第8話 悪魔と少年、森をゆく


エレナと暮らした家を出発してから数日。

カルヴァンとリリスは深淵の森の奥へと足を進めていた。

この森は彼らにとって馴染みの場所ではあるが、進むにつれ霧は濃くなり、どこか不気味な気配が漂っている。


木々は黒ずんだ苔に覆われ、枝葉が絡み合って太陽の光すら遮っている。

視界がぼんやりと霞む中、カルヴァンは時折、周囲を警戒しながら慎重に歩を進めていた。


その時、遠くから「ギィッ……ギィッ……」という甲高い鳴き声が響き渡り、彼は思わず身を硬くする。


「こ、こんなところに何がいるんだ……?」

カルヴァンは小声で呟きながら、辺りを見渡した。


それを聞いたリリスが、悪戯っぽく微笑みを浮かべて彼を振り返る。

「ふーん、カルヴァンったらこんなことでビビってるの?まだまだ甘いわね」


「べ、別に怖がってるわけじゃないよ。ただ、何がいるかわからないだけで……」

カルヴァンが少し動揺を隠そうとするが、リリスは楽しそうに彼を見つめている。


「ふふ、安心しなさい。私がいるんだから、少々の魔物なんて怖くないでしょ?」

リリスは彼の背中をポンと叩き、頼もしい様子で前を進み始めた。


カルヴァンはリリスの頼もしさに少し安堵しつつ、彼女についていくことにした。





しばらく歩いていると、ふいに道の先に、不自然に倒れ込んだ人影が見えた。

泥と血で汚れた鎧をまとい、手には錆びた剣を握りしめている。どうやら冒険者と思われる遺体らしい。


「……あれ、もしかして……?」

カルヴァンは思わず息を呑んだ。


だが、彼の驚きもどこ吹く風で、リリスはさっさと遺体のそばにしゃがみ込み、手早く物色を始める。


「リ、リリス!さすがにそれは……!」


「なによ、どうせ使い道のない死体じゃない。気にしない気にしない!」

リリスは軽く笑い、小銭袋や宝石のようなものを手早く回収し、虚ろな顔を見下ろして小さく呟いた。「……魂も残ってないのね。もったいない。残ってれば、力に変えられたのに」


「な、なにそれ……!」

カルヴァンはゾッとしながら彼女を見つめる。


「魂ってね、悪魔にとってはエネルギーそのものなのよ。生きてても役に立たないなら、せめて死んでから役立ってくれればよかったのに」と冷たく言い放つリリスに、カルヴァンは改めて彼女の『悪魔らしさ』を感じた。


リリスはそのまま遺体から錆びた剣を引き抜き、カルヴァンに差し出す。

「ほら、あんたもこれくらい持ってなさいよ。タダなんだから」


「えっ、僕が……?」

カルヴァンは剣を受け取り、目を輝かせた。


(剣と魔術を操る魔法剣士か……!)


カルヴァンの頭には、颯爽と剣を振り、魔法で敵を蹴散らす華麗な自分の姿が浮かんでいた。

なびくコート、鋭い眼差し、周りには憧れの視線を向ける女の子たち――


「魔法剣士……カッコイイ……」

カルヴァンは夢心地で呟いた。


だが、現実は残酷だった。


「よ、よいしょっ……う、うわっ!重っ……!」


剣を握った瞬間、理想とはかけ離れた現実に直面するカルヴァン。

何とか持ち上げようとするが、腕はガクガクと震え、剣先がかろうじて地面を離れる程度。


「次は……振ってみるか……!」と気合を入れて剣を振り下ろそうとするが、重さに振り回されて手が滑りかける。


「うわっ、危ない……!」


体勢を崩してよろめくカルヴァンの姿に、リリスは耐えきれずに大爆笑した。


「ぷっ……あはは!何が魔法剣士よ!完全に見習い以下じゃない!」


「くっ……う、うるさいな!初めてなんだから仕方ないだろ!」カルヴァンは顔を赤らめて言い返すが、リリスの笑いは止まらない。


「この調子だと、扱える様になるまで10年はかかりそうね。ま、素直に魔術に専念してなさいよ」とリリスは肩を叩き、まだ笑いをこらえながら先へと歩き出した。


カルヴァンは剣をそっと地面に置き、悔しそうにため息をつきながら

「魔法剣士……カッコイイのにな……」と小さく呟き、遅れないようにリリスの後を追った。





しばらく森を進んでいると、茂みがざわつき、

「ギィギィ……」という耳障りな鳴き声が聞こえてきた。


「何だ?」カルヴァンは思わず立ち止まり、音のする方を見やる。


次の瞬間、木々の間から複数の赤い目がこちらを睨みつけた。

現れたのは、粗末な剣や盾を構えたゴブリンの群れだった。

彼らは二人を取り囲むようにして、不気味な笑みを浮かべながら近づいてくる。


「カルヴァン、ゴブリンよ!気を付けて!」

リリスが緊張の声を上げる。


前衛には剣と盾を構えたゴブリン、後衛には弓を構えたゴブリン、さらに奥には呪文を唱え始めたゴブリンの魔法使いも見える。

カルヴァンは身構え、『ファイアボール』の呪文を唱え、手から生まれた火球を放つと、剣を持ったゴブリンが爆発の余波で吹き飛んだ。


だが、周囲のゴブリンたちは「ギィギィギィ!」と甲高い声を上げ、不気味な笑みを浮かべながらなおも迫ってくる。


「くっ……!」

カルヴァンは再び、『ファイアボール』を放つが、動きが素早いゴブリンに翻弄され、次々と追い詰められていく。


その時、一体のゴブリンが剣を振りかざしてカルヴァンに突撃してきた。

「うわっ!」カルヴァンは慌ててバリア展開するが、ゴブリンの剣がバリアを貫き、肩に鋭い痛みが走る。


「カルヴァン!」

リリスが『ダークスラッシュ』で近くのゴブリンを一掃し、彼の横に駆け寄った。

「もっと集中しなさい!盾はあたしがやるから、攻撃に専念して!」


「わ、わかった!」

カルヴァンは息を整え、肩の痛みに耐えながら

『ファイアストーム』と呪文を唱えた。

炎の旋風がゴブリンたちの集団を巻き込み、苦しげな叫び声が森中に響き渡った。



リリスも『ダークネス・バインド』で弓使いのゴブリンを闇属性のツタで縛り上げ、影の刃『ナイトメア・シェイド』を放って遠くのゴブリンを切り裂いた。


だが、奥のゴブリン魔法使いがさらに呪文を唱え、カルヴァンに向けて氷の針を放ってきた。

「うっ……!」

カルヴァンは避けきれず、針が肩をかすめたが、リリスが「ダークパルス!」で闇の衝撃波を放ち、ゴブリンの魔法使いを吹き飛ばした。


息を整えたカルヴァンは周囲を見渡し、「これで……全部、かな?」と呟く。


リリスも確認し、頷きながら、「ええ、でも油断しないこと。あんたが成長しないと、私も本来の力を取り戻せないんだから」と言った。


「え?」

カルヴァンが驚いて問い返すと、リリスは悪戯っぽく笑みを浮かべた。


「本来なら、あたしがこの世界に顕現するには生贄が必要なの。でも、あんたが面白そうだったから、その膨大なマナを使って少し強引に出てきちゃったわけ。おかげで力が制限されてるのよ」


「じゃあ、僕がもっと強くなれば、リリスの力も戻るってこと?」カルヴァンが少し真剣な顔で聞き返す。


リリスはにやりと片方の口角を上げて、カルヴァンの肩を軽くポンと叩く。

「ふふ、察しがいいわね。でもね、あんたが成長したら……それに、面白いことになりそうじゃない?」


「面白いこと……?」

カルヴァンが戸惑いつつも興味をそそられる様子で聞き返した。


「せっかく面白そうな人間を見つけたんだから、あんたがどこまで強くなるか見ものよね。退屈するのはごめんだし、しっかり成長してわたしを驚かせてちょうだい。そしたら、あたしも本気で手助けしてあげるわ」


カルヴァンはリリスの頼もしげな笑みに少し安堵しつつ、決意を込めて頷いた。

「わかった。僕、もっと頑張るよ」


リリスは満足そうに微笑み、「頼りにしてるわよ」と一言だけ残し、再び深い森の奥へと足を踏み入れたのだった。




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