第四章

第20話 裏の顔と表の顔

 気合いを入れ過ぎて、少し早く到着してしまった。


 人事担当者との何度かのメールのやり取りの後、私は今、Joy Waveのオフィスが入っているビルのロビーに来ている。

 オフィスビルが林立する街の、駅からほど近い場所にそのビルはあった。


 面接に来た理由はもちろんバイト面接のためなのだが、その目的意識を遥かに凌駕する思惑がある事は言うまでもない。

 いろいろと、確かめたい事があるのだ。


 エレベーターに乗って、指示通り、第一会議室と書かれた4階のボタンを押した。


 外の世界からは想像もつかないほどの静けさと、清潔感漂う無臭の空間を通り過ぎ、廊下の突き当りにある『第一会議室』のドアをノックした。


「どうぞ」

 と事務的な声に従って、ドアを開けた。


 中はさほど広くはないが、ガランとしている。

 シンプルな白い壁に囲まれ、長机が一つだけある。

 その机の向こう側には

「どうぞ、お入りください」


 紺のビジネススーツを着た倫太郎が立っていた。


「よ、よろしくお願いします」

 どこからどう見てもぎこちない私は、ホテルみたいなカーペットに足を取られ、躓きながら、用意されているパイプ椅子の前に立った。


「履歴書をお持ちですか?」


「はい! はい、持ってきました」

 バッグから、白い封筒を取り出し立ち上がり、倫太郎に差し出す。

「ご苦労様です」

 倫太郎は封筒を受け取り一旦机に置くと、内ポケットから名刺入れを取り出した。

 その中から一枚引き抜き、こちらに差し出した。


「本来なら人事担当者が面接をするんですが、今日はイベントでみんな出計らってまして、私が面接させて頂きます。仙道倫太郎と申します」


「あ、はい。ありがとうございます。ちょ、頂戴します」

 で、いいんだっけ?

 大学の講義で習ったビジネスマナーを思い出して、両手で受け取った。


「どうぞ、おかけください」


 そう促されて「失礼します」と、パイプ椅子に腰かける。


 倫太郎も、椅子に腰かけ、早速封筒の中見を取り出し、目を通している。


「大学3年生なんですね?」


「はい。そうです」


「英文科……英語喋れるんですか?」


「はい、喋れます。喋りましょうか?」

 脳内で何度となく使い倒した自己紹介を反芻する。


 "Hello, my name is Io Kanzaki. I’m currently a third-year student majoring in English Literature at Tokyo International University.


 いつでも来い!


「いえ、けっこうです」


 う~~~ん、相変わらずしょっぱい。


「今回の募集は、イベントスタッフの仕事です。内容は、会場の設営や撤去、来場者対応、アーティストサポートなどが主になりますが、イベントによって少しずつ業務内容は変わってきます」


 事務的に淡々と業務内容を告げるが、先日のヤクザみたいな倫太郎が脳内にチラついて全然入って来ない。


「シフトは、イベントのスケジュールに応じて決まりますが、夜の勤務が多くなるため、体力やスケジュール管理が重要ですが、これまでこのようなお仕事の経験はありますか?」


「い、いえ。初めてです。でも、体力には自信あります!」


「はぁ、そうですか。体力はあまりなさそうですけど」


 そう言って、倫太郎は少しだけ右頬を緩めた。


「そんな事ないです! あります! 力も、ほら! ほら!!」

 と袖をまくって貧弱な二の腕に力こぶを作ってを見せた。


「ぷぷ」


 と吹き出す倫太郎。


 はわぁ~、笑った!

 こんな風に笑う人なんだ。

 思わずじわんと胸が温かくなった。


「まぁ、女性に力仕事はあまりさせませんので、その辺はご安心ください」


 笑いを残しながらも、事務的に話を〆た。


「え? じゃあ? 採用? ですか?」


「すぐにでも人手は欲しいですので、採用です」


「はぁ~、よかった~」


 思わず脱力して、パイプ椅子にぐったりと背中を預けた。


「あのカフェ、辞めたんですか?」

 倫太郎が訊いた。


「はい。本当は辞めたくなかったんですけど、辞めざるをえない状況になってしまいまして……」


「それは大変でしたね」


「あの! あの時、助けてくれたのは、あなたですよね? あ、仙道社長って呼ぶべきなのかな……あの……石橋暴露の……」


 倫太郎はすっくと立ちあがり、窓に体を向けた。


「あの事は他言無用でお願いします」


 その声は、きりりと研ぎ澄まされた刀のように、和やかな空気を切り裂いた。


「あのー、ちょっと理解が追い付かないんです。どういう事なんでしょうか? ある時は社長、ある時はヤクザ……とか?」


「はい。その認識で合ってます」


「う、う、裏の顔と表の顔って‥‥…事?」


「うーん。まぁそうなるんでしょうね。まぁ、こちらは僕の休日だと思っていただければ」


「休日?」


 極道の休日?

 ローマの休日みたいな?


 極道は休日に社長になるって事?

 極道が本業って事なのか?


「はぁ、よくわからないけど、わかりました。誰にも言いません」


「ありがとうございます。助かります」


「では、早速ですが、明日出動できますか?」


「出動? ですか?」


 出勤じゃなくて、出動って言うんだー!


「はい! できます!」


「明日夕方6時から都内でクリスマスマーケットが開催されます。お昼、正午集合で、かなりの大掛かりな作業になるんですが、対応できますか?」


「お、大掛かり……。あ、はい! 大丈夫です!」


「イルミネーション用のライトを設置したり、各ブースの組み立て、そして搬入される商品や装飾の配置。各国の出店者が来る予定なので、英語も多少役立つ場面があるかもしれませんね」


「おお、なんだか楽しそうですね!」


「イベントを楽しむのは来場者です」


 う~~~~ん、しょっぱい。


「は、はい」


「それと、夜はお弁当を出します。いわゆる賄いですね」


「有難いですぅ」


「冷たい風の中での、冷たい弁当になりますので、しっかり防寒して出動してください」


「…はい! 承知しました」




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