02
花瑠は、自宅から歩いて二十分ほどの女子中学校に通っている。
訪れた金曜日、花瑠はどこか表情に陰鬱さを滲ませながら、中学校の廊下を歩いていた。楽しそうに笑い合っている女子生徒のグループとすれ違って、花瑠は眼差しに憧憬の色を溶かす。そうしているうちに一年三組に到着して、花瑠は数秒逡巡してから教室の扉を開いた。
花瑠の席は窓際にある。友人の
二人は花瑠に気付くと、手を振る。
「花瑠、おはよう」
「おはよう、凛華」
「おはよー、花瑠。遅くない?」
香絵の言葉に、花瑠は少し俯きながら「そうかな?」とだけ言って、机の側面のフックにそっと通学鞄を掛けた。
香絵の唇が、にんまりとつり上がる。
「もしかしてさ、朝から小説書いてた訳? 前から言ってるけどさー、そのキモい趣味やめた方がいいよ」
花瑠の心が、ずきりと痛んだ。
凛華は困ったように、花瑠と香絵へと交互に視線を移す。
花瑠は、あははと乾いた笑いを溢れさせた。
「そ、そうかな……でも、意外と楽しいんだよ?」
「いや楽しいとかどうでもよくてさ、キモいからやめなって言ってんの。キモい趣味の奴と仲良くしてたら、私までキモいって思われちゃうじゃん。迷惑なんだけどー」
香絵はそう告げて、くすりと笑う。
花瑠は香絵の姿を見た。艶のある茶色がかったストレートロングヘアの髪、ぱっちりとした瞳、透明感のある肌。制服は少しばかり着崩されていて、髪の上には銀色のヘアピンが光っており、他のクラスメイトと比べて垢抜けているように感じられる。
確かに、香絵は綺麗な少女だった。
そんな彼女が「キモい」と言うのだから、きっと小説を書くことは「キモい」のだろう。
…………でも、
花瑠は溢れそうになった言葉をどうにか飲み込んで、「ごめん」と小さな声で言った。香絵は満足げに笑う。
「ていうか、さっさと決めようよ、明日の話! 花瑠が来るの遅いからさー、話進められなかったんだよね」
「ごめん……そしたら明日、何する?」
「んー、やっぱショッピングしたい! 夏服欲しいんだよね、凛華もそう思わない?」
「そうだね、お洋服欲しいな」
「やっぱり! 凛華さすが、イケてる」
二人の会話を聞きながら、花瑠は目を伏せる。
――――すごいです! ハル、かっこいいです。
昨日、儚が告げてくれた執筆に対する言葉をふと思い出して、少しだけ涙が溢れそうになってしまった。
◇
土曜日、花瑠は凛華と香絵と共に大きなショッピングモールに訪れていた。
香絵は楽しそうに、ドット柄のワンピースと小花柄のワンピースを鏡の前で自身に当てる。
んーと声を漏らして、花瑠と凛華の立っている方を見た。
「ねえ、この二つさ、どっちが私に似合うと思う?」
「ええと」
「あ、花瑠には聞いてないよ? キモい趣味の人の意見聞いてもしょうがないしー。ねえ、どう、凛華?」
「え、そうだな……多分流行ってるのは、花柄の方なんだけど……」
凛華の言葉を、香絵は目を輝かせながら聞いている。
そんな二人を見ていると、花瑠は胸が軋んだような心地になった。
おかしいな、と花瑠は思う。友人と過ごす楽しい休日のはずなのに、自分は今ちっとも楽しくなくて、むしろ悲しい。
小学生の頃はこうじゃなかったのに、と追憶した。花瑠と凛華は幼稚園からの付き合いで、小学校に入ってからもずっと一緒にいた。一緒に中学受験して、同じ志望校に入れて、しかも同じクラスになれたときは、本当に嬉しかったのに。
――――香絵なんか、
思わず浮かんだ思考を何とか振り払った。友達にそんな考えを抱いてはいけない、と花瑠は強く思う。
凛華と香絵の楽しげな会話を聞きながら、花瑠は自身の手のひらにぎゅっと爪を立てた。
◇
香絵がお手洗いに行くと言うので、花瑠と凛華は通路のベンチに並んで腰掛けていた。
「……あのさ、花瑠」
凛華の言葉に、花瑠は携帯をいじるのをやめて彼女の方を見る。
凛華はどことなく苦しげな表情を浮かべていた。
「どうかした、凛華?」
「その……ごめんね。わたし、花瑠が香絵からああいう風に言われるの本当は嫌なのに、気が弱くて言えないでいて……」
花瑠は目を見開いた。
凛華は太ももの上で手を握りしめながら、話し続ける。
「香絵、最初は明るくていい子かと思ってたのに、最近は花瑠のことをよく馬鹿にして、わたし、ひどいと思ってる。ごめんね、今まで伝えられなくて……」
「……そういう風に、思ってくれてたんだ」
花瑠の言葉に、凛華はこくりと相槌を打った。
そうだったのかと花瑠は思う。てっきり、凛華は余りそういうことを気にしていないのかと思っていた。でも、実際にはそうではなくて、昔と同じように、凛華は花瑠の味方でいてくれていたのだ。その事実に気付き、花瑠は少しだけ頬を緩める。
「ありがとう。そう思ってくれてただけで、嬉しい」
「お礼なんていいよ……ごめんね。わたしがもっと気が強かったら、はっきり嫌って言えるのに……」
「言わなくて大丈夫。それが原因で香絵が凛華のことを悪く言い出したら、私、嫌だもん。だから、このままで平気だよ」
花瑠の微笑みは、どこか切なげだった。
凛華が淡く目を見開いて、何かを言おうとしたみたいだったけれど、そのとき香絵が戻ってきて、二人の間に会話はなくなった。
◇
夕方、花瑠は凛華と香絵と別れて、一人で電車に揺られていた。
花瑠はふと思い立ったように、鞄からごそごそと手帳を取り出す。
開くと、そこには花瑠の小説が綴られていた。
花瑠はゆっくりとそれを読む。
気付けば、ぼたぼたと涙が零れてページを濡らした。
濡らしてしまってはいけないと思って、花瑠はぱたんと手帳を閉じる。それから少しだけ泣いて、香絵と会うことのない明日に安堵した。
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