第6話「エリー」
翌日、カイとリーラは街の静かな宿屋に身を潜めていた。朝の陽射しが窓から差し込み、部屋の中を柔らかく照らしている。カイは一階の酒場で朝食を終えた後、静かにリーラの部屋の扉を叩いた。
「リーラ、どうだ?」カイはドアを開けながら、無表情で部屋の中を覗いた。
リーラはベッドの脇に座り、昨夜助け出した銀髪の少女――エリーを見つめていた。彼女の顔には心配と疑念が混じった表情が浮かんでいる。
「まだ目覚めないわ」とリーラが小さく答える。
カイは眉を寄せ、無表情のままベッドに横たわるエリーを見つめた。少女は昨夜と変わらず、静かに息をしているが、彼女の顔には何の感情も浮かんでいなかった。
「……生きているのか?」カイが冷静に尋ねた。
「生きているわ。呼吸もしてるし、心臓もちゃんと動いてる。ただ……何かが起こってるのは確かね」リーラはかすかに首を傾げながら、彼女の額に手を当てた。
カイは部屋の中に入ると、壁際に立ち、腕を組んでしばらく無言で考えていた。この状況にどう対処すべきか、簡単には判断がつかない。
「……あの地下にいた理由は何だろうな。ただの罪人ってわけではなさそうだが…」カイは低く呟いた。
リーラは黙ってエリーを見つめながら、何か答えようとしたが、その瞬間、エリーの体がわずかに動いた。彼女の長い銀色のまつげが微かに揺れ、瞼がゆっくりと開いた。
「……目覚めたわ」リーラが小さく囁いた。
エリーの瞳は淡い紫色で、部屋の光をぼんやりと映し出していた。彼女はしばらくの間、無言で天井を見つめていたが、次第に意識が戻ると、ゆっくりと上体を起こそうとした。リーラはすぐに彼女の肩を支え、穏やかに声をかけた。
「大丈夫、無理しないで。まだ体が回復していないはずよ」
エリーはぼんやりとリーラを見つめたが、やがてかすれた声で口を開いた。「……ここは……?」
「ここは街の宿屋よ。安心して、もう安全だから」リーラは優しい笑顔を浮かべながら、エリーの手を軽く握った。
「……君の名前を教えてくれる?」リーラが尋ねる。
エリーは少し迷うように視線をさまよわせたが、かすかに首を振って、小さく答えた。「エリー……それしか覚えてない……」
リーラはその答えに少し驚いた表情を見せたが、すぐに冷静さを取り戻した。「エリー……それだけなの?」
リーラは戸惑いつつも、続けて質問する。
「あなたは研究施設で牢の中に入っていたの?なぜあそこにいたのか覚えてることはない?」
エリーはさらに混乱したように、首を横に振った。「……何もわからない。何も……思い出せない」
カイは壁際からエリーの言葉を聞いていたが、眉間に皺を寄せた。「何も覚えてない、だと?」
リーラはカイに視線を送り、彼に黙るよう軽く首を振った。そして再び、エリーに対して優しい口調で問いかけた。「大丈夫、無理に思い出さなくてもいいわ。少しずつで構わないのよ」
エリーは困惑した表情で俯き、手で自分の髪を触っていた。その様子に、リーラは何か深い事情があることを確信したが、これ以上無理に問い詰めることはしなかった。
カイは静かに溜息をつくと、壁から離れた。「……どうする?」
リーラはカイを一瞥し、真剣な表情で答えた。「放っておけないわ。彼女を保護するべきよ」
「俺たちに子供を保護する余裕はないぞ」
「ただの子供じゃないわ、この子は絶対に帝国と関わりがある。記憶が戻ったらなにかの手がかりになるかもしれないわ」
カイは黙ってしばらく考え込んでいたが、最終的にリーラの判断を受け入れるように肩をすくめた。「好きにしろ。ただ、俺の目的は変わらない。お前が面倒を見るなら、それでいい」
リーラは小さく笑みを浮かべ、エリーの髪を優しく撫でた。「心配しないで、エリー。私たちが君を守るわ。私はリーラ。リーラ・アシェンフォードよ、よろしくね」
リーラはそう自己紹介すると、俺を一瞥してあなたも自己紹介しなさいよと目で訴えた。
「……カイ・ヴァルムンドだ」
エリーは困惑したままだが、わずかに頷いた。こうしてカイとリーラは、エリーを保護することを決め、彼女を連れて行動することとなった。
「…それでどうする?この街の研究施設には何もなかった。施設からそいつを盗み出したことがバレるのも時間の問題だ。あまり長居はしたくない」
カイはリーナにそう問いかけるが、リーナは少し考えて返事した。
「他の街の研究施設も調べたいわ。その情報を探ってくる。ついでに私の兄の情報も集めてくるから、今日一日時間をちょうだい」
「ああ、わかった」
カイは特に反対する様子もなく答える。
「じゃあその間、この子をお願いね」
「…なんだと?」
「だって私は情報集めがあるし、あなたは暇でしょ?そのくらいしなさいよ」
そういい、リーラは「じゃあ行ってくるわね」と言い、そさくさと部屋を出て行った。リーラが情報を集めに出て行った後、宿の中にはカイとエリーだけが残った。カイは、普段とは違う状況にわずかに困惑していた。彼は戦士としての冷静さを保ちながらも、エリーに対してどう接すればいいのか迷っていた。
カイは軽くエリーを一瞥して言った。「ここから外に出るな」
エリーはカイの無表情な言葉に少し戸惑いながらも、素直に頷いた。「うん、わかった」
カイはそのまま扉を開けて外へ出ると、剣を抜き、静かに訓練を始めた。彼はいつものように、規則正しい動きで剣を振るい、正確に力を込めた攻撃や防御の動作を繰り返す。汗が額を流れ落ち、風が冷たく肌を撫でる中で、彼の動きは研ぎ澄まされた鋼のようだった。
しばらくして、カイはふと視線を感じ、訓練の手を止めて振り返る。そこには、宿からこっそり出てきたエリーが立っていた。彼女は好奇心いっぱいの瞳でカイを見つめている。
「……出るなと言っただろう」カイは冷静に言い放つ。
しかし、エリーはまったく気にする様子もなく、少し笑みを浮かべて言った。「見てもいいでしょ?」
カイは軽くため息をつき、剣を再び構えながら短く答えた。「勝手にしろ」
エリーは嬉しそうに笑みを浮かべ、その場に座り込んでカイの剣の動きをじっと見つめ始めた。彼女の視線は鋭く、まるで剣の動きを一つ一つ観察しているかのようだった。
しばらくして、カイが剣を振り下ろす動作を終えた時、エリーがふと口を開いた。「なんで剣を振ってるの?」
カイは剣を止め、彼女の質問に軽く眉をひそめた。「……戦うためだ。技を磨かなければ、生き残れない」
エリーは少し考えるように頷き、続けて尋ねた。「それって……面白いの?」
カイはその問いに少し驚いたような表情を見せたが、すぐにその感情を隠し、無表情に戻った。「面白いかどうかは関係ない。必要だからやっているだけだ」
エリーはその言葉に、少し考え込むように眉を寄せた。「でも、なんでそんなに必死に振ってるの?剣を振るのがあなたにとってのすべて?」
カイはしばらく黙ったままだった。彼女の無邪気な質問には何か鋭い洞察が含まれているようで、それがカイにとって少しだけ戸惑いを呼び起こした。彼は剣を握る手を見つめながら、低く言った。
「……俺は復讐のために剣を振っている。すべてではないが、俺にはそれしかない」
エリーはじっとカイの顔を見つめ、やがて静かに首を傾げた。「そっか。でも、私は……剣を振るのはあんまり好きじゃないな」
カイは彼女の言葉に少しだけ驚きを感じたが、特に返事をせずに再び剣を構えた。エリーはそのまま彼を見つめ続け、何か考え込むように静かに佇んでいた。
「……剣を振るのが好きじゃないのに、なんでずっと剣を持ってるんだろうね?」エリーは、まるで自分に問いかけるように呟いた。
カイはその言葉を聞き流すこともせず、ただ黙って剣を振り続けた。エリーの問いかけには明確な答えがないことを、カイもどこかで理解していたのかもしれない。
夕方になろうとしている頃、カイは訓練を終えた。外はすっかり日が傾き、空がオレンジと紫に染まっている。ふと横を見ると、エリーは柵の上に座り無邪気に足をぶらぶらさせながら、街の方を見ていた。
カイは無言で近づき、少し考えたあとに彼女に声をかけた。「……腹、減ってるか?」
エリーはパッと振り向き、目を輝かせて大きく頷いた。「うん!お腹空いた!」
カイはその反応に少し眉を上げたが、「部屋で待っていろ」と言い再び外に出て行った。彼女を街中の人混みに連れて行くわけにはいかないので、代わりに食事を買いに行くことにしたのだ。
カイが戻ってきたのは、すっかり暗くなった頃だった。彼の手には、街の屋台で買った食べ物が詰まった袋があり、部屋の中に入るとすぐに美味しそうな香りが漂い始めた。
「食え」と、カイは無造作に袋をテーブルに置き、中身を取り出した。
最初にエリーの目を引いたのは、焼き鳥の串だった。香ばしい匂いが漂い、タレがたっぷりと絡んでいて、肉はこんがりと焼かれている。焦げ目のついた皮はパリッとしていて、その中の肉は柔らかくジューシーそうだ。次に見えたのは、おにぎりだ。しっとりとした海苔が巻かれ、中には塩漬けの鮭が詰まっている。外側は少し塩気が効いており、口に入れるとすぐにふんわりとしたご飯がほどけていきそうだ。
「わあ、すごい!おいしそう!」エリーは目をキラキラ輝かせて、興奮した様子で食べ物を見つめた。
「さっさと食え。冷めるぞ」と、カイが短く言うと、エリーはすぐに串を手に取り、一口かじった。目を見開き、満足そうに口を動かしながら焼き鳥を頬張る。タレの甘さと肉の旨味が口いっぱいに広がり、エリーは無邪気な笑みを浮かべた。
「すっごくおいしい!これ、もっと食べたい!」と、エリーは無邪気に言いながら、次のおにぎりに手を伸ばした。
カイはその様子を無言で見守っていた。彼女が嬉しそうに食べ物を口に運ぶ姿は、どこか懐かしく感じられる。カイの脳裏には、子供の頃の記憶がよぎった。母が作ってくれた温かい食事、それを家族と一緒に囲んで食べたあの穏やかな時間。ほんの一瞬、カイは過去に戻ったかのように、幼い自分が母の作った料理を頬張っていたあの光景を思い出した。
母の優しい笑顔と、家族との何気ない会話――その温かさが、今のエリーの無邪気な笑顔と重なった。しかし、その瞬間の幸せはすでに失われたものだったことを、カイはすぐに思い出す。眉を少しひそめ、目を伏せながら、再び現在に戻ってきた。
「まだあるぞ、好きに食え」とカイは静かに言った。
エリーはニコニコと笑いながら食べ続け、満足そうにおにぎりも焼き鳥も次々と頬張った。その姿を見て、カイは何も言わず、ただ静かにその様子を見守っていた。
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