1-2【side 霊弥】

 目の前に現れたやつは……人間じゃない。

 人間は翼なんて生やさない。そんなの当たり前だ。

 それなのに、こいつは……。


 ようが再び合気組手を構える。目の前のやつは、フッと鼻で笑うと、


おれと合気道で勝負したいの? 受けて立つよ」


 そう言いながら、合気組手。左足を後ろに下げ、いかにも武道家のような、凛々りりしい構えだ。

 自分の腕に自信があるのか。


 妖魔が振り出した手から、刃物のような水の弧が飛び出す。

 それは確かに、彼の白い腕を裂いたが──見るみるうちに傷口はふさがる。

 何……!?


 さすがの妖魔も驚いたのか、動きを止める。


 彼は、右手の親指で、中指の爪を弾いた。

 途端、ビリッという音がする。彼の右手を、電気が走っていた。


皇子みこりゅうじんたる者が、水の妖魔に負けるわけはない。そうだろ?」


 電流をまとった合気組手は、妖魔の胴体を穿うがち、そして──。

 水が、感電しながら飛び散った。


 ……え?


「ってー、しびれた。やっぱ水相手には遠距離攻撃がいいな」


 そう言いながら彼は、右手を気にかける。

 確かに、力無く、だらんとしていた。


 ていうか、誰なんだ……?

 そもそも、お前、何の生き物なんだ……?

 さっき「皇子の龍神」とか言っていたような気がしたが、空耳だよな……?


「……ん? ていうかあんた、結構大っきい怪我してんじゃん」


 そう言いながら彼は近づいてきた。

 うーん……かなりの大怪我だと思う、俺も……。


「ちょっと痛いかもだけど、我慢して」


 彼の藍色の瞳が、宝石のように輝いて、俺を奥へ引き込む。


 彼は指で俺の傷口をなぞる。傷跡に塩を塗り込まれるような痛みがしたが、それでも、傷の痛みは引いていた。

 触れても、痛くはない。


「……!?」


 あの怪我を、なぞっただけで秒で治す……だと……!?

 本当に何者なんだ……!?

 しばらく彼は俺を見ていたが、やがて窓を開けて、外に身を乗り出し──。


 銀と青緑のうろこうるわしい、龍の姿になって、空へ飛んでいった。



 ✿❀❖*✿❀❖*✿❀❖*



 部活動が終わり、時刻は午後七時。

 ずいぶん遅くなってしまった。辺りも十分暗い。

 ゆるめの部活が終わる時間としては、ずいぶん遅いようにも感じるが……。

 仕方ない。あの後、片付けに加えて週番の雑用もあったからな。


 携帯を開いて、早弥さやにメッセージを送る。


【晩ご飯は途中で食べていく】

【冷蔵庫に作り置きあるから食べて】


 すぐに既読はつき、返信もきた。


【了解】(柴犬のスタンプ)


 電源ボタンを押してスリープする寸前【他に寄り道しないでよ】というメッセージが見えた気がしたが……見なかったことにしよう。



 大通りに出たところにある飯店に入ると、むわっとした熱い風が吹いてきた。

 赤を基調とした店内が目にまぶしい。


 学校の帰りが遅くなり、家に帰る頃には遅い時間になっているとき、俺はよくここで晩飯を食べる。

 同級生の父が働いているというがあることが理由の一つだろうか。


 カウンター席に座り、目の前で調理をする、顔見知りの店員に声をかける。


「調子はどうだ」

「ああ、今日はいいよ。また遅くなっちまったのか? その汗は部活だな?」

「ああ。加えて雑用」

「お疲れ。水も滴るいい男、ってやつだな」


 確かに昔から、容姿では持てはやされていた。

 銀髪に碧眼へきがんという珍しい色素に加え、母譲りの端正な顔……そう言われているだけだが。

 だから、頭に血がついて赤くなっていないか心配だったのだが……さっき、窓ガラスには映っていなかった。


「いつものかい?」

「ああ。もやしラーメンを一つ頼む」


 大盛りのラーメンに山ほどのもやしが盛られた、学生には人気のメニュー。

 もちろん俺も好きだ。気づいたら三杯食っていた、という事件もしばしば起こす。おかげで早弥には「もやしの鬼」なんてあだ名をつけられた。


 にしても……。

 さっきから客の目線が、一方向に向いている気がする。

 有名人か何かでも? と思い、振り向いた。


「にしても、このもやしラーメン、美味しすぎでしょ! 何杯でもいける!」

「わかるー。超うまい。量も多いしね」

「お二人とも、暴飲暴食ですよ。健康に悪いですよ〜」

「すぐ消費するから」

「そそ! お兄ちゃんの言う通り」

「ごもっともすぎて何も言えませんね」


 だいぶ騒がしい三人組だった。声の大きさが人目を集めているのかと思ったが、よく見ると違う。


 座っているのは、細身の学生三人。

 内、二人の男女が俺と同じくらい、一人が小学校中学年くらい。

 そんな見た目と反して、彼らの卓上には、空になったもやしラーメンのどんぶりが、いくつも。

 卓上に置けなくなったものは積み重ねられている。

 ぱっと見で、二十はあるだろうか。


 ……いや……食べ過ぎどころの騒ぎじゃねえだろ……。


「あの客、よく食べるなあ」

「みんな細いのにね」


 周りの客たちも、ザワザワしている。当人たちは気にするそぶりも見せず、普通に美味しそうに食っている……。

 化け物か……。


「結局、わたしが一番食べちゃうんだよね〜……」


 淡い桃色の髪をした二つ結びの女が言う。

 見た感じは細身で小柄、鍛えているわけでもなさそうだ。

 では、どこからあの食欲が湧いてくるのだろうか。


「何気に全員食べてますから」


 今度は、濃い紫色の長い髪を、ゆるく二つに結わえた少年か少女が言った。

 体付きも幼く、運動しても筋肉が付きづらい体質なのだろう。そうでもないと、あんな食欲は普通湧かない。


「まあねー。しゃあないよねえ」


 ってあれ? 座っているうちの一人……。

 洋服だが……青みがかった長い黒髪をした男……。

 藍色の目……あれ?


「あいつじゃ……?」

「どうしたんだいれい?」

「あ、いや」


 ちょうどラーメンが届いたのでそちらを優先したが、それでも、彼らを見ずにはいられなかった。

 あの男……彼、だよな……?


 彼が……いる……?


「ねーえ、お代いくらになった?」

「え……っと、一六〇〇〇円」


 いやいや、安さが売りの飯店で、その値段はおかしいだろ。

 そして、なぜそんなに食べたのに、なぜそんなに体が細いのか……。

 これが、大食いたるもの……。


「たっか!」

「そりゃ、二十三杯食べたらそうなるよ……あっ」


 そのとき、たった一瞬だけ……彼と目が合った。

 たった一瞬だけだったが、俺にとっては、とてつもなく長い時間に思えた。


 透き通る藍色あいいろの目が、俺を引き込む。

 常人離れした奇妙な力を感じて、とっさに──わずかな怖さを感じる。

 だが、すぐに視線は外された。


「お兄ちゃん、どうしたの?」

「……ううん、何でも」


 彼がそう言ったとき、目にも止まらぬ速さで、俺の制服の胸ポケットに、何かが飛び込んできた。

 取り出す。あったのは──宙に浮かぶ、文字?


『待ってる』


 それだけが浮かんでいた。

 文字が浮かんでいるなんて、ずいぶんと不思議だ──。


 彼はもう一度、俺を振り返った。

 そして、操られたように、時の進みが遅くなる。周りの景色はスローモーションのように流れていた。


「なぁ霊弥、あいつが気になるのか?」

「……学校でも見て」


 間違いなく彼だよな……。

 一体、何の意図で、この文字を投げたのか……。


 もう一度、投げ付けられた文字を見てみる。


『待ってる』


 待ってる……って、そもそもどういうこと……?

 何がしたいんだ……? なぜ、俺を待つんだ……? 彼とは、今日あったきりの関係なのに……。


「ていうか、あのおじょうちゃんもぼくちゃんも、よく食べてたなぁ」


 店員のボヤキに、はぁ、とため息をつく。

 その程度の言葉で済まされるレベルの量ではなかっただろ……。


 そういう俺も何気にもやしラーメンを食べ終えて、七百円払って店を出た──のだが。


「言ったでしょ、待ってるって」


 店の横には、あの男が立っていた。連れの二人もいる。

 まさか、本当に待っているとは……。


「何用だよ……」

「今から話すこと、頭の片隅には入れといて」


 何を話すんだ……?

 俺はこぶしを握りしめながら、ごくりとつばを飲み込んだ。

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