第18話 頑張った日には甘やかしをしよう

「裕二くーん!」


「わぷっ!?お前なぁ!急に突っ込んでくんなや!」


「だってだってだって!私は疲れたんですー!動いた事があんまりない女子がマラソンなんて、キツいだけなんです!それに二時間もあるんだよ!?しんどいよ!しんどいわ!」


「はいはい、分かったから。落ち着きましょうねー。何が望みなんですか」


「甘やかしを所望します!」


「俺いつも甘やかしてる気がすんだけど」


「何か言った?」


「すみませんした」


余計な事を言った裕二に足を喰らわせ、その上で有無を言わせぬ圧を発揮する由美に対して何も言えない。

自分でも余計な事を言った自覚があるので、この怒りは受け入れるとしよう。

それに…


「本当……女の子の気持ちが分からないね」


「そういう俺は嫌いになっちゃうか?」


「えへへ…そんな訳ないじゃん!私はどんな裕二くんでも好きだよ!」


「そうか、ありがと」


どうせイチャイチャに突入してしまうのだから。


「そんな嬉しい事を言ってくれた君にはプレゼントを差し上げよう。さて、何が良いかね」


「ケーキ食べてみたいです!」


「そうか…それは明日だな。今から作って絶対に間に合わんぞ。今日は甘やかされたいんだろ。夜に作っとくからさ」


「はーい、楽しみにしてまーす」


さらっと明日にケーキを食べる約束をしつつ、裕二と由美は鞄を背負って帰る準備をする。

その熟練されたイチャイチャに周囲からの視線が生暖かいものになっている気がするが、由美は気にしていない。

祐二も気にしないと言えれば良かったのだろうが、気になってしまう性質。


少々歯の奥に魚の骨が刺さったかのようにむず痒くなってしまう。

しかし、由美と長い時間を共に過ごすのであれば慣れなければいけない事。

歯軋りを少しの間し、切り替えをする。


「ふんふーんふーん!」


「随分と上機嫌だな。何か特別な事でもあったか?」


「祐二くんと一緒に帰れる日常が今日も続いてくれて嬉しいんだよ!」


「そうか、じゃあ俺も感謝をしようかな。由美と過ごせる時間が今日も続いてくれているから」


「そっかー!ありがとうね」


「おう」


なんて事ない日常にしてもらえ、そんな日常が続いている事に感謝を祈る。

他の人からすれば不思議な光景なのかもしれない。日常が続いている事は当たり前なのだと認識しているから。

しかし、由美は知っている。祐二は知っている。その日常が、一つの理不尽によって崩壊する危険性を孕んでいる事を。


一度崩された身だからこそ分かる事。そして、そんな身だからこそ永遠の日常を欲する事も。


それを祈れる人が隣にいると再確認して、二人は寄り添う。

多少の身長差を物ともせず、近づく。その光景、甘く赤い糸が二人に繋がっているのを幻視してしまう程には恋人に近かった。


「自らが幸い君がさいはひのつゆも変わらぬものにてあれかし」


「へ?何それ」


「与謝野晶子さんが作った和歌だ。自分とあなた、変わらない幸せを願った歌。今の状況みたいな和歌だろ?」


「すごーい!祐二くんって色々な事に精通してるんだねぇ。もっと聞きたい!」


「それじゃあ一つ。逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり。権中納言敦忠さんの和歌だぜ」


「う、うーん?どういう歌なんですか!」


「帰ったら言ってあげる」


公共の場で言ってしまえ場少々恥ずかしい事態へと陥ってしまうので、とりあえずは誤魔化すとしよう。

それにだ。分からない、というのも面白いだろう。どんな和歌なのか、どんな意味が込められているのか。

それを予想し、答えを模索する。それも中々良いだろう。


「……って、どうしたんだよ。そんなに顔を赤くして。俺なにか由美を恥ずかしめる事や照れさせる事はしてないと思うが」


「祐二くん…君は恋愛関係に関しては一文不通だよ。その動作で一体何人の女の子が悶え苦しみ、萌え死にするか。分かってやってないでしょ!!」


「え、ごめん?」


「本当だよ!」


何故こんなにも怒られているのだ、という疑問はさておいて。とりあえず謝っとこう作戦は大成功のようだ。

その事実に安心を抱く祐二であるが、その心の裏側ではこうも思っていた。

「なんで俺怒られてんの?」と。最初に抱いていた疑問が360度回転して戻ってきた結果である。


怒られた当初は即謝ったものの、事が終えたら納得できない意見が裏側からひょっこり出てきた。

人差し指を口に持ってき、お口チャックを指しただけなのだが。

それのどこが女子を燃え殺す要素が存在しているというのか。

試しに人差し指を持ってきても、ピンとくる要素はなかった。


首を傾げてしまう程には理解が及ばなかったのだ。それが更に萌える要素を増やしているとも知らずに。


「だぁぁぁ!良くないってそういうの!なんでダメって言われたのに更に追加しちゃうかなぁ!あざといって!」


「あざとくないだろ。どこがあざといんだよ」


「はー?はー!?無自覚とか良くないよ。そんなんだから女の子を惑わすんだよ。特に私とかね!」


声を荒げ、意見を大にして主張するが、裕二にとって理解できる話ではなかった。






ちなみに、帰ってか『逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり』の意味を知って赤面する女性がいたのは別の話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る