第4話 演劇

 深森 幸村は同じクラスメイトに誘われて文化会館の近くの喫茶店に来ていた。開演時間までまだ時間があるのでそこでホットココアを飲みながら待っていたのだが、なかなか相手は現れなかった。

「悪い悪い、寝過ごしちまって……」

 短髪の元気な少年が店に入ると、幸村の姿を認めて手を振りながら駆けて来た。Gパンに、灰色のチェスターコートを着ている。普段、制服か体操服くらいしか見ないので彼の普段着が少し新鮮だった。テーブルの上に今日公演のチケットを二枚置くとそのまま崩れる様に椅子に座り込む。

「親父とお袋がどうしても行けなくなったからって俺に行けって言うんだぜ?」

「えっと……葵さんの妹さんが出ているんでしたっけ?」

 幸村がチケットを見ながら言うと、葵はあからさまに嫌そうな顔をして首を横に振った。

「今回は裏方。なのに毎年公演は見に行くんだよな俺の両親」

 葵がそう言って腕時計を見るとそろそろ開演時間が迫って来ているので再び立ち上がった。幸村もそんな葵を見て椅子に掛けていた焦げ茶のコートを羽織った。

「葵さんって妹さん思いなんですね。」

「ああ? 俺はな、親に言われて仕方なく……」

「はいはい、誘ってくれてありがとうございます。では行きましょうか」

 幸村がお金を払ってお店を出ると葵の背を押して文化会館へ向かった。幸村は両親や妹が居る葵を羨ましく思っていた。



 インフルエンザで数人休む中ノアは公演会場である公民館へ足を運んでいた。既に渚と数人の部員が来て忙しそうに荷物の整理やら会場の準備やらに追われている。ノアも荷物を運ぶのを手伝おうとしたのだが、学校のジャージ姿の渚が真っ先にノアを更衣室へ押し込んで着替える様に指示した。というのも、ノアが公演ギリギリに来るのが悪いのだが……

「橋本くんがインフルエンザで休むそうです」

 着替え終えたノアの耳に、ドア越しに切羽詰った声が聞こえて来た。確か、橋本はお姫様を守る青い騎士役の男子だ。人数がギリギリな上に練習の時から部員が何人か休んでいたので代役は居ない。ノアは不安になった。演劇で、脇役一人いなくなっただけでも台本を変えなければならなくなる事がある。

 公演の直前に台詞が変わって、もし練習通りの台詞を嘴ってしまったらどうしよう……中学最期の公演なのに……

「他に来てない奴は?」

 渚の声が聞えた。不思議と落ち着いた声で部員全員を集めて問いただす。ノアがそっと更衣室から顔を出すと人混みの中に一際渚の姿が輝いて見えた。

「代役を立てる」

 渚の言葉に真っ先に衣装担当が声を上げた。

「橋本は男子の中では一番背が高いんですよ? 今から衣装の作り直しなんて無理です」

「文化式で作ってある。肩幅や丈の長さはホッチキスででも調節すれば良い。セリフ覚えている奴は居るか?」

 渚は再び全員の顔を見渡すが誰も手を上げなかった。全員に台本は配られているが、通しで練習をしたのは三回だけ。裏方に決まっている人が代役に回される事を考慮して台本を丸暗記している事など珍しいだろう。

「解かった。全員準備して」

 全員が配置に着くと、渚は頭を抱えていた。

「大丈夫だよ」

 ノアが声をかけると渚はノアを見つめた。ノアがにっこりと笑って見せると、渚も軽く笑ってみせる。

「時間無いんだから化粧くらい自分でして」

 渚はそう呟くと上着を脱いで段ボールの中に入れられた衣装を見た。

「私、渚と同じ舞台に立つ事が夢だったんだ」

 ノアがそう声をかけると、渚は衣装を羽織ながらノアの顔を見つめた。

「お嫁さんになるのが夢じゃなかったっけ?」

「それもそうだけど、渚と同じ舞台に立つ事も私の夢なの!」

「……そう」



 公演が始まる機械音が鳴り響くと、葵と幸村は二階の席で息を潜めていた。一階は満席だが、二階はまばらに席が開いている。

「お前も良くついて来たよな。中学生の演劇なんて……メール送って返事が来たのお前だけだったぞ」

「僕、宝塚とか歌舞伎とかもともと好きですから……」

「変り種だよなぁ本当」

 葵はそう呟きながら暗くなったホール内で幸村の横顔を見つめた。くすんだ緑色のタートルネックニットが、似合ってない様に思える。良い奴なんだけど、顔もそんなに悪くないんだけど、今までそんなに話した事が無かった。ちょっと何処と無く暗くて近付き難い雰囲気があって、クラスでも浮いてしまっている。サッカー部の推薦で高校に入学したのに、左足を故障してからはもう部活に来るなと部員に責められ、今はめっきり帰宅部でいるのだと聞いた。

 スポットライトが当てられたステージの上で劇が始まっている。衣装に縫い付けられたスパンコールがライトに反射し、宝石が光っているみたいだった。

「あ、あの子可愛い」

 葵が呟くと、幸村は葵の顔を見た。葵もそれに気付いて指をさす。

「あのお姫様役誰だろ? あんな可愛い子が居るならもっと早くに見に来ておくべきだったな」

 真ん中のスポットライトに当てられた、ピンク色のドレスを着た少女を見て葵は少し頬を赤らめる。幸村はそんな葵の話を聞きながらじっと舞台を見つめていた。



 拍手喝采と同時に幕が下りると幸村は葵に腕を引っ張られて早々に席を立った。どうやらさっきのお姫様役の少女を探すつもりらしい。幸村はそんな事よりも、何故、昨日の子がステージ上に居たのかが気になっていた。

「さっさと出てけ変態野朗っ」

 ステージ裏からそんな声と同時に何か破裂音の様な、モノを蹴られた様な音がして幸村はステージ裏を覗いた。

「てめぇに用はねぇよっ俺は……」

 葵が言い終わる前に騎士姿の少年が葵の顔面を殴っていた。青い衣装と、右肩から胸にかけて着けられた金の飾緒が目を引く。確か舞台で青い騎士役をしていた子だ。

「まぁまぁ、二人とも落ち着いて……」

 幸村が二人の間に入ると、葵は鼻を押えながら喚いていた。

「俺はお姫様に会いに来たの! てめぇじゃねーの!」

「誰がてめぇみたいな変態をノアに会わせるかってんだよ」

「ノアちゃんか。名前も可愛いな。何々? 今更衣室?」

「行かせるかアホ!」

 更衣室へ向かおうとする葵の首根っこを捕まえて膝裏を蹴り上げると葵は簡単に体制を崩して尻餅をついた。そんな二人を見ていて幸村は少し笑った。

「また会いましたね」

 幸村がそう言って顔を覗き込むと、双海は少し目を丸くしていた。何でお前がこんな所に居るんだと言わんばかりの顔で幸村の顔を見つめ返す。

「何だよ渚、深森と知り合いか?」

 葵の口ぶりに、幸村は少し違和感を覚えた。

「しらねーな」

「夜中に会いましたよ? コンビニで」

「ああ、こいつ深夜徘徊が癖なんだよ。まぁ、顔見知りなら話は早い。こいつ、俺の妹の渚って言うんだ」

 葵の言葉に一瞬戸惑った。身長は160くらいだろうか? 中学女子にしては身長が高めだろう。髪は短髪で男物の服を着ているので、一見男の子と言われても遜色ない様に思う。幸村は少しにっこりと笑って渚を見つめた。渚は余計な事を言うなと言いたげな顔で葵の頭を詰っている。

「顔も性格も男みたいな奴でよ。何時も喧嘩ばっかり……」

「黙れバカ兄貴!」

「え、可愛いですよ?」

 幸村がそう声をかけると、葵の首根っこを掴んでいた渚は目を丸くして幸村を見上げた。そんな渚を見て幸村はにっこりと笑う。更衣室から着替え終わったノアが出てくると、葵が一目散にノアに駆け寄った。

「付き合って下さい!」

 その言葉と同時に渚が葵の後頭部を足で強打すると葵は頭を抱えて蹲った。

「え? 良いですよ」

 ノアの意外な言葉に、渚は呆気に囚われていた。葵が喜んで顔を上げると、ノアはにっこりと笑う。

「俺、双海 葵って言うんだ」

「双海? 渚と同じ苗字……」

 ノアがそう言って渚を見つめると、渚は頭をかきながら溜息を吐いていた。

「兄貴だ」

「えっ! お兄さん? 渚にお兄さんが居たんだ。知らなかった。言われてみれば何処と無く似てる……」

「違う! こいつが俺に似てるの!」

「ぶっ殺すぞ……」

 三人がわいわい話し合っている姿を見ながら幸村はにっこりと笑っていた。


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