第21話 恋の始まり
12月22日日曜日。
世間はクリスマス商戦真っただ中。
都内ではそこかしこでイベントが執り行われていた。
私が働く事になったJoy Waveでは、この日3カ所で大きなイベントが開催されていて、私の持ち場となったのは、ここ。
甘谷のワールドフェスタ・クリスマスマーケットだ。
国際色豊かな屋台に、ステージではDJが会場を盛り上げる。
甘谷といえば、初めて倫太郎に出会った場所だ。
まだ記憶に新しいが、なんだかいろいろあり過ぎて遠い昔の事のように懐かしい。
午後6時。
ワールドフェスタ・クリスマスマーケットはついに幕を開けた。
日が暮れ始めた空の下、会場は賑やかなイルミネーションに包まれ、昼間のように明るくなった。
各ブースからは活気のある呼び声が飛び交い入場者が行列を作る。
ここまで、長い闘いだった。
『女性に力仕事はあまりさせませんので、その辺はご安心ください』
って言ってなかったっけ? 社長さん!
力仕事しかなかったんですけど。
もう今すぐ泣いて帰りたいほど、足腰腕肩が悲鳴を上げている。
とはいえ、一気に賑やかになった会場を前にすると、感慨深い物がある。
ほんの一部とはいえ、私が設置したイルミネーションの前で来場者が着ぐるみのパンダと嬉しそうに写真を撮っている。
パンダの中身はもちろん倫太郎だ。
イベント会場で倫太郎がパンダになるのはこの会社のデフォルトらしく、それにはちゃんと意味があるのだそう。
社長がどこにいても見つけられるように、なんだとか。
何かトラブルがあれば、すぐにパンダを見つければいいというわけ。
両手を顔の横に広げて、足を前に出し、まるでミッキーマウスみたいなポーズを取るパンダを見て、どんな顔でやってるのかなと考えると、笑いが止まらなかった。
イベントが始まってしまえば、スタッフは少し余裕ができる。
インカムから聞こえる『入口異常なし』『ステージ異常なし』を聞きながら、私も会場を歩き回った。
甘くてスパイシーなグリューワインの香りが鼻をくすぐる。
カラフルなキッチンカーからは、ホットチョコレートやシナモンが香る焼き菓子が販売され、寒さに凍えた来場者たちが温かい飲み物を手にする姿が見られる。
ドイツやフランス、北欧のブースでは、ソーセージやパエリアなど、各国の料理が提供され、会場はどこも長い行列ができている。
「美味しそうー」
思わずお腹がぎゅるるるーっと情けない悲鳴を上げた時だった。
いきなり腕をガシっと掴まれた。
「へ?」
振り返ると黒いタートルに赤いエプロンを付けた、端正な顔立ちの女性が怒った様子でこう言った。
「プライヤガ コジャンナッソヨ。 パリ オット……」
「へ?」
とにかく身振り手振りを混ぜながら、すごく怒っている。
エプロンに書かれた文字をよく見て見ると、韓国語だ。
女性はヤンニョムチキンの屋台を指さして仕切りにプライヤナンジャラカンジャラと言っている。
プライヤ?
もしかしてフライヤー?
「Can you speak English?(英語は話せますか?)」
と訊いてみると
彼女はようやく落ち着いた様子で「Yes, a little.(はい、少し)」と言った。
「フライヤーですか?」
英語で訊いてみると「はい、フライヤーのトラブルなの、早くなんとかして欲しい」
と聞き取れた。
彼女が指さす方に行ってみると、確かに通電を意味する赤いランプは途切れ途切れに点滅している。
「電力が不安定なのかもしれません。ちょっとお待ちください」
そう伝えて、インカムの通話ボタンを押した。
「神崎です。ヤンニョムチキンのブースです。電気トラブルのようです」
しかし、応答がない。
どうしよう。
配線を確認したが、見たところちゃんとソケットにはしっかりと電源ケーブルが繋がっている。
これ以上の問題解決方法を私は持ち合わせていない。
周囲を見回すと、パンダがステージの脇で腕組みしているのが見えた。
「ちょっと待っててください。すぐに戻ります」
ブースには長蛇の列が出来ていて、韓国人女性の焦りも限界に来ている様子。
しきりに韓国語でまくし立てて来る。
私は人混みを掻き分けるようにして、ステージの方向に走った。
「はぁはぁ、社長。ちょっと来てください」
「はい?」
くぐもった声が返ってくる。
「出展ブースでトラブルです」
うん! と大きく頷くパンダ。
ささっとステージ裏に隠れると、するすると慣れた手つきで着ぐるみを脱いだ。
「すぐ行きます。どこですか?」
この寒空に、半袖Tシャツに薄いスエットで汗だくだ。
「こっちです」
倫太郎を先導しながら事情を大まかに伝える。
「電源が入らないのか途中で入らなくなったのか、フライヤーが思うように作動しないようです」
「わかりました」
ブースにたどり着き、倫太郎は一通り配線を確認して、直接つながっているソケットを抜いたり刺したりを繰り返す。
「このケーブルがダメっぽいですね」
独り言のようにそう言って、何かを思い出したかのように走り出した。
私もその後について走る。
倫太郎はスタッフテントに入り、ケーブルがまとめてある段ボールから一本抜取り、再びブースの方に走る。
私もその後に続く。
「配線の方は僕がやるんで、神崎さんは、出展者さんの対応をお願いします」
走りながら、倫太郎がそう言った。
「わかりました」
テントにたどり着き、配線トラブルはスタッフが解消するので、心配はいりませんといったような事を英語で伝えると、女性はどうにか落ち着き、笑顔を見せた。
「イベント序盤でこのようなトラブルでご迷惑をおかけして、大変申し訳ございません」
そう言って頭を深々と下げると、女性は満足そうに微笑んでゆっくりと首を左右に振った。
「フライヤーの確認をお願いします」
倫太郎の言葉を彼女に伝えると、フライヤーの通電ランプを見届け、OKと手で丸を作った。
「よかったー!」
ふーっと胸を撫でおろし、倫太郎の顔を見ると、目が合った。
わざとらしく視線を逃がす倫太郎。
「じゃ、行きますか」
そう言って、ゆっくりとステージに向かって歩き出す。
「また、パンダになるんですか?」
「はい。あれを着て置かないと寒いんです」
「汗だくだったし、風邪引いちゃいますね。想像以上に今夜は寒いですし」
ぶるぶるっと体が震え出す。
「はい」
「なんで、着ぐるみ着ようと思ったんんですか?」
寒さから守るように自分を抱きしめる。
「先代からのしきたりです」
「しきたり?」
「はい。昔はインカムもトランシーバーも信用度が低かったんですよ。いざという時に責任者が掴まらないといったような事も多かったようで、このような対処法に落ち着いたというわけです」
「確かに。見つけやすかったです。けれど、抵抗はなかったんですか?」
「抵抗しかありませんよ。けど、楽しいです。違う自分になれてるようで。ちびっこが寄って来て写真撮りたがるし。普段の僕からは考えられない状況です」
「ふふふ、確かに」
「あ、笑いましたね」
不服そうに口を尖らせる倫太郎。
なんだか少し距離が縮んだようで、ほわほわと胸が温かくなる。
「そろそろ休憩に入ってください。ロケバスにお弁当があるんで」
「はい、ありがとうございます」
「あれ、飲みますか?」
倫太郎が指さした先にはホットチョコレートのキッチンカー。
「奢ってくれるんですか?」
「いえ、その分、きっちり働いて貰います」
ですよねー。
「あれがいいです」
私は、ホットワインの屋台を指さした。
「テキーラじゃなくていいんですか?」
「テキーラはもう飲みません」
「そうしてくれると助かります」
クスクス、うふふとほほ笑むような2人の笑い声が喧騒の中に溶けて行く。
「ホットワイン、一つください」
倫太郎が屋台のスタッフに声をかけると、湯気をあげる濃厚な赤ワインが可愛らしい陶器のカップに注がれる。
「The cup is our Christmas present for you.」
店員はそう言って、熱々のカップを差し出した。
「ん? なんて言ったんですか?」
倫太郎はカップを受け取り、お金を払いながら、私の顔を見る。
「このカップはクリスマスプレゼントですって。すごい嬉しい! クリスマスプレゼントなんてもらうの何年ぶりだろう」
「そうですか。じゃあ、僕からも、クリスマスプレゼント」
倫太郎は不器用な笑顔で、すこしだけ頬を赤く染めて、カップを私に持たせてくれた。
その瞬間、僅かに指先が触れ合って、目が合う。
きゅんと喉の奥が狭くなった。
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