第5話 葵と渚

 ガタンッ……と大きく自分の身体が揺れてふと気がついた。どうやら車の後部座席で眠入っていたらしい。どれくらいの時間熟睡していたのか解からないが、双海 葵は眠気眼を擦ろうとした。

「……?」

 自分の両手が自由に動かない事に少し驚きながら腕を見ると、ロープで縛られた手首が目に入った。外そうともがくが一向に縄が緩む気配が無い。

「おい、こいつ起きやしたぜ。」

 マスクで口を覆った様な、くぐもった男の声が聞えて葵は周りを見渡した。自分の隣に、黒いニット帽に黒いマフラーをグルグルに巻きつけた男がじっとこっちを見ている。新調したばかりの様な綺麗なスーツや黒縁眼鏡が葵の記憶をくすぐる。その男の目には覚えがあった。

「あっ……!」

 葵はやっと思い出して咄嗟に声を上げた。けれども車の外を見ると見た事の無い暗い林道を走っていてココが何処なのかもよく解からない。

「さぁ、縄外してやっから電話かけな」

 男がそう言って葵の目の前に携帯を見せると葵の顔が真っ青になった。スマートフォンの黒い画面に自分の顔が鏡の様に映り込む。

「大丈夫だってこっちの言う通りにしてくれりゃぁ、何もしねぇから」

 運転席から別の男の声が聞こえて来た。バックミラー越しにマスクをした男の顔がちらりと見える。葵の脳裏に『誘拐』の二文字が浮かんだ。

 遡る事ほんの三十分前の事だ。葵が何時も通り授業を終えて学校から程近いコンビニで立ち読みし、店を出た所で見知らぬ男二人に声をかけられたのだ。

「双海 葵君だよね?」

「そうですけど?」

 スーツ姿の黒縁眼鏡をかけた大人に声をかけられて葵は少しドキッとしていた。自分が今入っていたコンビニで何の本を立ち読みしていたのかを見られていたのだろうかと思いつつも、紳士的な態度のその二人を何度も見返す。

「実はこの近くでアンケート調査しているんだけど一緒に来てくれないかな?」

「ええ~?」

 胡散臭いと思うよりも先に面倒臭いと思った。そもそも何でアンケート調査の人が自分の名前を知っているのだと疑問に思う事なく早く家に帰りたいと言う願望が先に来て思考回路が正常に働いていない。今ココに妹が居たなら、そんな面倒臭い事は全部妹に押し付けて自分はさっさと帰ってしまうのだが、生憎今日は自分にとって都合の良い妹が手頃な場所に居ない。

「何かめんどぅ~」

 葵の言葉に二人は顔を見合わせると阿吽の呼吸でお互いに話を切り出した。

「そんな事言わないでさぁ~」

「今から家帰ってネットサーフィンするの!」

 葵がそう突っぱねて家に帰ろうとすると、一人が手を叩いて持っていた鞄から何か雑誌の様なモノを半分だけちらりと見せた。

「今ならJカップのアダルト女優・横峰AIRIのヌード写真集つけるよ?」

「あ~これまだ中学生じゃぁ手が出せないよなぁ~」

「行きます!」

 勢い良く振り向いて右手を挙げ、ニコニコと男達に着いて行き、車に乗せられた後クロロホルムみたいなものを嗅がされてそのまま意識を失ってしまったのだ。

「くっそやられた!」

 葵が悔しそうに足をじたばたさせると、林道の奥で車が停車して男達は顔を見合わせた。

「お前なぁ、学校帰りにコンビニでエロ本立ち読みしてるなんてお前くらいなもんだぞ?」

「あそこ入学金だけでもバカみたいに高いんだろ? 親泣くぞ?」

 誘拐犯の説教に葵は何も言い返せなかった。そもそも、「こんな人攫いみたいな事をしたらあんた達の親が泣くぞ」と言い返してやりたいが、今はエロ本一冊に釣られて誘拐されてしまった自分が情けない。

「お前さ、確か妹が居たよなぁ?」

 徐に運転席に座っている男が何か履歴書の様な写真付きの資料を葵に見せた。何故か、その写真には化粧をし、ドレス姿の自分の顔に良く似た女の子が映っている。

 ああ、夏の演劇の写真か……

 その写真が貼り付けられた紙には『双海 渚』と大きく書かれ、その下に燕綾中学三年、女、先月の学年テスト上位三位、演劇部所属、双海院長の娘等と家族構成まで事細かに書かれている。自分だったならこの最後の一覧に「歩く兵器」と書き足すだろう。

「正直言って本当は妹の方を誘拐したかったんだけどよ、学校とかお前の自宅周辺を三日張り込んだのに見付からなくて……」

「で、しゃぁねぇからお前を誘拐したんだけどよ、おじさんたちの気持ちお前になら解かるだろ? どうせ誘拐するなら野郎よりも可愛い女の子の方が良いって」

 運転席に座っている男と自分の隣に座っている男とが交互に話すと、葵も頷いて見せた。

「確かに、俺もおじさん達に誘拐されるよりもビキニ姿のお姉さんに誘拐されたい……」

「悪かったなぁ」

 隣に座っている男が溜息混じりにそう呟いた。

「……で、お前解放してやるから妹を電話で呼び出してくれよ」

「え~?」

 解放してもらえるのはありがたいが、そのためにあの自分そっくりな妹に電話をかける事に少し躊躇いを覚える。後で殴られそう……と考えていたのだが、それを妹の身を心配した当然な態度だろうと男達は考えた。そこで再び視線を通わせてあの雑誌を鞄から取り出した。

「電話かけてくれたら読ませてやっても良いぞ」

「かけます!」

 葵の歓喜が車の中に響くと、男達は顔を見合わせて少し溜息を吐いていた。こんな兄貴を持った妹が可哀想だと肩を落とす。隣に座っていた男が葵の縄を外し、自由になったその手に葵から奪った携帯を握らせた。葵はワクワクしながら慣れた手つきで電話をかける。スマートフォンを耳に当て、何度か聞き慣れた機械音が鳴って声が響いた。男に促されるままにスピーカーの音量を一番大きくして、周りに電話の内容が聞える様にボタンを押す。

『……もしもし?』

 可愛らしい少女の声が車内に響くと、男達は顔を見合わせてにこりと笑う。

「あ、渚? 悪ぃんだけど迎えに来てくれねーか? 財布落としちまって……」

 男達は葵の言葉を聞いてガッツポーズをした。だが、妹の返答は男達が期待していたような回答ではなかった。

『……自分の住所くらい解かるでしょ? タクシー使って帰って来なさい』

 あれ? と葵の頭の中にハテナマークが浮かんだ。今日は何だか機嫌が良い様だ。何時もと違うその受け答えに葵は少し頭を傾げていた。

「あ、待て待て切るな!」

 会話の下りからさっさと妹が電話を切ろうとする姿が脳裏に浮かぶ。何とかして妹を呼び出してさっさと自分は解放して貰いたい。

「実は、お前にぴったりの彼氏がな……」

 他に話が思い浮かばずにそんな事を口走ってしまった。電話の向こうで渚が訝しげな顔をしている姿が思い浮かぶ。

『そんな事をしている暇があるなら英単語の一つでも覚えなさい』

 そう言い終わると、プツンと音を立てて電話を切られてしまった。

「……だよなぁ~」

「ちっこれだから金持ちの家の子供は……」

「この際さ、親に身代金要求して妹に受け渡しに来させてそのままトンズらなんてどうだ?」

 男達が悩んでいる間に、葵はそっと男の鞄から例の雑誌をくすねて一ページ目を開いた。ニヤニヤと笑みを浮かべていると、隣に座っていた男が気付いて取り上げる。

「ああっ」

「続きが見たかったらもう一回電話かけな」

「え~?」

 葵の不満そうな声に運転席に座っている男が睨みをきかせた。

「見たく無いのか?」

「見たいです」

「素直でよろしい。今度は親に電話かけな」

「多分両方出ないと思うんだけど……」

 葵がそう言いながら携帯で電話をかけるが、案の定二人とも繋がらない。

「ほら」

「仕事先の病院に……」

「家に帰れば院長室直通の番号解かるけど俺登録してないし……」

 葵がふてくされた顔でそう言うと、男達は再び悩んでいた。その間に再び写真集をくすねようとするが、今度は憚られる。

「よし! じゃぁやっぱり妹だ! 妹に電話かけろ!」

「え~……」

 不満そうな葵の声が車内に響くと、隣に座っている男がエロ本をちらつかせる。

「続き読ませてやるから」

「かけます」

 ふてくされた顔が一気に笑みに変わり、そそくさと妹に電話をかける。葵は早くそれが見たくてたまらなかった。

『もしもし?』

「渚、俺だけど……」

 そう言いかけると咄嗟に隣に座っていた男が携帯を取り上げた。

「おいお嬢さん、あんたの兄貴は預かった。兄貴の命が惜しかったら三百万用意しろ」

 ココで驚き慌てる可愛らしい少女の姿を男達は脳裏に浮かべていたのだが、葵だけは違った。

『三百万……?』

「用意できねぇだろうからちゃんと院長先生に電話かけて用意してもらいな!」

 男達がニヤニヤと笑みを交わす中、葵は自分の両耳を塞いだ。

『ふざけるな!!』

 あまりに大きな声に男は携帯から自分の耳を離した。電話口から車の中にどすのきいた声が響く。

『他人の兄貴攫っといて三百万だぁ? そんなはした金のために誘拐なんかしてんじゃね~よ! 一千万用意するから一時間後に雪中公園まで来い! 解かったか!』

 プツンと電話が切れると、三人は顔が青ざめていた。

「え? え? これ、本当にお前の妹?」

「何? 三百万がはした金だから一千万用意する? しかも時間や受け渡し場所を向こうから指定してくるか普通……」

 そう言い合いながらもまだ三人の心臓は早鐘の様に高鳴っている。もうビックリを通り越して何が何だか解からない……

「あ~……間違い無く俺の妹です……」

 葵がそう言うと、男達は必死に落ち着こうとしてお互いの顔を見つめあいながらヒイ・ヒイ・フーと何故かお産の時のかけ声をかけ合っている。

「お前がエロ本なんか立ち読みしてるから妹がグレちまったんだろ!」

「そうだ! お前の妹は双海院長のお嬢様だろ? それをこんな阿婆擦れにしやがって! こないだの公演で見かけた時はすごいしおらしくて可愛いお嬢様だったのにぃ……!」

 まるで悲鳴の様な男達の声に葵は冷や汗をかく。

「いや……って言うか、舞台に立つ女って化粧もしてるし、カツラだし、胸は上げ底だし、声色も変えてるし……私生活もそのままだと勘違いするのは観客だけであって現実はそう甘くは……」

 葵が呟く様に言うと、男二人は自分の頭を抱えてこう叫んでいた。

「騙されたぁっ!」


 間近に迫る春の風を頬に感じながら、葵は公園のベンチに座って男から借りた雑誌をニヤニヤしながら読んでいた。その両脇に例の男達が腰掛けて公園の時計とじっと睨めっこしている。左隣に座っている男はマスクを外し、最後の一本になったタバコをふかしている。男は徐にタバコの灰を落とすと口を開いた。

「なぁお前、働いた事あるか? 俺は時給六百五十円で必死にそれこそ掛け持ちで十時間働いて一日六千五百円だ。一ヶ月で十三万円。それを全部貯金してたって二年近く働かないと三百万なんて大金手に入らない。なのに、それをはした金だと言われたんだぞ?」

「ん~……渚はそういう事言ったんじゃ無いと思う……」

 一度読み終わった写真集を再度読み返しながら葵が呟くと、男達は顔を見合わせた。公園の街灯に照らされて二人の顔がよく見える。

「確かに三百万って言ったら俺達でも大金だよ。毎年のお年玉でさえ二十万程度なんだから」

 「何かムカつく」眉間に皺を寄せながらも男達は言葉にしないまま葵の話を聞いていた。

「子供一人成人させるまで育てるのに大体平均一千万くらいかかるって言われてるだろ? それから考えれば三百万なんて少なすぎるって言う意味なんだろうよ。大体、三百万なんて二人で分けたら百五十万だろ?一年生活するのでいっぱいいっぱいの金額なんじゃ無いの?」

 葵に聞かれ、男達はお互いに視線を交わした。

「それは、金持ちの家に生まれた人間の言う事だ」

「俺達みたいに元々貧乏育ちで貧乏が身に染みている奴にとっては人一人攫って三百万要求するのが妥当だと思ったってだけさ」

「そうかぁ……お袋さん俺みたいな人間にそんな大金かけて育ててくれてたのかぁ……」

 溜息混じりに男達はそう呟きあう。「平均だからね」と葵は言いたかったが感傷に浸っている二人を見て言い出せなかった。

 葵が雑誌を読み終わると右隣に座っている男の膝にポンッと載せた。男は少し驚きながらも葵の様子を伺う。

「協力してくれたんだから良いぜ? 持って帰っても……」

「いや、持って帰ったら妹に目の前で燃やされるから良い」

 葵の言葉に納得しながら男が雑誌を鞄に片付けると、コツコツと誰かが歩いて来る音が聞こえて来た。音のする方へ三人が視線を送ると、葵に背格好の良く似た少女が肩掛けバッグを持ってこちらへ歩いて来る。上下ジャージで短髪なので、一見、男の子かとも思われた。顔も葵と瓜二つだが、切れ長な目がキツイ印象を与える。

「お嬢ちゃん、金は持って来たんだろうな?」

 そう言って吸い終わったタバコを投げ捨てて立ち上がると、渚は何も言わずに男達の目の前に鞄を放り投げた。もう一人も立ち上がって一目散に鞄に近付く。男達がその鞄に気を取られているといきなり一人の男の腹部に衝撃が走った。

「うぐっ」

 呻く男の声を聞いて鞄の中身を確かめようとしていたもう一人の男が顔を上げると、いきなり顔面を殴られて後ろに反り返る様に転げた。

「いきなり何す……」

 最後まで台詞を言わせる事なく男二人が殴られると、葵はそっと逃げようとしたが自分の妹に首根っこを掴まれた。

「おい」

 葵の額から冷や汗が流れ、恐る恐る振り向くと、そこには自分そっくりな顔をした妹がすごい形相で睨み付けている。

「高校生にもなって誘拐されてんじゃね~よクソ兄貴!」

 拳で勢い良く左頬を殴られると葵は喚いた。

「べっ……別に誘拐されたくて誘拐されたんじゃ……」

「どうせエロ本読ませてやるから着いて来いとか言われてノコノコ誘拐されたんだろ」

 図星を刺されて葵は何も言えなかった。腹やら背中やら顔やらを殴られて何処が痛いのかもよく解からない。そのうち気が遠くなりながら逃げようとしていた誘拐犯達の悲鳴だけが耳に残っていた。

 次に葵が目を覚ました時には警察の人やパトカーが公園に到着していた。直ぐ近くで、警察から事情聴取を受けている妹の声が聞える。

「兄の携帯からいきなり電話がかかって来て、兄の命が惜しかったら一千万よこせって脅されて……」

 さっきとは打って変わって、舞台用の声色で可愛らしく喋っている妹の声が耳に響いた。

「で、受け渡し場所に来てみれば兄さんはボロボロだし、身代金渡したらその取り分で揉めて仲間割れし始めるしでもう怖くて……」

 よくもまぁ、自分が殴りつけておいてそんな歯の浮く様な台詞を言えたものだと葵は感心していた。さすが演劇部で部長をする程の実力はあるだけに、筋の通ったシナリオをでっち上げるのもお手の物だ。すると少し離れた所から誘拐犯の一人の声が聞こえて来た。

「違う! 俺達は仲間割れなんかしちゃいねぇ! あいつが……」

 パトカーに押し込められようとしている男の顔を見ると、左目が潰れて青くなっている。最初に会った時きちんと着こなして居た綺麗なスーツもよれよれのボロボロになってネクタイも引き千切られていた。食い入る様に事情聴取を受けている渚を睨みつけると渚も男の顔を見返した。

「仲間割れしたんだよなぁっ?」

 威嚇する様に渚が吐き捨てると、男は顔を真っ青にして頷いて見せた。

「……しました」

 うな垂れながらパトカーに乗せられるとパトカーはサイレンを鳴らしながら公園を後にした。葵も事情聴取を受けたが、言えば今以上にボコボコにされてしまう恐怖から本当の事など口が裂けても言えなかったので、妹のシナリオ通りに話を合わす事しか出来なかった。後から聞いた話だともう一人の犯人は前歯を四本折られていてまともに喋れる様な状態では無いらしい。正に殺人的なジキルとハイド並の二重人格者だと葵は思った。



 父の病院に搬送されて渚の目の前で手当てを受けていると父は兄の怪我の具合を見ていた。

「上手にやったなぁ、全部急所を外しているぞ。仲間割れに巻き込まれなくて良かったなぁ」

 渚の性格を知っている父は葵の怪我の具合を見ながら真相を察していたのだが、ニコニコと笑いながらそう言った。

「柔道に通わせていたのは確か葵の方だった筈なのになぁ」

 少し溜息混じりに言う父の言葉が葵の心に深く刺さった。自分は面倒臭い事が嫌で、何かにつけて妹を自分に仕立て上げて柔道に通わせて居た事はとっくにばれている。真面目に自分が通って居たなら、あんな二人組みに誘拐される事も無かっただろうにと言う親心に添えない自分が少し情け無い。

「あ、そう言えば渚、俺が最初に電話かけた時にもう何か気付いてたよな?」

 葵が入り口の前に置かれたパイプ椅子に座って参考書を読んでいる自分そっくりの妹に視線を落としてそう言った。

「ん。兄貴からの電話って言ったら大抵、塾とか習い事に行くのが面倒臭いから代わりに行ってくれとかなのに、財布を落としたから迎えに来いって言う意味不明な言葉で周りに誰かが居る事は察しがついた。携帯切ってからGPS検索したら兄貴の居場所は解かったし、父さんに電話かけて一応直ぐに五千万は用意出来る様に連絡しておいたし……」

「五千万……」

 あの数分の会話からそこまで察しのつく妹の思考回路に驚きを隠せなかった。そしてその手際の良さに関心してしまう。

「億要求するなら総理大臣の孫辺りを誘拐するだろうし、医者の息子なら一千万から五千万が妥当だろうと察しが付く。それを三百万だなんてはした金要求するからボコってやった。三百万くらいで医者の息子を誘拐なんてするんじゃねーって」

 怒りの論点には少し疑問を持つが、あの二人が渚に殴られながら懇々と説教されていた姿が目に浮かぶ。

「まぁ、無事で良かった」

 妹が呟く様にそう言うと、葵は目を瞬かせて再び渚を見つめた。だが、やはり参考書を読み進めている。

「素直じゃないなぁ。塾から電話があったぞ? 葵からの電話の後、テストほっぽり出して来たんだろ?」

 父が最後の包帯を巻き終えながら言うと、葵は父の言葉に目を丸くした。

「警察に連絡するの後回しにして、自分で一千万持って行くって言った時、父さんも母さんも止めたんだけど、お金だけ持って直ぐ飛び出して行くから心配したんだが……お前が無事だったから安心したんだろ」

 葵はそれを聞いて息を飲んだ。

「……ごめん」

「次の学年テストで順位が下がってたら兄貴のせいだから」

 葵が渚を見ると、渚は参考書から視線を外して葵の顔を一瞥した。まるで鏡に映った自分を見ている様な感覚になるが、明らかに切れ長な目が賢そうな印象を相手に与える。

「よ~し! 俺も次のテスト頑張るぞ!」

「そうそう、犯人から横峰AIRIの写真集が押収されたらしいぞ」

 渚が父の前でさらっとそう言って見せると、葵は冷や汗を流した。

「ん? 何だ? 今時流行りのモー◯ング娘とかの類か何かか?」

「父さん、古いよ……」

「有名なアダルト女優のヌード写真集らしいよ」

 葵が話をそらせて渚の口を塞ごうとしたがもう遅かった。父はそれを聞いて腕を組むと目を瞬かせながら何かを考える様に何度も頷く。

「葵、女性の裸に興味が沸く年頃だと言う事はよく解かるが……」

「違うんだ父さん! 俺は父さんの病院を継ぐためにも人体の造りとかを研究するために……」

「まだ殴られたいのか?」

 肌に刺さる様な渚の視線を受けながらも葵は必死に父を説得しようとする。

「父さん、女性の身体は言わば芸術だ! その造りは神秘の結晶だ! それを卑しい目で見るのは世の中のゴミみたいな男達だけだ! でも俺は違う! 俺はちゃんと女性の美しさを理解し、研究……」

 最後まで話が終わる前に後頭部を蹴られて葵は床に顔面から突っ伏した。父は冷や汗を流しながら床に伸びた息子に手を伸ばす。

「葵、お前の気持ちは良く解かったが、年頃の妹の居る前でそういう事を堂々と言うものじゃぁ無いぞ」

「父さんが叱らないから私が兄の教育に苦労するんです。甘やかさないで下さい」

「はい。すみません」

 苦笑いを浮かべながら父がそう謝罪する声が聞えた。

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