第10話 深淵に燃ゆる精霊の炎

朝日が差し込み、カルヴァンは焚火のぬくもりに包まれて目を覚ました。

瞼を開けると、火に薪をくべるリリスの姿が視界に映る。

森の木々の隙間から射し込む柔らかな光が彼女を照らし、どこか神秘的な雰囲気を醸し出していた。


「ふぁぁぁ……。おはよう、リリス。ちゃんと休めた?」

カルヴァンが少し寝ぼけた声で尋ねると、リリスは振り返り、少し得意げな表情で微笑む。


「おはよう、随分間抜けな顔ね……よく寝れたみたいで良かったわ。」


カルヴァンは苦笑いしながら目をこすった。

「君が焚火の番をしてくれたおかげで、ぐっすり眠れたよ」


「感謝ついでに、あたしが朝食を作ってあげてようか?」

リリスは口元をニヤリとさせ、どこか挑発的に言った。


「え、ええ!?いやいや、さすがに遠慮しておくよ!」

カルヴァンは慌てて手を振り、全力で拒否する。


(朝からリリスの手料理はしんどいぞ……。)


リリスの視線が鋭くなる。

「ふーん、何その反応。まるであたしの料理が不味いって言いたいみたいじゃないの?」


「そ、そんなことないって!ただ、リリスにはゆっくりしてもらいたいだけで…ね?」

必死の笑顔を作るカルヴァンだが、冷や汗が止まらない。


リリスは肩をすくめ、ため息をついた。

「まぁいいわ。あんたがそこまで言うなら、特別に任せてあげる」


カルヴァンはホッと胸をなでおろし、すぐに手早く持っていた食材を取り出して、朝食の準備を始める。

そんな彼の様子を、リリスがじっと見つめているせいか、どこか落ち着かない気分になる。


「できたよ、リリス。どうぞ」

おそるおそる差し出すと、リリスは腕を組み、料理を上から下までじっくりと眺める。


「ふーん、まぁ見た目は合格ね。どれどれ…」

一口かじると、リリスは少し驚いたような表情を浮かべた。

「ん、意外とやるじゃない。まぁ、これくらいなら合格ってところかしら?」


「そ、そう?よかった…」

カルヴァンは心底ホッと胸をなでおろし、リリスも少し満足げにうなずいた。





朝食を終えた二人は地図を広げ、次の目的地を確認する。

「リリス、次はカルン村を目指そう。深淵の森を抜けたところにある村で、そこを越えればアルバンシア王国が近いみたいだ」


リリスも地図を覗き込み、ゆっくりと頷いた。

「なるほどね。じゃあ、村に着いたら少し休んで、その後の計画を立てましょう。それに、村には美味しいものがあるかもしれないし」


「それも楽しみだな」

笑顔で返すカルヴァンに、リリスもつられて微笑んだ。





二人は朝の光に包まれながら、荷物をまとめて出発した。

深淵の森の奥深くはひんやりとした空気が漂い、木々が濃密に生い茂っている。

霧がわずかに漂い、朝露に濡れた草が光を反射してキラキラと輝いていた。

道なき道を進むたび、足元には小さな虫の気配や草のざわめきが聞こえてくる。


カルヴァンがふと呟いた。

「ここも静かで美しいね。朝になると、深淵の森もなんだか清々しい気分になる」


リリスも辺りを見回しながら同意した。

「確かに。こういう景色は、いつ見ても飽きないわね」


やがて、二人は森を抜けて、緑豊かな丘陵地帯へと出た。

目の前には、遠くまで広がるなだらかな草原が広がり、心地よい風が吹き抜けていく。

森のひんやりとした空気とは違い、ここは太陽の光が温かく降り注いでいる。


「わぁ…」

カルヴァンは思わず声を上げた。

「こんなに広々とした場所、久しぶりだなぁ」


リリスもゆっくりと周囲を見回し、少し懐かしそうに微笑んだ。

「ふふ…こうしてあんたと並んで歩いてると、なんだかエレナと過ごした日々を思い出すわね。あの時はあたしたち、深淵の森でひっそりと暮らしてた」


カルヴァンも微笑みを浮かべながら、エレナとの思い出に思いを馳せた。

「母さんが魔術の修行に付き合ってくれたり、夜にはみんなで食事を囲んだり、まるで本当の家族みたいだったな」


「そうね。エレナは、いつもあたしたちに色んなことを教えてくれたわ。繋がりの大切さとか、誰かを思いやる心とか…正直、魔術や魔物の対処法よりも、そういうことを学べて本当に良かったって思うの」


カルヴァンも頷き、ふと小さく呟いた。

「…料理の仕方も教わればよかったね…」


リリスの眉がピクリと動き、カルヴァンを鋭く睨みつけた。

「今、なんて言った?」


「え、いやいや、何でもない!」

慌ててごまかそうとするカルヴァン。

しかし、リリスはジリジリと近づき、さらに鋭い視線を向ける。


「今、“料理”って言ったわよね?まさか、あたしの料理がダメだって言いたいの?」


「そ、そんなこと言ってないよ!」

カルヴァンは必死に手を振り、「ただ、君がもっと色んな料理を知ってたら楽しいかなって…」と汗をかきながら弁解した。


リリスは冷たく微笑みながら、ニッコリと不敵な笑みを浮かべた。

「ふーん、それなら今度“スペシャル”な料理を作ってあげるわね?」


カルヴァンはその視線に冷や汗を流しながら、「い、いや、気持ちだけで十分だよ…!」と小さくつぶやき、心の中に絶望感が広がった。




そんな中、何か嫌な気配を感じてカルヴァンが辺りを見回すと、背筋が冷たくなったような感覚が襲ってきた。


「リリス、何か来る…!」

カルヴァンは緊張した声で警告する。


リリスも冷ややかな表情を引き締め、「感じるわね。かなりの強敵よ、気を抜かないで」


「グォォォォォ!」


その言葉が終わるや否や、地響きと共に冷気を纏った巨大な影が姿を現した。

草地を揺るがすような重い足音と共に、冷気を放つフロストサーンジュが立ちはだかる。

猿のような姿をしながらも、その腕には鋭利な氷の槍を持ち、ただならぬ殺気を漂わせていた。


「フロストサーンジュ…!これは相当な手ごわさよ。カルヴァン、油断しないで!」

リリスが鋭く告げる。


『ファイアボール』

カルヴァンは即座に炎の魔術を放ち、相手を牽制しようとした。

しかし、フロストサーンジュは炎をものともせず、巨大な氷の槍を振りかざしながら突進してくる。


「くそ、全然効いてない…!」

カルヴァンは冷や汗を滲ませ、再び距離を取る。

しかし、フロストサーンジュの冷気が広がり、地面が凍りつくたびに二人の足元をじわじわと奪っていく。


「カルヴァン、距離を取って!」

リリスが叫んだその瞬間、フロストサーンジュは標的をリリスに変え、猛スピードで突っ込んできた。


『ダークネス・スラッシュ』

リリスも咄嗟に闇の一撃を繰り出したが、フロストサーンジュはあっさりとそれをかわし、氷の腕で彼女を跳ね飛ばした。


リリスが地面に転がり、立ち上がろうとするが、冷気に包まれたせいで動きが鈍っている。


「リリス大丈夫!?」

カルヴァンは彼女の元へ駆け寄ろうとしたが、フロストサーンジュが再び彼に向かって氷の槍を構えた。

その冷たさは空気を通して肌に刺さるようで、カルヴァンは一瞬足がすくんでしまう。


「このままじゃ、近づくこともできない…!」

カルヴァンは歯を食いしばりながらも、炎を操る魔法で応戦するが、フロストサーンジュは冷笑するかのように突き進んでくる。


「カルヴァン、このままだと本当にやられるわ!」リリスが必死に叫ぶが、フロストサーンジュの攻撃はさらに激しさを増し、二人は徐々に追い詰められていった。


「くそ…母さんがいたら、こんな時どうするんだろう…」


カルヴァンは絶望的な状況に歯噛みし、必死に考える。だが、思考がまとまる前に、フロストサーンジュが槍を振り下ろし、冷気の波が二人を包み込もうとする。


「このままじゃ、本当に…!」


その時、カルヴァンの脳裏に、エレナとの訓練の日々がよみがえった。

深淵の森の中で、彼女から精霊魔術を教わっていたあの日──。


「カルヴァン、精霊魔術は強力な力よ。でも…その分、身体への負担や周囲への影響も大きいわ。安易に使うものじゃないの」


エレナの言葉が蘇り、彼の心を揺さぶる。

エレナがそっと彼の肩に手を置き、真剣な表情で見つめたあの日の記憶。


「本当に困った時、どうしても守りたいものがある時にだけ使いなさい。あなたの優しさと決意が、この力を導いてくれるから」


エレナの温かな声とその教えが、今もカルヴァンの心の中で生き続けている。

彼は目を閉じ、彼女の言葉を胸に刻みながら小さく呟いた。


「母さん…僕に力を貸して」


現実に引き戻されたカルヴァンは、覚悟を決めて叫んだ。

「精霊たちよ…力を貸してくれ…!エレメンタル・フレア!」


彼の身体が強烈な光に包まれると、圧倒的な精霊の炎が周囲に広がった。

炎の柱がフロストサーンジュを貫き、その凍てついた大地が一瞬で溶かされていく。


「グァァァァァ!」

フロストサーンジュは絶叫を上げ、炎に飲み込まれていった。


だが、精霊魔術の代償は大きかった。

カルヴァンは力を使い果たし、冷たい地面に崩れ落ちた。

顔は青ざめ、体は冷たく、荒い息を繰り返している。


「カルヴァン…!しっかりして!」

リリスは涙を浮かべ、彼の元へ駆け寄った。

彼の体を抱きしめ、その顔を覗き込む。


その時、彼女の目にふと、フロストサーンジュの手の甲が映った。

そこには見慣れない黒い魔法の紋章が刻まれており、淡く光っている。

リリスは一瞬だけその不吉な紋章に視線を奪われたが、すぐにカルヴァンの看病に意識を戻した。



リリスは、青ざめたカルヴァンの顔を見つめ、焦りと不安に心がかき乱される。

彼の肌は冷たく、荒い息が時折苦しげに途切れる。


「カルヴァン、お願いだから目を開けて!」

リリスは彼の手を強く握りしめ、必死に呼びかける。


その時、カルヴァンの唇がかすかに動き、弱々しい声で「リリス…?」と彼女の名前を口にした。


「カルヴァン…!」

リリスは安堵と喜びが入り混じった表情を浮かべ、彼の頬に手を当てる。

「よかった…本当に、もう無茶しないでよ!」


カルヴァンは力なく微笑みながらも、かすかに頷いた。

「ごめん、リリス。君に迷惑をかけちゃったね…」


リリスは涙を拭い、鼻で笑うように言った。

「まったく、あんたっていつも無茶ばっかり。でも…そんなあんたのバカさが、少しだけ好きかもね」


カルヴァンは照れくさそうに微笑みながら、彼女の手を少し強く握りしめた。

「本当に…助かったよ。君が一緒にいてくれてよかった」


リリスはふっと小さな笑みを浮かべて、わざと気楽そうに肩をすくめた。

「ま、あんたにはまだまだあたしが必要ってことよ。今後も、勝手に倒れるんじゃないわよ?」


「…了解。無茶は控えるようにするよ、リリス隊長」

カルヴァンは軽く冗談を交えながらも、感謝の気持ちを込めて答えた。


リリスも、どこか誇らしげに頷いて見せると、二人はゆっくりと立ち上がり、再び前を向いた。


「次は無茶しないでよね、カルヴァン。私も、こんな心配を毎回するのはごめんだわ」


カルヴァンは軽く笑いながらも、どこか申し訳なさそうにリリスを見つめ、二人は互いに微笑みを交わしながら再び歩き出した。



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