第9話 里帰り
付属幼稚園での演劇が終わると、学校のジャージに着替え終えたノアは片付けをしながら渚に声をかけた。
「ねえねえ、GW、どっか遊びに行こうよ!」
「おお! いいな、それ!」
真っ先に葵が口を挟むと、渚は眉間に皺を寄せていた。
「GWの最終日にピアノの発表会があるんだからノアは練習する」
「え~!」
ノアが頬を膨らませてごねると葵も少し残念そうな顔をしていた。
「兄貴は学年テストの順位が悪かったんだから少しは勉強しろ」
「何おう? これでもな、俺の後ろに十人は居たんだぞ!」
後ろから数えて十二番目なんて洒落にならないと渚は思った。そんな渚を見て、幸村が声をかける。
「渚さんはGWどうするんですか? やっぱり勉強……」
「実家に帰る」
渚のその言葉に葵が身体を震わせて青い顔をした。それを見て、ノアと幸村が首を傾げる。
「私、渚の実家行ってみたい!」
「携帯繋がらないし、コンビニもスーパーも無いよ?」
その言葉にノアの顔は一瞬で青ざめていた。携帯が無ければ生きていけないノアにとってはそれこそ地獄の様な所だろう。
「兄貴も暇なら何時でも来いって祖父さんが言ってたぞ」
「いや、俺はその……色々忙しくてハハハ……」
葵が苦笑いを浮かべながら渚から放れて行くと、渚は溜息を吐いた。
「良かったら、僕行ってもいいですか?」
幸村がそう言うと、渚は目を丸くして幸村の顔を見上げた。さも珍しい奴が居たもんだと言いたげな顔をして幸村を見つめる。
「後悔するなよ」
「はい」
幸村がニコニコしながらそう言ったが、葵は幸村の身が心配だった。
GW一日目、渚と幸村は新幹線に乗って岡山で特急に乗り換え、やっと駅に降り立った。渚は「本当に良かったのか?」と聞いたが、幸村はにっこりと笑って「大丈夫です」と言った。前にやった白のTシャツと黒のノースリーブのベストを着ている。それに黒のワイドデニムを合わせたのは良いと思う。他にも見繕ってやらねば……と思いつつ何でそこまでしてやる必要があるんだと自問自答する。かくいう渚は、黒のデニムジャケットに紺のTシャツにGパンでいつもと変わり映え無いので他人の事は言えない。
物好きな奴が居たものだと思いながら渚が駅を見渡すと、ダボついた作業ズボンと、白い半袖シャツの男が渚に向かって手を振っていた。
「お~い! な~ぎさ~!」
ニコニコしながら駆けて来て渚の前で止まると、渚の手を取ってはしゃいでいる。歳は二十くらいで、幸村よりも少し背が高い男だった。緑色に染まった髪と耳に三つついたピアスがなんだか浮いていた。
「迎えに来たぜ! 久しぶりだな。春休みに来いって言ってたのになかなか戻って来なくて……」
男はそう言いながらふと渚の隣に立っている幸村にやっと気付いて口篭った。幸村はにっこりと笑って男を見つめる。
「えと、近所に住んでる川田 敏雄。敏、こっちは部活の先輩で深森 幸村」
渚が紹介するが、敏はあからさまに嫌そうな顔をして幸村を見つめる。それでも幸村はにっこりと笑って軽く頭を下げた。
「宜しくお願いします」
幸村がそう言うが、敏は何も言わずに渚の腕を引っ張った。幸村も渚について駅を出ると、駐車場に止められた白い軽自動車に乗り込む。渚が助手席に座り、幸村がその後ろの席に座ると敏雄はエンジンをかけた。
「おじさん達、首を長くして待ってるぜ」
「そりゃぁ、旅行に行くから人手が欲しいってだけだろ」
「そう言うなって俺も手伝うから」
敏雄の言葉に渚は溜息を吐いていた。
「つか何だよそのカマキリみたいな頭」
「カッコいいだろ?」
「ダサい」
渚にそう言われ、敏雄は落ち込んでいた。
車の中から外の景色を見ると相変わらず殺風景な山に囲まれていて田んぼしか無い所だ。長いトンネルを出て、渚の視線の先にコンビニを発見して少し驚いた。
「ビックリしただろ? やっとこの辺りにもコンビニが出来たんだ。寄るか?」
敏雄が慣れた手つきで車を駐車場に止めると、渚は気付いた様に後ろの席に座っている幸村を一瞥した。
「ココからあと一時間近く車走らせるから、何か買っておいた方が良いぞ」
「はい」
渚に促されて幸村が車を降りると、二人がコンビニに入って行く。敏雄はそんな渚と幸村を見て苦い顔をしていた。
数分後、渚と幸村が車に戻り、敏雄がエンジンをかけようとするとエンジンが空回りする音がしてかからなかった。
「あれ?」
何度かキーを回すがエンジンがかからない。渚は溜息を吐くと車から降りて敏雄に声をかけた。
「ボンネット開けろ」
渚に言われるままに敏雄がボンネットを開けると、渚が中を覗いて舌打ちする。
「ブースターは?」
渚の言葉に敏雄が窓越しに苦笑いを浮かべる。
「持ってない」
その言葉に渚は車のナンバープレートを蹴飛ばした。
「てめぇは免許とって何年車乗り回してるんだよ!」
渚が怒鳴ると、幸村も車から降りて隣に止まっている車の運転手に声をかけ始めた。
「渚さん、ブースターケーブル貸して貰えるそうです」
幸村のその一言で渚の気が治まったのか、隣の車の人に何度も頭を下げながら車のバッテリーにケーブルを繋ぐ。渚の合図で敏雄がキーを回すとエンジンがかかって幸村はほっと胸を撫で下ろした。渚が慣れた手つきでケーブルを片付け、何度も御礼を言って頭を下げる。二人はやっと敏雄の車に乗り込んで敏雄が車を走らせると、渚の額には怒りマークが浮かんでいた。
「この車、何年目?」
「四年目かな……元々兄貴のだから……」
「バッテリーは?」
「ははっそのまま……」
敏雄が冷や汗を流しながらそう言うと、渚は眉間に皺を寄せて喚いた。
「新車の時のバッテリーなんて三年持てば寿命だろ? その上走行距離とか考慮すればど素人にだって……」
「あ~も~! 解かったよ帰ったら直ぐに買い換えるからっ」
渚に責め立てられながらやっと目的地に着いた。山奥の一番大きな家の前に車が止まると渚は車から降りて溜息を吐く。
「五月に雪は降らないと思うんだが……」
渚がそう言って車のタイヤに指をさすと敏雄は苦笑いを浮かべた。
「タイヤ替えるの面倒臭くて……」
「三十分あればスタットレスタイヤなんか交換出来るだろ! 今直ぐジャッキとタイヤ出せ!」
「え、良いって……」
「さっさとしろ!」
渚が痺れを切らせて敏雄の頭を殴ると敏雄は渋々荷台からジャッキと工具を出してその場を後にした。田んぼを五枚程離れた所に建っている家に向かって行ったので、そこが敏雄の家なのだろう。渚は自分の荷物を家に放り込むと裏に回って行ったので幸村も渚の後を追った。大きな建物の裏にある大きな倉庫の中から真新しいバッテリーを一つ持って来ると、幸村がそれを持とうと手を出したが「そこの工具箱持って来てくれ」と言われて赤い色の工具箱を提げて渚について行った。敏雄の車のボンネットを開け、慣れた手つきで蓋を外し、新しい方と古い方とバッテリーを入れ替えて繋ぎ直す。そうこうしている間に敏雄が一輪車にタイヤを乗せて持って来ると渚は手早くジャッキをかませて車を少し浮かせた。
「レンチ」
渚がそう言うが、幸村には解からなかった。敏雄が幸村が持って来た工具箱からその工具を出して渚に渡す。渚がタイヤのネジを緩めて外し、外したタイヤを幸村が受け取る。敏雄が普通タイヤを渚の所に持って来たのだが、渚はそのタイヤを見て溜息を吐いた。
「ローテーションしてればこんなに磨り減る事無いだろ? このタイヤは向きが無いから、対角線上に入れ替えればタイヤが長持ちするんだから磨り減り具合を見れば何処のタイヤだったかくらい解かるだろ!」
渚が指し示しながら懇々と敏雄に言い聞かせるが、敏雄は苦笑いを浮かべる事しか出来なかった。幸村はその話を聞いてタイヤの磨り減り具合を見ながらそれぞれの車体の傍にタイヤを置く。渚がタイヤの付け方を教えながら敏雄にやらせるが、渚は頭から火を噴く様な勢いで怒っていた。
「ボルトは対角線上に少しずつ締めていくんだ! 一つのボルトを一気に締めると歪むだろ? 右に回したらボルトが閉まる事も知らないのか? 閉め終わったならトルクレンチで増し閉めしろっ」
渚が一頻り怒りながらやっとタイヤの入れ替えが終わると、渚は噴気しながら工具を片付けていた。敏雄は長々と怒鳴られ続けてぐったりしている。幸村も片付けを手伝うとやっと広い玄関から家の中に入った。昔ながらの日本家屋で二畳ほどある広い土間に、上がり端には大きな金の屏風が飾られている。虎の絵が描かれたその屏風に幸村は少し尻込みした。大き目の靴箱の上には紅白髪の姫だるまが飾られている。天井の太い黒い梁が立派だった。
「ただいま~」
渚が息を吐きながら家の中に向かって声をかけると、四十代後半の女の人が家の奥から顔を出した。屏風の向こうに向かって長い廊下が続いている。渚は上がると、幸村を促す。
「あら、なぎちゃんお帰り。今夕ご飯作ってるから……」
「お構いなく」
渚が廊下を伝って家の奥へ入ると、幸村も渚の後ろについて行く。ふと渚が足を止めると一室の障子を開いた。
「好きに使って良いから。隣にいるから何かあったら声かけてもらえれば対外の事はする」
「ありがとうございます」
渚に促されるまま幸村が荷物を持って部屋に入ると、直ぐ隣の部屋に渚が入った。障子で仕切られただけの六畳程ある畳部屋を見渡しながら幸村は一息吐く。正面の窓は障子で閉められていた。
渚さんて物知りだけど結構短気だなぁ……
幸村はそう考えながら畳の上に座り込んだ。
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