現実世界で流れたか分かりますか?」
渚が怯えた表情を浮かべる。その表情が、なんだか可哀想だった。
「このままあなたが目覚めなければ、僕はあなたの夢から出ることが出来ません。自分の身体に……現実世界へ戻れないんです」
「やめろ……」
渚は思わず両耳を覆った。幸村は追い打ちをかけるように話し続ける。
「このままだと、僕はあなたに殺される事になります」
幸村の言葉が、鋭く渚の心を貫いた。渚の目から涙が溢れると、何とも言えない遣る瀬無さを覚えた。
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