第6話 部活

 春、入学式を終えた渚はノアと一緒に演劇部に入部していた。元々帰宅部だった葵もノアが演劇部に入部する事を聞きつけて入部したらしい。渚は溜息を吐きながら釘を咥えると慣れた手つきで組み立てて釘を打つ。ノアは家庭科室で衣装の手伝いをしているが兄貴は自分から少し離れた同じ部室内で他のセットを組み立てているので正直ホッとしている。そもそも、何で兄貴とノアが付き合う事になるんだと腹を立てながらハンマーを振上げていた。

「危ないですよっ」

 いきなり振上げた腕を後ろから掴まれて渚は目を丸くした。振り向くと、そこには学生服姿の幸村が立っている。

「釘とか口に咥えるのやめて下さい! 咽に刺さったらどうするんですかっ」

 幸村の声で、部室の中がシーンとなった。勿論、部員全員の視線が渚と幸村に注がれている。渚は舌打ちして幸村の腕を振り解くと口に咥えていた釘を取って作業を続けた。

「深森、ほっとけって」

 渚の性格を一番良く解かっている葵が幸村に近付いて声をかけるが、幸村は渚の隣に座り込む。

「小道具とか衣装に回して貰った方が良いですよ」

「うぜぇ」

 この女の子扱いと言うか、幼い子供相手に言い聞かせている様な幸村の言い方に渚はイライラしていた。正直言って、話しかけて欲しくないし眼中にも入って欲しくない。出会いからしてこんな調子だったものだから尚更そう思うのかも知れないが……

「演劇部は男子が少ないから渚にも大道具やってもらってるだけだって。な、な、もう触るな。殴られるぞ」

 葵が冷や冷やしながら幸村に声をかけるが、幸村はそこを離れようとしない。それどころか図面を見て、セットを組み立てようと木材に手を伸ばす。

「邪魔しに来たならさっさと帰れ」

 渚が口を開くが、幸村はそれでも手を止めない。

「手伝いに来ました」

「てめぇは部員じゃね~だろ」

「部員じゃなかったら部活動の手伝いをしてはいけないって決まりでもあるんですか?」

 渚の舌打ちをする音が部室に響くと葵は冷や汗を流していた。

 正直言ってこの手の男は嫌いだ。何を言っても聞きやしない。相手が正論を言っているだけに、下手に手を出す事も出来ない。

「自分の部活に行けよ」

「帰宅部です」

「じゃぁ帰れ」

「演劇部に入部したら手伝っても良いんですね?」

 幸村の言葉に渚の眉間には皺が寄っていた。

「ふざけんなよ、ど素人」

「素人は入部出来ないんですか?」

 二人のやり取りを見ていて一番はらはらしていたのは葵だった。何処かで合い中に入って止めてやらなければ、どちらも引く気は無いらしい。

「勝手にしろ」

 渚の言葉に葵はほっと息を吐いた。幸村も少し笑って作業を進める。

 正直言って、幸村が一体何を考えているのか渚には解からなかった。初めて会った時にも自分を女だと気付いて心配して声をかけてきたし、今だって女扱いされている。それが何とも居心地が悪かった。



 部活が終わると葵がノアを送って帰ろうとするのを見て渚が止めに入った。渚がノアを家まで送ると言い張ったので葵が肩を落として居ると、その状況を目にしていた幸村が葵に声をかけた。

「あ~あ、渚が居なけりゃ送り狼になれたのになぁ~」

「葵さん、最低です」

 葵の独り言に幸村が口を挟むと葵は自分よりも少し背の高い幸村を見上げた。

「あのさ、なんか渚に突っかかってるけどあいつは止めた方が良いぞ? あいつの得意技はな、回し蹴りと肘鉄と……」

 葵が指折り数えながら話しているのを聞きながら幸村はニコニコと歩を進めていた。最近までただのクラスメイトだった葵とこんな風に話をしながら帰れるだなんて夢にも思っていなかったから正直嬉しい。

「少し不器用ではありますけど、とても可愛らしい子ですよ?」

 幸村の言葉に葵は目を点にして驚いていた。何かおかしな事を言ってしまっただろうかと思いつつも、葵の様子を伺う。

「……そうか、深森はドMだったのか……」

「……なんで渚さんが葵さんの事を嫌っているのか何となく解かる気がします」

「まぁ、いいや。あんな妹で良ければ何時でもやるよ。あいつあんなだから彼氏も居ないし……」

 葵がそう言うと、幸村は少し笑って見せた。



 渚は家に帰り着くと誰も居ない玄関の鍵を開けて家に入った。両親は共働きで、二人とも夜遅くになるまで帰って来ない。夜勤の時は尚更。渚は二階に上がってベッドに鞄を放り投げると制服を脱いで部屋着に着替えた。上下スウェットで後ろポケットに財布を入れ、一階に降りると冷蔵庫の中から牛乳を取り出してコップに注ぎ、一気に飲み干してパックを流しに置いた。

 卵と牛乳がもう無いな。

 渚は脱衣所に向かうと家族全員の洗濯物を大きな袋に詰め込んで家を出た。家から一番近くのコインランドリーまで走って行って洗濯物を放り込むと、お金を入れて腕時計を見る。時間を確認してからコインランドリーを後にすると更に商店街まで足を伸ばして夕飯の買出しに向かった。適当に食材を購入してコインランドリーへ戻ると丁度洗濯が終わった所だったので洗濯物を取り出して家に帰る。お風呂に水を溜めながら家の中に洗濯物を干し、お風呂を沸かしながらテレビを点け、ニュースを聞き流しながら夕食の準備にかかる。四人分の夕食を作り終えても誰も帰って来ないので、自分の分だけテーブルに並べ、後はラップに包んで冷蔵庫に放り込む。小さなテーブルに椅子は四つ用意されているが、この椅子が埋まった事は一度も無かった。渚は適当に食事を済ませて食器を洗い終えるとテレビを消して風呂に入った。風呂から出てジャージに着替えた時、やっと兄の葵が帰って来たので渚は軽く溜息を吐いた。

「風呂沸いてる」

「あ、悪い。入る」

 葵が二階へ駆け上がって行くと、渚も二階へ上がった。入れ違いに葵が部屋から出てきて一階へ降りて行くのを見送ると、風呂の扉が閉まるのを聞いて部屋に入る。単語カードを一つ持って部屋を出ると、渚はダイニングのソファーに座って単語カードをパラパラと捲りながら眺めていた。時間を見計らって作っておいたシチューを温め直すと、葵の席に作っておいた料理を並べる。葵が風呂から出てくるのを見計らって自分の部屋に戻るとベッドに放り投げた鞄から教科書とノートを出して机に向かった。宿題と予習復習を終えるとお気に入りの参考書を開いて読み進める。よく解からない単語や数式は単語帳にメモして持ち歩くのが渚のスタンスだった。左耳にだけイヤホンをして英会話のCDを聞きながらノートに綴りを書いて、合っているかどうかを和英辞典で調べながら間違えた単語を英単語カードに書き込む。

 ふと、玄関のドアが開閉する音を聞いて気付いた様に時計を見た。もう夜中の二十三時半になっている。渚はCDラジカセを止めるとイヤホンを取って部屋を出た。一階に降りるとテレビを点けてソファーでぐったりとしている母の姿が目に映る。

「今、夕飯温めるから」

「あ、ごめん起こしちゃったのね。良いのよ。おなかすいてないから」

 母の疲れた声が聞えると、渚は少し目を細めた。

「身体に悪いよ?」

「良いのよ。あ、コンビニに行くなら珈琲買って来て」

 渚は大きな溜息を吐くとそのまま家を出た。家の前で軽く準備運動をすると勢い良く夜の街を走り抜ける。まだ冷たい風が頬に当たって少し痛い。渚はコンビニが視界に入るとゆっくりと歩きながら息を整えた。

 ……またあいつが居たら厄介だ。

 ふと、脳裏に幸村の顔が浮かんで足が止まった。そっとコンビニの中を覗くが、幸村の姿は見当たらないのでほっと胸を撫で下ろす。コンビニに入って温かい珈琲を二つ購入するとレジを済まして外に出た。

「あ、やっぱり居た」

 ふと、聞き慣れた声が聞えて渚は周りを見渡した。暗い路地の向こうから、誰かがこっちに近付いて来る。街灯に照らされてそれが幸村である事が解かると渚は眉間に皺を寄せた。幸村が近付いて来て、渚の持っていたレジ袋を取り上げて歩き出す。

「家まで送りますから、これからは二十一時以降は家で大人しくして下さい」

「小学生か」

「小学生の方がまだ素直に人の言う事を聞きますよ?」

 あ~うぜぇうぜぇうぜぇうぜぇ……

 渚がイライラしていると幸村は渚の目の前に小さく折り畳んだ紙切れを差し出した。渚がその紙と幸村の顔を交互に見ると幸村はにっこりと笑う。

「何かあったら何時でも連絡下さい。何時でも商品届けますから」

 幸村の言葉に渚は深い溜息を吐いた。こいつは一体何なんだと考えながら紙を開くと携帯番号とメールアドレスが書かれていた。

「よくこう言う個人情報を他人にほいほい教えられるな」

「え? 友達だからですよ?」

 何だそれは。友達? 誰がお前なんかと?  渚はそう考えると目の前で紙を丸めてコンビニのゴミ箱へ放り込んだ。

「勘違いするな」

 渚は幸村からレジ袋を取ると、帰路についた。


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