3-11 能ある鷹は爪を隠す【side 霊弥】

 夢かうつつか迷う。


 夜の森は静かだった。

 しきがみの気配はまだ遠い。だが、油断はできない。


 歩を進めるたび、あしうらに湿った土の感触が広がる。足音を最小限に抑えながら、周囲の気配を探る。

 風がえだを揺らす音。時折、夜行性の小動物が動く気配。いずれも危険はない。


 ……このまま頂上まで行ければいいが。

 そう思った矢先、頭上から低い鳴き声が降ってきた。


「……?」


 見上げると、一羽のたかが枝にとまっていた。


 としいた鷹だった。翼の一部が傷んでいる。

 何より、するどさを感じない。こちらに気づいているはずなのに、特に警戒する様子もない。ただ、ゆっくりとまばたきを繰り返している。


 試しに足を動かしてみる。

 鷹の視線がこちらを追った。だが、動きがにぶい。


 ずいぶんと老いているようだ。


 これほどの年齢まで生き延びたということは、それなりに狩りの腕は立つのだろう。

 だが、もはや俊敏な動きは期待できそうにない。


 ふと、鷹がくちばしを鳴らした。


「ギャア……」


 それは弱々しく、年老いた生き物特有のにごった鳴き声だった。だが、次の瞬間――。

 森の奥でうごめいていた式神の気配が、一斉に後退していった。


 なるほど。

 老いていても、この鳴き声には効果があるらしい。式神を追い払う術を、経験として知っているのだろう。


 少し考え、鷹の下に腰を下ろした。

 頂上までの道のりはまだある。だが、ここならしばらくは安全かもしれない。


 眠るつもりはなかった。

 だが、確実な安全を確保した瞬間、思考の端から疲労が忍び寄る。


 まぶたが重い。


 ――……。


 意識を保とうとしたが、気づけば視界が暗転していた。

 せいじゃくの中、老いた鷹の鳴き声だけが、遠くで響いていた。



 ✿❀❖*✿❀❖*✿❀❖*



「きちゃーからひはのぼーり、ひぎゃーしにしずむー」


 何だ、と思って瞼を開くと、真っ先に鷹の顔が見えて、ずさっと後退りする。

 さっきの鷹か?


「きちゃー……えーっと、ぐわん……」


 何言ってんだこいつ。大きい鷹だが、足取りは弱々しいし、ふらついているし、目はうつろだ。


「きちゃー……えーっと、ぐわん……ぎゃんも、ぺろぺろり」

「………」

「ひぎゃーしにしずむ……にょにょにょ?」


 だめだ、全く理解ができない。

 テキトーに返事をしたら、どうなるのか。


「東から陽は昇り、西に沈む」

「こっちじゃ、うぉー、あれだ、南から昇るんだっけー……」


 こいつ……大丈夫か……?

 とりあえず、しばらく見ているか……。


「花ーはしぼーみ、鳥ーは泳ーぐ」

「花は咲き、鳥は飛ぶ」


 はぁ、とため息をつく。


「魚ーは歩ーき、草ーは走ーる」

「魚は泳ぎ、草は……」


 そう言いかけたところで口を閉ざす。草は……なんだ?


「大地ーはうねーり、星ーはねじれーる」

「……どうしろっていう」


 どの言葉にていせいしろ、と言うのだろう。間違っているのは確実だが……。


「山ーは倒ーれ、空ーは閉じーる」

「原文を教えてくれ……」


 何を間違えたのか、俺にはわからない。訂正のしようがなく、俺はあきれて笑いながら、頭を抱えた。


「雲ーはふくれー、雨ーは刺さる」

「雲は流──」


 言いかけた時、どことなく土を踏む音が聞こえた。途端、あたりにまがまがしい空気が立ち込める。

 恐らく、式神。


「どこだ……?」


 そうつぶやいた途端、鷹が首をかしげてから、


「ガァ!」


 と一鳴き。その瞬間、あたりから禍々しい空気が消えた。

 ……鳴き声一つで、気配を、式神を、追い払った? この、鷹が?


「……お前、すげえ鷹だな」

「たか?」


 どうやら、自分が鷹という生物だとも、覚えていない模様。そして、鷹は誇らしげに胸を張った。


「たーか! すごーい! えーらい!」

「………」


 どうツッコめばよいかわからず、はぁ、とため息をつく。

 鷹は鳥類の中では比較的賢いといわれるが、あやかしとかそのような存在では、その常識も通用しないらしい。


 

「いたーだき、ひぎゃーしにありー」

いただき、東にあり?」


 まためつれつなことを、と胸でつぶやく。この数分ですっかり慣れたが、あきれることには変わりない。


 不意に空を見上げたとき、青、紫、赤と経て、空がだんしょくけいに染まっているのが目に映った。


「まずいっ……」


 早く頂上に行かねば……と立ち上がり、恐らく頂上へつながっている道へ歩を進める。砂利の地面を踏みしめて、日が昇らぬうちに。


 そうこう走ること数分経っただろうか。


「風ーは伸び、羽ーは立つ」


 聞こえるはずのない声に、思わず振り向く。

 どうして、鷹の声が。まさか〈げんそうのうりょく〉では。

 振り向くと、鷹がいた。


「………」


 なついてしまったのだろうか……。

 まあ、式神を追い払えるのだから、使い物にはなる。彼が鳴けば、式神が近くにいない証拠にもなる。


 こいつの意味不明な言葉に付き合わされるのは大変だが、こいつを置いていった途端に、式神に襲われるよりはましだ。


「一緒に行くか?」

「いく? いくいく? いくしー、いくよー!」


 一応、こちらの言葉も通じるらしい。

 確かに、自身が話せているのだから、聞くのもできないことはないはず。何にしろ、彼の脳内では、ちゃちゃになっているだろうが。


「ああ、行こう」

「いくしー! いくしー! たかしー! いくしー!」

「一箇所だけ人名があったよな?」


 と、何てことないやり取りをしていると、黄色と黒のロープに引っかかった。

 向こうは平らな場所で、何名か人影も見える。


 うちのひとりがやって来て、俺を中へ入れる。


「お疲れ様だ。そこに握り飯があるから、好きな具を持っていけ。何個でもいい」


 と連れていかれたところにはカゴがあり、中には見覚えのある握り飯が大量に並べられていた。

 とりあえず、安全そうな塩結びを手に取る。


 こいつは……。


「食べるー!」


 と言いながら、くちばしで札を突いていた。


「穴が開くからやめろ。ついでにそれは食べられない」


 試験官も、目をみはって、こちらを見ている。

 鷹は賢い、という先入観があると、この鷹は少々、いやかなり異質に見えるのも仕方ない。


「おいしー?」

「知らん」

「しらん! おいしー!」


 結局、塩結びをもう一つもらって、鷹の前に置いてやった。

 鷹は首を傾げる。


「塩結び」

「しお? しおー、しおしお……」


 はぁ、と何度目かわからないため息をつく。

 と、その時、向こうに、人影をとらえた。


 ぎんぱつへきがん。遠くてもはっきりわかる。

 ……。早弥……!


 俺はとっさに走り出して、端に腰かけた早弥のもとへ向かう。

 ……早弥、早弥。

 足がもつれそうになっても。たかが数十メートルでも。


「……はぁ……はぁ……」

「……れいくん」


 早弥もボロボロだった。着物はところどころ破れて、痛々しい包帯と紗布ガーゼが、傷の痛みを物語っている。


「……無事で良かった、霊弥くん……」

「……早弥こそ」


 昇ったばかりの朝日に照らされて、俺たちは顔をほころばせて笑った。

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