第2話「復讐の剣」
アルス歴417年、カルドヴェア帝国は突如としてファナスティア王国との平和条約を破棄し、王国へ侵攻を開始した。帝国軍は圧倒的な軍事力で、『カルナ村』を始めとした多くの村々を焼き払いながら進軍し、その勢いは止まることなく王都へと向かった。
帝国の指揮を執っていたのは帝国の英雄『ルドルフ・フォン・ガルヴァルク』。彼の命により、多くの村が焼き尽くされ、住民たちは無惨に殺されていった。王国軍は必死に抵抗したが、帝国の前に敗れ、次々と領地を失っていった。
ついに、帝国軍は王都を陥落させ、ファナスティア王国の王族を皆殺しにした。こうして、ファナスティア王国は滅亡し、その領土はカルドヴェア帝国の支配下に組み込まれた。ファナスティアの住民たちは帝国の過酷な支配のもと、日々苦しみを強いられ、多くの反乱が起きたが、いずれも帝国軍によって徹底的に鎮圧された。大陸における帝国の支配は、この瞬間から一層強固なものとなり、ファナスティアは「ファナスティア領」としてその歴史を終えた。
アルス歴430年。カルドヴェア帝国、『都市ファンギース』
カイ・ヴァルムンドは、長い旅路の末、酒場の片隅に腰を下ろしていた。静かに流れる時の中で、彼は一人、目の前にある木製のカップを見つめながら、杯の中の濁った酒を口に運んだ。剣は、重々しく音を立てながら、バーの横に無造作に立てかけられている。カイはいつものように無言で、淡々と飲み続けていた。
酒場の中は騒がしく、酔っ払いの笑い声や怒号が絶え間なく響いていた。酒の匂いと煙草の煙が充満するこの場所は、疲れた旅人や冒険者などが集う場所として知られていたが、カイにとっては居心地が良いとも悪いとも感じられない。ただ、今の自分には孤独が心地よかった。
26歳になったカイは、かつての13歳の少年とはまるで違っていた。彼の体つきは、長年の戦いで鍛え上げられ、筋肉がしっかりとした力強い体を作り上げていた。背は1.8メルト※を越え、体つきもがっしりとしている。皮膚は日に焼け、顔には何本もの古傷が残っていた。その中でも最も目立つのは、左頬を横切る深い切り傷の跡。ある戦いで受けた傷だが、それは彼の心の中に刻まれた深い傷とも重なっていた。
(※1メルト=1.04メートル)
彼の茶色い短髪は風にさらされ、無造作に乱れていた。何度も修理された黒と茶の革鎧は、その重厚さを保ちながらも動きやすく、戦闘向けに最適化されている。肩には旅の疲れが見え隠れし、体全体が疲労に覆われていたが、その鋭い眼光だけは相変わらず、どこか冷たく、力強い光を宿していた。
深いダークブラウンの瞳は、無表情ながらも絶え間ない怒りを隠しているようだった。顔つきにはすでに年齢以上の重苦しいものがあり、13年前の少年らしい無邪気さは、今は見る影もなかった。
カイは静かに酒を飲み続けていたが、酒場の喧騒の中から、気配を感じ取った。横目で見やると、すでに酒に酔い潰れた男がよろけながらこちらに向かってきた。男は大柄で、酒のせいで足元がふらついていたが、意図的にカイに絡もうとしているのは明らかだった。
「おい、そこの兄ちゃん……ええ剣を持ってるなぁ……。俺にも使わせてくれよ……」
男はカイが立てかけた剣を指さし、ニヤニヤと笑っていた。周囲の人々は興味深げにその様子を見守り、何が起こるのか期待している様子だった。カイは一瞬だけ男に視線を向けたが、その瞳にはまるで興味がなかった。
「悪いが、触るな」
カイは低い声で言い放った。その言葉には威圧感があり、冷たい重さがあった。
だが、酔っ払いはそれに気づかず、さらに絡もうとしてきた。男はカイの肩を軽く叩きながら、笑いを浮かべて続けた。
「なんだよ、冷てぇな。俺はただ、あんたの剣が気に入っただけだ。よぉし、一緒に飲もうじゃないか!」
カイは微動だにせず、ただ男を見つめた。その瞳には、冷ややかな光が宿っており、一瞬にして酒場の空気が冷たくなったように感じた。カイが次に言葉を発する前に、男はその異様な雰囲気を察したのか、急に怯えたような表情を浮かべた。
「……な、なんだよ……」男は口元を引きつらせながら後ずさりした。
カイは何も言わず、ただその鋭い目で男を一瞥しただけだった。それだけで十分だった。男は背中を冷や汗で濡らしながら、ゆっくりとその場を離れ、他の酔っ払い仲間の元に戻っていった。
男が立ち去った後、酒場は再び元の喧騒に戻った。だが、カイはそれに気を取られることなく、再び酒を口に運んだ。彼にとって、こんな出来事は日常茶飯事であり、何の意味もない。
剣は常に彼のそばにあった。それは彼の命そのものであり、復讐を遂げるための唯一の手段だった。13年前、村を焼かれ、家族を殺されたあの日から、彼の人生はこの剣と共にある。父親から受け継いだこの剣は、すでに何度も修理されているが、その刃は依然として鋭く、誰であろうと一瞬で命を奪える。
カイはふと、その剣に手を伸ばし、柄に触れた。冷たい金属の感触が、彼を安心させた。この剣で何度も命を奪ってきた。だが、未だに彼の復讐は果たされていない。彼の目標はただ一つ――ルドルフ将軍。あの日、すべてを奪った男を、そして帝国を自分の手で討ち取るために、カイは生きている。
カイは杯を置き、ふと外を見た。夜が深くなり、月明かりが薄く窓を照らしている。彼はそっと立ち上がり、酒場を出ようとした。立てかけていた剣を静かに取り、腰に装着する。酒場を包む騒音は遠のき、外の静寂が彼を包み込んだ。
「邪魔したな。」
カイはそう言い、店主に酒代を出し、静かに店を出ていった。
カイは夜の街を歩きながら、とある場所へと向かっていた。行き先は裏路地にある小さな店。そこには、長年この街で情報を扱うことで知られる情報屋がいると聞いていた。
路地に入ると、空気はひんやりとして重たく、街灯の光がほとんど届かない暗闇が広がっていた。周囲には古びた建物が並び、その間を通り抜ける風が冷たく肌を刺した。人気はなく、カイの足音だけが響き渡る。道の両側には捨てられた木箱やゴミが散乱しており、独特の腐臭が鼻をついた。まるでこの場所が、街の暗部そのものを象徴しているかのようだった。
目の前に、ようやく目的の店が現れた。古びた木製の扉には何の看板もなく、一見するとただの廃屋のようだ。しかし、カイは迷わずその扉をノックした。音は鈍く響き、内側で微かな動きが感じられた。
扉がきしむ音を立てて開き、細い隙間から一人の男が姿を現した。
情報屋は初老の男で、体格は小柄で痩せこけていた。彼の姿は薄暗い店内の影と同化するかのように、目立たないものだった。顔には深い皺が刻まれ、灰色に変色した髪が無造作に肩にかかっている。彼の瞳の奥には鋭い観察眼が光っていた。
「……ここは酒場じゃあないぞ。」
中に入ると、さらに重苦しい空気が漂っていた。店内は狭く、唯一の光源である古びたランタンが、かすかな黄色い光を揺らしていた。薄暗い部屋の隅には、棚に古びた書類や地図、メモ書きが無造作に積み重なっていた。
カイは、無言で中央に置かれた木製のテーブルに近づいた。情報屋はその反対側に腰を下ろし、彼の動きをじっと見つめていた。
「ルドルフに関する情報が欲しい」
カイは直球で本題に入った。男は片方の眉をわずかに上げたが、表情に大きな変化は見せなかった。彼は数秒の間を置き、ゆっくりと口を開いた。
「ルドルフ将軍……「帝国の英雄」か。そんな奴の情報を欲しがるとは、あんたが「帝国兵狩り」だな?」
彼の視線がカイの全身をなぞるように動いた。冷静に観察しながら、何を話すべきかを計算しているようだった。
「情報には対価が必要だ。お前もわかってるな?」
カイは無言で頷き、ポーチの中から数枚の銅貨を取り出し、テーブルの上に置いた。
「足りねえなあ。帝国の将軍の情報だぞ?もう少しないとな」
「いくらほしい。」
「400ベル」
カイは数枚の銅貨を追加で取り出し、テーブルの上に置いた
男は軽く微笑んだが、その微笑みは冷たいものだった。
「それで、どうする? どんな情報が欲しいんだ?」
「ルドルフの性格、使う技、武器、大切なもの…すべてだ。」
カイは迷わず答えた。男は短く頷くと、棚の上から一枚の古びた紙を取り出し、カイに手渡した。それは、小さな地図とともに、粗い字で何かが書かれたメモだった。
「ここだ。帝国の拠点に繋がるやつがここにいる。そいつに聞け。」
カイはその紙を無言で受け取ると、再びポーチから銅貨を取り出し、対価を追加した。情報屋はにんまりと笑い、その様子を楽しむかのようにカイを見つめていた。
「ふむ、帝国兵狩り……また会えることを祈っているよ。」
男の言葉を聞き流すように、カイはそのまま紙を折りたたみ、立ち上がった。
カイが店を出る直前、情報屋が笑みを浮かべたように見えた。
カイは、情報屋が示した場所に静かにたどり着いた。薄暗い路地の奥には、さびれた広場が広がっており、物音一つしない。周囲は静寂に包まれていたが、その不気味な静けさに、カイは警戒心を強めた。
「……誰もいないのか?」
一歩踏み出した瞬間、空気が変わった。風の流れがわずかに乱れ、頭上から何かが急速に迫ってくる気配を感じた。カイは瞬時に剣を引き抜き、頭上から飛びかかってきた影に対応した。
頭上から降りてきた影は、黒いマントとフードを身にまとい、手には鋭い短剣を握りしめていた。
暗殺者か…
上空から舞い降りてきた暗殺者は、しなやかで軽やかな動きでカイに襲いかかった。暗殺者は一瞬の隙を狙い、鋭い短剣を振るう。彼女の動きは流れるようで、短剣の軌道も精密だった。だが、カイの反応は一瞬早く、剣でその一撃を受け流す。彼女はすかさず次の攻撃に移ろうとするが、カイは体を反転させて再び受け流し、距離を保ちながら相手の動きを観察する。
暗殺者は再びカイに接近し、その短剣をふるう。カイはその素早い動きに一瞬驚かされたが、すぐにその動きのパターンを読み取り、攻撃の隙を見つけた。相手が短剣を振り下ろした瞬間、カイは剣を一瞬で下ろし、相手の手首を掴んで強引に動きを封じた。暗殺者は体を翻そうとするが、カイはもう一つの腕で相手の首に手をかけ、その圧倒的な力で地面に押し倒した。
「……やるじゃない……取り押さえられたのは、初めてだわ」
暗殺者は苦笑いを浮かべながらも、息を整えようとしつつ、冷静にカイの顔を見上げた。暗殺者のフードは外れ、暗殺者ーー彼女の黄金の瞳と、褐色の肌が見えた。彼女は女性にしては長身だがしなやかな体型で、長いダークブラウンの髪が後ろで束ねられている。
「選べ、ここで首の骨をへし折られるか、降参するか。」
カイは首にかけた手に少し力を入れ、低い声で問いかけた。暗殺者はしばらく沈黙した後、軽く肩をすくめるようにして答えた。
「……降参するわ。武器は捨てる」
彼女は短剣を放し、降参の意を示した。
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