第7話 入部

 幸村は顧問の先生に入部届けを提出して演劇部の部室へ向かった。だが、今日は渚の姿が見当たらない。そんな幸村の様子を見て、舞台セットに刷毛で色を付けていた葵が声をかけた。

「おう、深森、どうした?」

「今日は渚さん、お休みですか?」

「あいつなら家庭科室だよ。衣装担当の子が休んでて……多分間に合わないだろうからって」

 葵がそう言うと幸村は一目散で家庭科室へ向かった。そんな幸村の様子を見て葵は首を傾げていた。

 幸村が家庭科室へ着くと、渚が黙々と衣装を繕っているのを見て目を丸くしていた。渚も、いきなり家庭科室へ入って来た幸村と目が合って直ぐにそらす。

「今、演劇部が借りてるんだけど?」

「知ってます。何かお手伝いしましょうか?」

 幸村の言葉に再び渚は幸村の顔を一瞥したが手は止めなかった。

「今日から演劇部に入部した深森です」

「ふ~ん……」

 渚が鼻を鳴らしてそう言うと、再び幸村を見つめた。

「は?」

「入部届けちゃんと出してきましたから、文句無いですよね?」

 直ぐに渚の舌打ちをする音が聞こえた。幸村が椅子を引いて据わろうとすると渚は近くにあった段ボール箱から布を取った。

「これミシンかけて」

 渚がそう言って教室にある機械を指差すと、幸村は目を瞬かせた。ミシンなんて、小学校の家庭科の授業で二回程触ったきりで使ったことがない。

「あの……使い方教えて頂けますか?」

「てめぇは一体何しに来たんだよ?!」

「使ったことがないものですから……」

「もういい。これの仕付け糸取ってくれ」

 渚は呆れたのか大きな裁断台に山積みされた衣装を指差した。幸村が素直に従って作業をし始めると、渚は箱を持ってミシンの前に座った。

「電源入れて足元踏み込めば動くだろ。アホ」

 渚がそう言って作業を始めるとあまりの作業の早さに見とれていた。段ボールに山積みされていた布が、あっと言う間に無くなって服の形になって行く。幸村はそんな渚の姿を見て感心していた。自分も負けない様にと仕付け糸を取って行く。渚は縫い終わった服の糸の始末をするとアイロンをかけ、衣装を畳んで幸村を見た。軽く溜息を吐きながら針山に刺さった針を一本取る。

「上着貸せ」

 渚に言われるままに上着を脱いで渡すと、渚は手早く千切れかけたポケットと解れた肩の部分を繕っていた。

「今日はノアさん、居ないんですか?」

「ピアノ教室があるから先に帰らせた」

 幸村の質問に答えながらも全く手を止めようとしない。正直、少し危ないと思う。幸村がやっと全部の仕付け糸を取り終わる頃にはもう渚は繕い終えて片付けまでしていた。幸村も片付けて畳まれた自分の学生服を見ると綺麗に直っているのを見て少し笑った。

「有難うございます」

「ついでだ馬鹿。解れた服を治してくれる彼女もいないのか」

 幸村が嬉しそうに上着に袖を通すのを見て渚は呆れた様に軽く溜息を吐いていた。

「生憎女の人には縁が無いもので」

「だろうな」

 渚はそう言うと段ボールを持って廊下へ出た。幸村ももう一つの段ボールを持って急いで家庭科室を出る。渚は教室の鍵を閉めると演劇部の部室へ向かいながら雨が降り始めた事に気付いていた。

 部室に戻ると、もう皆解散してしまったのか誰も居なかった。部室の隅に段ボールを置き、一枚ずつ取ってハンガーに掛けると幸村も真似をする。衣装を全部掛け終えると、渚が鞄を手にとって電気を消して部室の鍵を閉める。渚は徐に鞄の中を探しだした。

「置き傘は?」

「え? いいえ。」

 幸村はそう言いながら窓の外を見ると、やっと雨が降っている事に気付いた。そんな幸村を見て、渚は鞄の中から折り畳み傘を出した。

「明日返せよ」

「え、良いですよ」

「玄関にもう一つ傘があるんだ。入部そうそう風邪引かれたら困る」

 渚がそう言って投げると幸村は折り畳み傘を受け取った。

「有難うございます」

 職員室へ鍵を返しに行く渚の後姿を見て幸村は少し目を細めた。何だかんだ言って優しい人だと思う。玄関に向かって傘置き場を覗くと双海と書かれた傘が無いのを見てそこで渚が来るのを待っていた。



 渚が玄関に行くと、まだ幸村が居る事に少し驚いていた。さっさと帰れと言いたげな顔をすると先に幸村が口を開いた。

「置き傘があるって嘘ですよね? 一緒に帰りませんか?」

「は?」

 そんな筈は無い。何時も急な雨のために一本置き傘をしてある筈だ。それだけは忘れる筈は無いという自負もあったが、傘置き場を確認して真っ先に兄貴の顔が浮かんだ。

「……あいつ……」

 急に雨が降って来て、置き傘がある事に気付いた兄貴が勝手に使って帰ったのだろう。渚が頭を抱えていると幸村が折り畳み傘を開いた。

「家まで送りますから」

 渚はそれを聞いて溜息を吐くと幸村の隣に並んで傘の下に入った。雨の降る外へ歩を進めると真っ先に幸村が口を開く。

「そう言えば見ましたよ? 学年テストの順位……すごいですね」

 幸村にそう言われて渚は隣に居る幸村の顔を見上げた。学年テスト? ああ、そう言えばテストを受けた様な気はするが、もう順位が貼り出されていたのか……全然気にして見てなかった。

「……ふ~ん……」

「嬉しくないんですか?」

「興味ねぇんだよ。そういうの……」

 正直言って順位よりも自分が一体何処を間違えたのかという所の方が気になる。さっさと答案用紙を返してくれれば調べて答え合わせも出来るし間違えた所を単語カードに記入してちょっとした時間に復習する事も出来る。だが、何処を間違えているのかが解からなければそれが出来ない。それが正直言って歯痒い。

「渚さんて、頑張りやさんなんですね」

 幸村の言葉に渚は目を丸くして驚いていた。

 は? こいつは一体何を言っているんだ?

「今度の演劇は何をするんですか?」

「付属幼稚園で白雪姫をするんだよ」

「それは楽しそうですね」

 そんな話をしている間に渚の家の前に着くと、幸村はにっこりと笑った。

「良いですか? 夜中に一人でうろちょろ……」

「さっさと行けタコ! 風邪引いてもしらねぇからな!」

 幸村の言葉を遮る様にそう吐き捨てて玄関のドアを閉めると幸村は少し困った様な顔をしていたが、そのままその場を後にした。渚は覗き穴から幸村が行ってしまうのを見送ると大きく溜息を吐いて玄関に上がった。


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