第12話 湿布とか

 連れて来るんじゃなかったかなぁ……

 渚は今更ながらに後悔していた。美野里の運転する車に乗り込んで外の景色を眺める。両側から山が迫っていて、その山の裾野に大小の田んぼが広がっていた。

「なぎちゃん、ありがとね」

 不意に美野里がそう呟くと、助手席に座っていた渚は溜め息を吐いた。

「美野里さん、おばあちゃんになるんでしょ? なら、孫の為に息子の事、ちゃんとしといてやれ。四帆さんも、結婚したらあんたの娘だろ?」

 渚の言葉にぐうの音も出なかった。

「そうよね……」

「あとはもう八十過ぎたジジババの前で吸うなって言っとけ。ひ孫の顔見せる前にあの世逝きだぞ」

「その可能性も捨てきれないのよね」

 美野里は苦笑いを浮かべていたが、バックミラー越しに後部座席に座っている幸村をちらりと見た。

「ごめんなさいね。びっくりしたでしょう? でもうちはいつもああなの。でも一番喧嘩っ早くて口が立つのはなぎちゃんだから、いつもうちのコ達言い負かされてて……」

 美野里が言うと、幸村は静かに笑っていた。

「フォローしてんのか、してないのか分かんねーな本当。けど、冗談抜きで煙草は辞めさせとけよ。本人が肺癌になったら自業自得だけど、困るのは嫁と子供なんだから。そうでなくても受動喫煙で早剥、早産とかになっても可哀想なのに。日本は母子の死亡率が低いって言っても、ゼロじゃ無いんだから、可能性は一つでも減らすに越したことねーぞ」

「そうね」

 車はやがて林道に入った。杉の木が道を囲うように生えている。高い木々のせいか昼間なのに薄暗かった。

「あれ、何ですか?」

 幸村が不意に声を上げると、渚も窓の外を見た。森の奥に池が見えた。

「墓だよ」

 渚は無意識にそう口走っていた。美野里がそれを聞いて慌てる。

「なぎちゃん、違うわよ!」

「神座池つって、水の神様を祭ってるんだよ」

 渚が説明すると、美野里は運転しながら頷いて見せた。

「池の真ん中に祠があってね。龍になったお姫様が祭られてるの」

「龍?」

 幸村が不思議そうに首を傾げた。

「お姫様がね、水の底に住む龍と恋に落ちるのよ。でも結局恋は叶わなくて、お姫様、最期に池に飛び込むのよね」

 美野里の話に、幸村は何だか切なくなった。

「かわいそうですね」

「池に飛び込んだ姫の体を龍が岸に押し返したんだけど、お姫様はもう亡くなっていてね、お姫様の魂は龍になって、池の底で二人は幸せに暮らしたって話なんだけど……そうね、可哀想な話よね……」

 幸村はそれを聞きながらもう見えなくなった池の方を見つめた。

「本当に、二人は幸せに暮らしたんでしょうか?」

「単なる物語だアホ」

 渚が単語帳を眺めながら呟くと、幸村は困った顔をした。



 夜、幸村は自分の部屋でごろごろしていた。慣れない作業のせいか、少し肩がしんどい。

 一日ってこんなに長いんだなぁ

 と考えながら腕を後ろで組んで背筋を伸ばしたり、首を左右に傾けたりする。

 もう夕食もお風呂も済ましていたのでそろそろ布団を敷こうかと考えながら伸びをした。

 すると、渚がいきなり部屋に入って来て少し驚いた。昨夜同様、ボーダー柄のTシャツが目を引く。

「渚さん?」

「布団敷いてそこに寝ろ」

 幸村は急に何を言いだしたのかと困惑した。

「何でですか?」

「いいから早くしろ」

 渚に命令されるまま幸村が自分の布団を敷くと、渚も隣の部屋に自分の布団を敷いていた。幸村が困惑していると敷き終えて幸村の部屋に入り、眉間に皺を寄せる。自分が着ているTシャツの柄と渚は睨めっこをしているようにも思えた。

「良いから寝ろ」

 渚の言葉に、Tシャツの柄は関係無かったのかと少し安堵する。蛙がレッサーパンダの着ぐるみに着替えている姿の絵柄はダサいと言われなくて良かったと思った。思ったが、そうなると別の問題が浮上してくる。

「寝ろって……」

 昨日、友也に言われた事を思い出してほんのり頬が赤くなった。

 寝れません。そういうのって普通、三回目のデートとかでキスとかして『そろそろどう?』『まだ心の準備が……』みたいなやり取りを経てするものじゃないの? っていうかまだ高校生だしそういうのはまだ全然早すぎると思います!!

 と言いたいが、言葉にするのも恥ずかしくておずおずと布団に寝転がる。取り敢えず服を脱がされない様に胸の前に手をクロスさせ、エジプトのファラオのように横になった。

「違ううつ伏せ」

 待って、初めてなんです。

 声にならないまま、渚に言われるままにうつ伏せになると、いきなり腰を押えられて幸村は唸った。

「うっ……」

「休みならがやれって言ったのに見栄張ってやるから……あ、ここも」

「いっ痛いですよっ」

 渚が指や肱でぐりぐりと筋を押すと幸村は痛みを堪えていた。

「あ〜肩と腰、張ってるな。シップ貼っとくから起きたら自分で剥がせよ」

 そう言って幸村のシャツを剥がして腰に触ると、幸村は短い悲鳴を上げそうになったが堪えた。

「ちょ……渚さん……」

「お前腎臓が少し弱いな」

 渚がそう言いながらシップを貼ると幸村は目を丸くした。湿布の感触がひんやりする。

「え、触ったくらいで解かるもんですか?」

「母も腎臓が悪いんだ。母程では無いけど、大人になってもあんまり酒は飲まない方が良い」

 偶に、渚さんて何者なんだろうと思う。

 渚が一通り筋肉を揉み解してからシップを貼っていると、渚の部屋の障子が開いて友也が顔を覗かせた。

「渚、爺さんがシップ探してるんだけど知らな……?」

 幸村の腰にシップを貼っている渚の姿を見て、友也がどんな想像をしたのかは手に取るように解かった。

「お前らそういう……」

「違うんですっちょっとした間違いで……」

 幸村の言い方が完全に悪かった。渚は気にせず新しい湿布を幸村の脹脛に貼っている。

「ん。後で行く」

 渚はそう言ったが、友也は渚と幸村の顔を交互に見ると青い顔をして廊下を歩いて行く。

「ちっ違うんです!」

「あ~……良いから動くな」

「渚さんっ完全に勘違いされましたって!」

「勘違いしたい奴にはさせて置け。明日筋肉痛で動けなくなる方が困る」

 渚は平然とそう言って幸村の肩の所に湿布を貼る。

 渚はまだ顔を真っ赤にしている幸村を見て瞳を泳がせた。

「気にするなって」

「気になりますよ! 女の子なんですからその……もうちょっと……」

 幸村はどう言えば良いのか分からなかった。

「異性だと思わなければ良いだろ」

 渚の言葉に幸村は眉間に皺を寄せた。

「渚さんは女の子です!」

 幸村が怒鳴ると渚は溜息を吐いて部屋を出る。幸村は両手で顔を押さえると、赤面したまま苦悩していた。



 友也は赤面しながら誰も居ない居間の柱におでこをつけていた。

 見てしまった見てしまった……ああ、まさかあの渚が都会に染まってそんなになってしまって居ただなんて……

 ゴンッと音を立てて柱に頭突きするとおでこが少し痛い。けれどもその痛みよりもさっきのショックの方がはるかに上回っていた。

「柱に喧嘩売るのが田舎のたしなみにでもなったのか?」

 気が付くと、後ろに渚が立っていた。友也は渚を一瞥したが再び柱に頭を打ちつける。

「……俺だって触った事ないのに……」

 従兄妹で、昔からよく遊んでいて、何時しか恋が芽生えていたのに、あんな都会者に横取りされたと思うと腹立たしい。

「は? 一緒に風呂入っただろ」

「小学校低学年の頃の話しなんかしてねぇよ!」

「面倒臭ぇ男だな。敏と一緒に凸凹神社にでも行って来いよ。そう言うのが沢山展示してあるんだろ?」

 そういう問題じゃ無い。こいつはどうかしてる。というより、昔から少し頭がおかしいんだ。何かこう男性気質と言うか男らしいと言うか……

「とにかくあいつとはお前が思っている様な関係じゃねーから冷やかして虐めるんじゃねーぞ」

 渚がそう言ってその場を離れようとすると友也は唇を噛み締めた。

「別に隠す事無いだろ。お互いの肌を曝す様な関係なんて……」

 『いや、オレ脱いでないし……なんか言い方考えろよ』と言いかけたが、渚は溜め息を吐いた。

「回し一つで抱き合っている力士はさぞ悪い噂が立っているんだろうなぁ」

 そう吐き捨てて行ってしまった。裸同然で抱き合っている相撲やプロレスと同じだと言いたいらしい。友也は納得出来なかった。

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