第2話 幸村
暗い路地に深森 幸村の声が響いた。転々と規則正しく並んだ街灯の下で小さなケータイ電話を耳に当てている。もう外は暗く、星が一つ煌めいている。
「大丈夫ですよ。心配しないで下さい」
喉の奥から絞り出すが、電話口の向こうからは心配そうな女の人の声が聞こえる。
『本当に大丈夫なの?』
「大丈夫です。もう僕、子供じゃないですよ?」
『まだ子供よ!』
年上の女性の声に何だか照れたように苦笑いを浮かべた。
『迎えに行くから! 何時でも電話して!』
「はいはい。もう切りますね」
幸村は電話を切ると、ほっと息を吐いてコートのポケットにケータイを押し込んだ。少しだけ寒くて緑色のマフラーに口元を埋める。ふと、目の前のバス停に白い靄の様なものが見えてそっと目を細めた。ばったりとその何かと目が合うと、ゆっくりと気付かないふりをして目をそらせる。けれども向こうは青白い顔をぱっと明るくさせて近付いて来た。
『ね、ねえちょっとそこのお兄さん? 今、目が合ったよね? 僕の事見えてるよね? ね?』
足早に路地を行くが、バス停で目が合ってからずっとその霊はついて来ていた。年齢は小学五年生くらいだろうか? 白装束に、額に三角の紙を貼っている。所謂ステレオタイプの幽霊だ。自分が死んだことは理解しているし、葬式も済んでいるのだろう。お盆でもないのに現世でうろつく霊にしては珍しいパターンだった。大抵の霊は、自分が死んだことになど気付いていない。それなのに話しかけられ、付いて来る霊は稀だった。
「あの、僕には何もできませんよ」
正直に、目を合わさずに言った。それを聞いた幽霊はにこりと笑い、大きく頷いた。
『お願いがあるんだ』
「断ったらどうなります?」
直ぐ切り返すと、満面の笑みだった幽霊はまた青い顔に戻った。ぷるぷると身体が小刻みに震え、涙目になっている。
『話くらい……聞いてくれたって……いいじゃん……』
まるで捨て犬の様な目で見つめられ、幸村はどうにも頭を悩ませた。幽霊はそんな困った幸村を見て少し考える素振りをし、にやりと笑う。
『人が死ぬね』
「人はいずれ死ぬものです」
『君が見殺しにするんだ』
幽霊の脅し文句に幸村は怪訝な表情を浮かべた。幽霊はふと幸村の後ろに小さな男の子の霊が居るのに気付いてバツの悪そうな顔をした。
『ごめん。言葉が悪かった。でも本当に、一生のお願いだから、聞いてほしい』
幽霊が両手を合わせて懇願する。幽霊なのに一生のお願いだなんてなんだか変な頼み方だなぁと幸村は肩を落とした。
『僕の従兄弟なんだけどね、ちょっと困った事になっていて、君に助けてもらいたいんだ』
悪霊ではないし、誰かに取り憑いて悪さをするでもなさそうなので幸村はその幽霊の話を聞くことにした。
「まあ……話だけなら……」
話を聞いて、自分の手に余る様なら断っても良いだろう。
幽霊は幸村の言葉を聞くなりぱっと目を輝かせた。
『ありがとう! いやあ、僕死んでから十年くらい経つんだけど、なかなか僕の話を聞いてくれる人が見つからなくて困ってたんだ』
まだ話を聞くだけとしか言ってない。
『君は霊能者の家系?』
「いえ、そういうわけでは……」
『じゃあ突然変異系か! 君が生きていてくれて良かったよ!』
何の気ない幽霊の言葉が幸村の心をちくりと刺した。
「……ごめん。やっぱり他をあたって」
幸村がそう言って踵を返すと、足元に居た弟が袖を掴んだ。
『兄ちゃん、助けてあげようよ』
今年交通事故で死んだばかりの弟に言われ、幸村は足を止めた。
「何をすればいいの?」
『従兄弟に、話をしてもらいたいんだ。死んだ事に気付いて無くて、他人に取り憑いてしまっているんだ。僕が迎えに来てあげたのにね、話を聞いてくれないんだよ。このままだと、取り憑かれた人が死んじゃって、悪霊になっちゃうからなんとかして欲しいんだけど……』
成る程、それは確かによくある話ではある。
『それから、もし僕の話が出る事があったら、僕が死んだのは君のせいじゃないって伝えてもらいたいんだ。だから、気に病まなくて良いんだって。大丈夫だよって教えてあげてほしい。どうしても助けたいんだ。十年前に僕が死んでから、ずっと傷付いて苦しませてしまったから……』
事情を聞いて少し肩を落とした。別に悪霊を除霊しろとかそういう話ではないし、話をするだけで良いのであれば、まあ気晴らし程度になるかもしれないと思った。
「……まあ、それくらいなら良いですけど……」
幸村が呟くと、幽霊はぱっと顔を明るくした。
『ありがとう』
幽霊が深々と頭を下げると、脳天に大きな傷があった。幸村はそれにぞっとする。彼も交通事故で亡くなったのだろう。
『じゃあ案内するね』
幽霊はそう言うとひょいっと中空に飛び上がった。幸村は戸惑いながらも幽霊の後に付いて行く。ケータイで電話をかけようか迷ったが、結局かけなかった。
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