第18話 迷惑な客
「おはようございます」
スタッフ通用口を入ると、交代のパートさん達がいつものようにワイワイとバックヤードで楽し気に井戸端会議中だった。
私の存在に気付かないほどに盛り上がっているようで、「おはようございます」ともう一度大きな声で挨拶した。
「あ、おはようございます」
え? なんかテンション低くない?
特に仲良くしているわけではないが、いつもなら「あら~、神崎さんおはようー」と気さくにレスポンスをくれるのに。
明らかにいつもと違う態度。
なんだか変に緊張して、ぎゅっと体が縮まって、動作がぎこちなくなってしまう。
「神崎さん、15番テーブル対応してもらっていいですか?」
突然バックヤードに顔を出したサブリーダーの深山さんが、険しい声でそう言った。
忙しいのだろうか? さっさとホールに消えていく後ろ姿を見送り、そんな事を思った。
急いで制服に着替えて、ホールに出ると、拍子抜けするぐらい店内は暇そうだ。
言われた通り、15番テーブルに向かう。
そこには、若い男性客が一人、ソファ席にふんぞり返っている。
デニムのジャンパーに、同じ色合いのダボっとしたズボン。
手入れしていない黒髪に薄い色付きのメガネはなんだか取って付けたみたいに似合っていない。
テーブルの上にはこれ見よがしに、高級ブランドのセカンドバッグが置かれている。
テーブルには水もおしぼりも出ているが、注文はまだのようだった。
「お待たせしました。ご注文をお伺いします」
ハンディ端末を構えると、若い男性客は「ふふ」と不穏な笑いを浮かべて「あんた神崎さん?」
と言った。
「は、はい。神崎です」
「昨日はDMどうも」
「え? DM?」
昨日のDMといえば、アレしか思いつかない。
周囲を見渡して高塚さんを探すが見当たらない。
「あなた……もしかして」
石橋暴露だ! と直感する。
人差し指と中指を立ててピースサインを作り、そのまま額に当て
「石橋でぇす。どうも」
とふざけた挨拶をした。
「情報開示なんて手間取らせるのも申し訳ないんで、会いに来たんですよ。その方が話早いでしょ」
そう言って、ズズっと水を飲んだ。
「何の用ですか?」
「そんなに怖い顔しなくても。ちょっとお話をお伺いしたいだけですよ」
「話す事なんてありません。食事しないなら帰ってください。迷惑です」
「音成亮についての情報を集めてましてね。協力してもらえませんか?」
「亮の情報? 何のために?」
「まぁ、それは言えないんですけどね」
「お話する事は何もありません。帰ってください」
「そういう訳にもいかないんですよ。子供のお遣いじゃないんでね。手ぶらで帰るわけにはいきませんよ」
「警察呼びますよ」
「どうぞ。けど、警察呼んで困るのはそちらでしょ?」
「は?」
「そろそろ繁忙時間帯だ。他のお客様に迷惑がかかっちゃいますよ。こんな時間に、サツなんかにうろうろされたら」
確かに、さっきまでガランとしていた店内は、にわかに客が増えつつある。
スタッフは見て見ぬふりをしているかのように、こちらに視線をくれず、助けを呼ぼうにも呼べない。
「とにかく、お話する事は何もないので帰ってください」
「音成亮がDV男だって事はご存知でしょ?」
「え?」
石橋と名乗った男はスマホを操作して、画像をこちらに差し向けた。
そこには、一人の女性が写っている。
ぎょっとするほど顔や体には痣がある。
「この女性、誰かわかります?」
よくよく顔を見ると
「あまがみ……りあら?」
「せーかーい!」
「酷い!」
「もしかしてあなたも同じ目に遭ってたんじゃないんですか?」
亮は甘神りあらに暴力を振るっているという事らしい。
「あなたに何の関係があるんですか?」
「そう遠くない未来、この事実は世間に公表されます。あなたも同じ女性として、甘神さんの力になってくれますよね?」
「は? どうして私が?」
石橋は再びスマホを操作して、スクリーンをこちらに提示した。
そこにはSNSの画面が写っていて――。
「何? これ?」
昨夜、高塚さんが、正に今、私の部屋に入るシーンが映し出されている。
「ちょっと! なんですか? これ」
「おっとー。これは俺じゃないですからね。過激な連中がずっとあなたを見張ってるんですよ。もし協力してくれるなら、こういう連中まとめて大人しくさせてあげますよ」
「あなた、何者なんですか?」
「こいつはただのフカシ芋ですよ」
その声は背後から聞こえた。
「え?」
振り返ると、クリーム色のスーツに黒髪オールバック。サングラスをかけた、いかにもそっちのスジといった感じの男が立っていた。
「ヒィ」
いつの間にこんなに事態が悪化しているの?
もしかして、ヤクザの抗争に巻き込まれている?
「貴様ー」
石橋はさっきまでの余裕顔を一気に崩壊させて、スーツの男を睨みつけた。
「田中忠さーん。俺にそんな態度取っていいんですか? 貴様ーとか言う前に言わなきゃいけない事があるでしょうが」
「なんだと」
忌々しそうに男を見上げる石橋。
田中タダシという名前らしい。
「実家のご両親、元気? お姉さんのお子さんは男の子なんですね」
「貴様!」
「そんな怖い顔しないで。いやね、うちの連中がうまそうな子供だったって騒いでたもんですから、一言忠告に来ただけですよ。そこ通りかかったらお顔が見えたんでね」
男はガラス戸を指さした。
石橋はかさついた唇をぶるぶると震わせた。
「この件は、お前に関係ないだろう? もしかしてこの店もヤクザにケツモチさせてんのか?」
その問いは私に向けられた。
「ケ? ケツ? モチ? なにそれ?」
「通りがかりだっつってんだろうが。彼女に関しても全面的に手を引け」
「ちょ、待て。音成亮の件は大スクープなんだ。手を引くわけにはいかない」
「音成亮の事は存分にやれ。彼女はもう無関係の第三者だ。そっとしといてやってくれ」
男はそういって、ポケットから茶色い封筒を取り出した、
お手紙にしては、厚みを感じる。
それをテーブルにポンと投げた。
石橋は急いでそれを拾い、中身を確認した。
「十万? これじゃあ引けねぇな」
そう言って突き返した。
「そうか。じゃあこうしよう」
男は石橋の後ろから襟を掴んで、ずるずると引きずる。首根っこを掴まれた犬みたい。
「表に出ろ」
あの細い体のどこにそんな力があるのかと、驚くほどいとも容易く石橋の体はズズズっと床の上を移動する。
「いててててて、ちょ、待て待て。わかった、わかった」
「本当にわかったの?」
おちょくるようにして、床に沈み込んでいる石橋の前に屈みこむ男。
この声、どこかで聞いた事があるような……。
「いいか? よく聞け。これは二度目の忠告だ。三度はない」
男はそう言って、石橋のジャンパーのポケットに茶封筒を押し込んだ。
「わかりました! わかりましたよ、もう。暴力反対!」
石橋は立ち上がったかと思ったら、凄いスピードで店を飛び出して行った。
それを見届けた彼は、私に一瞥もくれず、さっさと店を出た。
「あの! ちょっと待って」
急いで後を追う。
立ち止まった背中に深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。本当に助かりました」
「いえ、たまたま通りかかっただけですから」
「名前を……教えてください」
男は振り返らない。
背中を向けたままこう言った。
「大川です」
「大川……さん」
「では、もうお会いする事もないと思いますが、お元気で。失礼します」
そう言って歩き出した。
「ちょっと待って!」
この塩対応には覚えがある。
それに、この爽やかで上品なコロンの香り。
どこか子供っぽいトーンで癖のある声。
絶対に間違いない。
この人――。
倫太郎だ。
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