第15話 服

「渚、服ダメにしてすまないね」

 祖母がそう言うと、渚は少し目を丸くした。

「あ〜……Tシャツなら他にもあるから大丈夫だよ」

「ばあちゃんが可愛い服作ってやるから」

「あ、いや……兄貴のお下がりがあるし……」

 もう目も悪くて針に糸を通すのも一仕事になっているんだからそんな事を簡単に言うなと言いたかったが、相手が祖母なだけに言葉を選ばずには居られない。

「どうしたんですか?」

 間の悪い事に、風呂から出て来た幸村が首を突っ込んで来た。渚と祖母は幸村のTシャツを見て黙り込む。切られたイカ飯の中から怒った様な表情のイカがこっちを睨んでいて『このイカ飯、厳しい〜』と吹き出しに書かれている。

「都会では面白いTシャツが流行ってるんだねぇ」

 祖母が先に口を開いたが、渚は

 いや、こんなの見たことねぇよ。逆に何処に売ってんだよ。

 と考えていた。

「面白いですよね。保育園に着ていくと子供たちがみんな寄って来るんですよ」

 子供ウケ……は、するんだろうなぁ

 と渚は思ったが、取り敢えず幸村の手を取った。

「ちょっとこっち来い。ばあちゃん、ミシン借りるね」

 祖母が笑って手を振る。

 渚は母屋に行くとメジャーを取った。幸村を立たせて肩幅や背中、胸周りの長さを測る。厚紙に線を引いて型紙を作ると、布地を出してチャコペンで線を引いた。

「何かお手伝い出来ることはありますか?」

「そこに座ってろ」

 幸村の申し出にそう言い放って布地を裁断する。ミシンの糸を変えて縫うと、渚は布を裏返した。

「はい」

 差し出されたTシャツに幸村が困惑していると、渚は幸村のイカ飯シャツをめくり上げた。

「キャッ」と幸村が短い悲鳴を上げ、驚いてシャツを下げて胸の前で腕を交差さた。渚は自分の聞き間違いかと思ったが、幸村が顔を赤くしているのを見て目を瞬かせた。 

 乙女かよ!

 と言いそうになったが堪えて再び裁断台の前に立つ。

「お前の場合は、少しいかり肩傾向だから首周りが楽なシャツの方が良い」

 そう話しながらまた布地を裁断している。幸村は渚に背を向けると、部屋の隅で渚が作ったTシャツに着替える。

「ジャケットとかシワが寄らずに綺麗に着こなせるから良いよな。シャツのボタンは一番上まで止めるなよ」

 渚が独り言の様に喋りながらミシンを使っていると、幸村がそっと覗き込んだ。灰色のラグン袖の白シャツがちゃんと着れている。

 渚は幸村の周りを一周すると、頷いた。

「やっぱり背が高いから羨ましいな。舞台で映えそう」

「そうですか?」

 幸村が少し笑って聞くと、渚は幸村の顔を見上げた。

「ん。オレが女だったら惚れそうなくらいには男前になった」

 渚の言葉に幸村は驚いて顔を赤くした。

「えっ」

「お前、背が高いし、優しいんだからモテそうなのに、絶対普段着で損してるって」

 幸村が顔を真っ赤にして両手で顔を覆うと、渚は首を傾げた。

 乙女かよ……

「取り敢えず二、三枚服作ってやるから、その……変な服着るのやめろ」

 本当なら『クソダサい』とか言いたいところを、大分自分なりにオブラートに包んだつもりだったのだが、幸村は顔を上げた。

「変……ですか……」

「いや、そりゃあ着たい服着れば良いとは思うけど、なんかお前が勿体ない」

 また『ぽっ』と幸村が頬を赤くすると、渚は眉根を寄せた。

 乙女ですか?

 と聞きたくなったがやめた。

「渚さん、一つお願いがあるんですけど……」

 幸村の言葉で、不意に昼間の敏が脳裏を過った。

 遊びに行こうと誘われても行かねぇよ。

「ん?」

「危ないことはしないでもらえますか?」

 幸村の言葉に渚は目を丸くした。

「はあ?」

「草刈機が動いているのに友也さんを庇って飛び出しましたよね? 草刈機の刃が顔とかに当たったら渚さんも危なかったんですよ?」

 渚はそれを聞きながら手を動かしていた。

「あのさ、動いている刈払機って、どんな動きするのか分かんねぇんだよ。例えば爆竹なんかさ、火を付けたらあっちこっち飛ぶだろ? あれと同じだから、先に刈払機の柄を押さえてからじゃないと、お前に電源切ってもらうにはリスクが高すぎんだよ。お前まで怪我されたらオレ一人で大の男二人の面倒なんか見てられるか。だから先に刈払機の動きを止める必要があったんだよ。別に無謀に飛び込んだわけじゃない」

 渚はそう話しながらミシンを動かしていた。

 まあ、刈払機をぶっ壊すつもりでいたからオレ一人でも良かったんだけど……

 とは思いつつ、言葉にしない。

「それでも……心配しました」

 幸村が落ち込んだ様に言うと、何だか恥ずかしいようなもやもやした気持ちになった。

「……次から気をつける」

 渚の言葉に幸村はぱっと顔を上げた。渚はそのまま何枚かTシャツを作っていた。



 さっき病院から電話があって友也が入院する事になったのだとお婆さんに聞かされたが、明日には退院出来るそうだ。夜中の十一時頃に正一と美野里と勇輝が帰って来たが、渚は疲れたのか部屋で休んでいるらしい。お婆さんに促されて幸村も自分の部屋に入ると、少しだけ障子を開けて隣の部屋を覗いた。電気が消えていて、渚の頭が少しだけ見える。

「何だ?」

 寝ていたと思っていた渚から声が聞え、幸村は少し驚いていた。

「正一さん達帰って来られましたよ」

「知ってる」

「友也さん、明日には退院して帰ってこられるそうです」

「それも聞いた」

「……えっと」

 幸村が言葉を詰らせると、渚が寝転がったまま幸村の方に顔を向けた。

「おやすみなさい」

 幸村がそっと障子を閉めると、障子の向こうから「おう」と渚の声が聞えた。

 なんか少し危なっかしかったんですけど……

 幸村はそう考えながら目を閉じた。目前で友也が畔横に倒れた時、まだ距離的に五十メートルはあった。渚は足場の悪い畔道をあっという間に駆け抜けて畔下へ下りる。友也の顔面に刈り払い機の先端部分が迫っている所へ何の躊躇も無く腕を伸ばしていた。友也の頭を抱きかかえると、足で刈払機の柄をふみつけていた。下手をしたら、そのまま渚の腕が飛んでいたと思う。刈り払い機の柄の部分を踏みつけて固定するのは良いが、刃の部分が石に当たって刃がボロボロに欠けていた。その破片が目にでも入ったら失明してしまうだろう。そう思うとぞっとして直ぐに機械のスイッチに手を伸ばしていた。

 確かに人命救助が最優先だろうが、無茶な事をする人だと思う。

「あ」

 隣の部屋からふと渚の声が聞えて、電気が点く音がすると幸村は目を開けた。障子が開いて渚が幸村の部屋に入ってくる。幸村が上半身を起こして首を傾げていると、渚が蒲団を剥ぎ取って幸村の右脹脛を掴んだ。

「……痛っ」

「あ~やっぱり」

 渚がそう呟いてズボンを捲ると青痣が出来ていた。畔を下った時に体勢を崩して石にぶつけたのだが、友也の事もあってそれどころでは無かった。

「大丈夫ですよ」

「慣れてないんだから畔道下りずに階段回って降りてくりゃ良いのに……何か変な音がした様な気がしたんだよあの時」

 そんな回り道をしていたら、渚も友也もあの鋸刃の餌食になっていたと思う。

「ごめんな。気付いてやれなくて」

 渚がそっと痣になった部分を撫でながらそう呟くと、幸村は少し頬を赤くした。

「これくらい大丈夫ですよ」

「無傷で帰すのが大前提だったの」

「大した怪我じゃ無いですよ」

 幸村がそう言うが、渚は軟膏を塗って包帯を巻き始めた。

「あのな、お前一人の体じゃ無いんだ。親御さんが命がけで産んで育てたものだろ? それなのに自分の不注意のせいで怪我させたなんて……」

 渚の言葉が終わる前に幸村が渚の頭を撫でると、渚は幸村の顔を見つめた。幸村もにっこりと笑って渚の顔を見つめる。

「大丈夫ですよ。渚さんが責任感じる必要はありません。そんなに自分を責めないで下さい」

 渚は幸村の手を振り解いた。

「子ども扱いすんじゃねーよアホ」

 渚はそう言って自分の部屋へ戻って行った。



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