境内、座布団の上
「さぁて、今更な自己紹介を終えたお二人さんよ。そろそろいいかい? ついでに儂は鬼の端くれだ。酒吞童子と呼ばれていた事もある。今はただの『坊さん』だがな。この寺の僧侶をやってる」
なかなか話が進まない事にやや苛立ち始めた僧侶が話を戻そうとする。何しろ、真っ先に説明が欲しいことが一つどころか複数あるのだ。
酒吞童子! と、覚えがある名なのか目を輝かせた椿の頭を大きな掌でぐしゃぐしゃと撫で回しながら、強引に続ける。
「《ほこら》の、お前さんどうしてこんな所でたらだらしてる? 生贄の娘を取り殺しもせず連れ回してるのは何故だ? その上、寺で世話しろ? 役に立つ? ああ、それと祠を壊したってのはどういう事だ?お前にとっちゃ、一大事だろうが」
低いしわがれ声ながら、穏やかに喋る男にしては珍しく一息にまくし立てた。こうして羅列されてみれば、当事者である《ほこらさま》――竜胆にしてみてもこれだけの事が一度に起これば混乱も已む無しだ。それなのに、寸劇を見せられるばかりで話から置いてけぼりの僧侶はよくもまぁ、辛抱強く付き合ってくれているものだ。内心、面倒事を押し付けられそうになっている事に毒づいていても。
そんな大人達の心の機微を、まるで意に介していない椿が「こう、斧でですね」と腕を振り上げて実演し始めたので、丁度良く頭上に来た両手を竜胆が捕まえる。
「坊さん、すまないが、いつまでも立ち話という訳にもいくまい。どこか、部屋に上げてもらえないか?」
竜胆の提案に、他の二人も異論はなく顎をしゃくった僧侶の後に黙ってついていく。その巨体に似合わず、敷き詰められていた砂利を踏む時も、建物に上がり年季の入った床の上を進む時も僧侶は足音一つ立てなかった。『静かに』とは言われなかったが、後に続く二人も音を立てないようにしていた。はじめ、竜胆は椿に声を上げないよう注意すべきかと思ったが、やはり思いの外聡い子のようだった。言われずとも、障子や襖の向こうに寝静まった者達の気配を感じ取っていた。
けれども、生来の好奇心は抑えられないようで、物珍しげに辺りを見回す事はやめようとしない。足元が疎かになり二度三度、床板を大きく軋ませた時は自分で口を押さえて飛び上がっていたが。
簡素ながら手入れの行き届いた庭の、砂利や松の木や苔生した岩々を横目に縁側を進む。寺の本堂も、周囲を囲む塀も年季を感じさせ、ところどころ漆喰が割れていたりはするものの、人が住んでいる空気が満ちていた。そうして細い渡り廊下を抜けて辿り着いた、小さな離れの障子が開かれた。
「最近はただの物置にしちまってたからな。ちと、埃っぽいがまぁ座ってくれ」
隅に積まれた茶箱の上に重なっていた座布団を放りながら、僧侶は部屋の中央に胡座をかく。顔の前で座布団を受け止めた椿は、少なくない埃をまともに浴びてしまい慌てて鼻を摘んだ。そんな椿の頭に落ちた埃を片手で払う竜胆は、抜け目なく身体から離れた所で座布団を掴み、そのままぐいっと椿の頭を押さえ、隣り合わせに座り込んだ。
「さて、すまないな坊さん。正直、僕も整理しきれてはいないんだが――」
※※※※※
「なるほどなぁ」
たった一日の中で起きた数々の事件を、何とか竜胆が掻い摘んで(時折口を挟もうとする椿を黙らせながら)説明し、困ったような呆れたような表情で僧侶は頭をぐるりとめぐらせた。
「なるほどな。それで椿嬢が『役に立つ』、と。しかし、これはなかなか難しいな」
我が事ながら、まるで話について行けていない椿は僧侶と竜胆を交互に見ている。そもそも、彼女は山の中で自ら語った通り『いつ死んでもいい』と考えているので、自分を中心にしてどれだけ摩訶不思議な事件が起きているのか、全く理解していないのだ。
「あたしが役に立つ、というのは、その……死なないからですか? 生気を吸っても」
本人が明確に理解出来ている《異常》は、せいぜいこれくらいだ。これとて、原理も活用の方法も特に思いつかないのだが。それは、他の二人も同じようだ。
「あ、あれですか? 生かしておけば生贄要らず、とか……。もちろん、竜胆さんのお相手ならいくらでも。いえ、待って下さい。ま、まさか、怪異相手に身売りさせたり……!」
「大丈夫だ。そんな酷いことはさせないよ」
一人で赤くなったり青くなったりしている椿の頭を撫でて、とりあえず安心させる。何となく分かってきたが、椿は頭や首筋に触れられると大人しくなるらしい。
「で、『生気を吸っても死なない』ってのは具体的にゃあ、どういう状況なんだ?」
「よく分からん。昨日の晩、確かにこいつは、生気を丸々失って死んだと思ったんだが、次の瞬間には起き上がって来るんだ。それも、六度」
「回復力、か?」
「恐らくは。だが一旦、死に瀕してから戻るのが解せない。単に並外れた回復をするのなら、生気の減りも遅くなるはずだが、そんな様子もない。生気そのものは普通の人間と変わりないみたいだ。……椿、吸われてから目覚めるまで、どんな感覚なんだ?」
「ええっと……。なんといいますか、夜寝た時に、目を閉じて次の瞬間には朝、みたいな眠り、ありますよね? あんな感じです」
取り立てて手がかりとなる現象は、当人としても知覚できていないらしい。予想通りと言うべきか。やはり、目新しく判明する事は特にない。
「でも、回数重ねる度にしんどくなりましたよ」
「まぁどんな原理だろうと無尽蔵とはいかないだろう。……半妖、って匂いもしないし、何らかの術が行使されてる気配も無かったな」
「儂としちゃ少しばかりぞっとするが、やはり田村麻呂や金時みてぇな、不思議な力を持って生まれた人間かもしれんな」
三人揃って首をひねるばかりで、状況の解明は進まなかった。ならば、別の切り口から取り掛かることとなる。
「祠を壊して建て直して……か。念の為確認しておくが、嬢ちゃん本当に術師でも何でもないんだな?」
「はい」
そもそも大工仕事だって知らないはず。
「こいつ、本当に情念一つでやり遂げていたぞ。下手に術の類を教えないほうがいいかもしれん。手がつけられなくなりそうだ」
その言葉に、頬を膨らませながら抗議する。
「失敬な。仮にあたしが陰陽師か何かになったとして、人を食べる悪ぅい怪異しか祓いませんよ。この世に平和をもたらすのです」
何やら両手をひらひらさせながら力説している。印の真似事だろうか?
「椿嬢。そもそもこいつみたいに、人間を直接食い物にしている怪異ってのは多くはないんだ。今日び、術師なんぞ儲からんからやめとけ」
かつては技術の秘匿やら政への深い関わりがあった陰陽寮も、今は儲からないから、わざわざ税で高給を餌に人を集めているのだ。
「そうなんですか? 絵巻物とか草子だと、そんな怪異ばっかりでしたけど」
「そりゃあな、人間の害にならない怪異は存在自体が知られていなかったり、わざわざ本にしても面白くないからだろう」
監禁されていた割に、変な所で世情について知っている理由が分かった。生贄としての価値が損なわれないよう扱われていたのは見た通りだが、衣食の他に以外にも書物を与えられていたらしい。
「あぁ、そうなんです。生贄の儀式の作法とかは本で伝わっていましたので。村では皆畑仕事が第一で本を読む人はいなくて、何代か前の村長が集めた本とか、村にあった本は一山分あたしと一緒に物置代わりの牢に……。読み書きについては村長が簡単に教えてくれました。まぁ、それも理由としては『自分で儀式のやり方調べておけ』、だそうで」
これくらいの本に儀式の事がまとめられていて、と言い両手を広げてみせた。美濃本ほどの大きさのようだが。
「生贄の事、わざわざ文字にして残していたのか。確か、適当にその場の口約束をでっち上げただけだったから、律儀に守る必要は無かったんだが」
感心して思わず『適当』だったと口走ると、むっとした椿が腕を組んで無理矢理に両側から己の胸を寄せようと努力した。相当、根に持っているらしい。
「『適当』! はいはい、そうでしょうね。その、適当に決めた色々のせいであたしは大変苦労したんですけどね。大体、本にしていたのだって、あなたが生贄を求めるのが、やたら間が空く上に一定じゃないせいですよ。前回の事を覚えてる人がみんな死んじゃっててもおかしくないんですから。今回だって六十年近くも空けて……もし、今年中に生贄の沙汰が無ければ『これ以上穀潰しを飼うのは無駄だ』って、人買いに売られる所だったんですからね」
「……………待て、君、今いくつだ?」
「この夏で二十歳になりました」
胸元で組んだ腕はそのまま、憮然とした表情の椿から告げられた真実に、竜胆は驚きを隠せず天を仰いだ。それがまた椿の神経を逆撫でするとも知らずに。
「十四、五くらいかと」
「あたしの胸が小さいのは誰のせいだと……!」
大声で怒り始めた椿をなだめすかす為に大の男二人がかりとなったが、結局竜胆が平謝りする羽目になった。
……子供のように思われていたのは体つきではなく、これまでの言動に落ち着きがないから……というのは二人とも胸に仕舞った。実のところ、多少小柄で細身ではあっても、椿は全体的にしっかりと女性的な造形をしている。
「……で、なんでしたっけ。人を食う怪異はそもそも少ないと?」
人を食い、直接生気を得なければならないもの。
人を食う存在として確立してしまったもの。
そして――只管に害を為すために食うもの。
「草子ものを読んでいたなら分かるだろう? 人を食うような怪異が幅を利かせ続ける話が、一つでもあったか? 一時の贅沢やらなんやらの為に周りを害する存在っていうのは、遠からず滅びるんだよ。だから、ほとんどの怪異はそもそも必要以上に人前に出てこないんだ」
なるほど、と頷く椿。盛者必衰のことわりなり。
「儂も、昔は人間など取るに足らんと、随分と非道を尽くしたもんだが……最後は角と爪を斬り落とされて今はこのざまだ。人間は弱い割に敵に容赦がないからな。」
「酒吞童子さんってやっぱり、あの伝説に出てくる……?」
にわかに目を輝かせる椿。
魑魅魍魎の怪異であっても、普通、人間は敵わない。ましてや、個として認知されるほどに力を付けた鬼ならば恐れるものなど無いはずなのだ。
しかし、いつの時代でも災禍をもたらす存在に対しては、集団の力であったり生まれ落ちた英傑が必ず怪異を討伐してきた。食物連鎖の頂点は間違いなく怪異――この世ならざる者達なのに、人間はけして闇に生きる者に支配されることはなかった。
「どうにもな、ちょうどいい塩梅ってのがあるみたいなんだ。人間達は儂らには敵わねぇ。だが、どんなに強い怪異でも、どこかで人間に討たれる。そういう風になってんだ」
「ふぅん……?」
遠く時を渡り、今でも恐れられている強大な鬼の、悟りに近い言葉だった。実際、近年は怪異と人間の争いは取るに足らない小競り合いばかりで、平和なもの。人間同士の戦の方がよほど苛烈という有り様だった。
うずうずと、『酒呑童子』の伝説が気になる様子の椿が口を開くと、はつらつとした声の代わりに大きなあくびが出てきた。それを見て、僧侶は目尻を下げて愉快そうに口の中で笑った。
「おっと、すまんすまん。山から降りてきたってんだから、そりゃあ疲れてるに決まってるわな。今日はもう寝ろ。明日、嬢ちゃんの身の振り方を考えような」
そう言うと、部屋の隅にある茶箱を開けて布団を何枚か取り出した。座布団と違って、きちんと仕舞われていたため埃っぽさは無かった。
這うようにして布団に潜り込んだ椿は、たちまちの内に瞼が開かなくなった。そうして、僧侶のみならず、竜胆までもが部屋から出ていく気配を夢現に感じ、引き留めようとしたが声を上げる間もなく意識が消えていった。
※※※※※
「で、本当の所どういう風の吹き回しだ? 食っても死なないなら適当に飼い殺して終わりでもいいんじゃねぇのか? あの山ん中なら、ほっといても十日も保ちゃしねぇだろ」
僅かな風のそよぎすら起こさずに、二人は縁側を進む。全員にとって最も楽な方法はそれだった。恐らく、椿自身も理解していた。望んですらいた。
後ろを歩きながら無反応を貫く竜胆に、振り返りもせずに呆れたように嘆息する。
「お前は、これからどうするんだ?」
「…………好きにするさ」
「おう。そうしろ」
いつの間にか、縁側を歩く気配は一つになっていた。
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