第15話 男運最悪女子の本領発揮

 着替えを済ませて外に出ると、スタッフ通用口の前で高塚さんが待っていた。


「すいません。お待たせしました」


「行こうか」


「はい」


 高塚さんは少し大げさじゃないか思うほど温かそうなコートの襟を立てて、私を先導した。

 スタッフの中には、高塚さんにガチ恋している人もいるほどの人気者だ。

 あまり目立たないように、勘違いされないように、一歩後ろを申し訳なさそうに背中を丸めて歩く私。


 それなのに、高塚さんは歩幅を合わせるように隣に並ぶ。

 どんなにゆっくり歩いても、並んでしまう。


「こっち。あの赤い車」

 高塚さんが指さした方には、小ぶりの赤い乗用車が寒そうに佇んでいる。

 Hのエンブレムでホンダ車なのだとわかるほど、私は車に疎いので、車種まではわからないが丸っこくてかわいい車だ。


「はい」


 キーを車に向けて、ピピっとロックを解除する。


「どうぞ」

 そう言って、助手席を開けてくれた。


 へ? 助手席?

 こういう時って後部座席じゃないの?

 なんて、言えるわけもなく。


「あ、ありがとうございます」


 軽く会釈をして促されるまま助手席に乗り込んだ。

 パタンと静かにドアが閉まる。

 なんだかとても大切にされているようで嬉しいのだけど、慣れてないのでくすぐったい。


 慣れた様子で運転席に乗り込み、シートベルトを締める高塚さん。

 エンジンをかけると、車内のデジタル機器が命を吹き込まれたかのように、一斉に明るくなり動き出す。


「住所教えて」

 ナビを操作しながら高塚さんがそう言った。


「はい、新宿区北相良7-7-2です」


「了解。何号室?」


「え?」

 ナビに部屋の号数まで、関係ある?


「はは、うそうそ。冗談」


「はぁ」


 こういう冗談を言う人だったんだ。


「北相良の方なんだ。あの辺治安よくないよね」


「そうですか? 言われてる程でもないですよ。案外静かですし、家賃は安いし暮らしやすいです」


「いや。心配だな」


 彼はナビのモニターを見ながら腕組みをした。


「え?」


「さて、出発するよ。シートベルト絞めてね」

 そう言いながら、突然、私に覆いかぶさるようにしてシートベルトを引き出し、カチっとはめ込んだ。

 咄嗟の急接近に体が硬直して呼吸が止まった。


 高塚さんはいつもと変わらない表情で、ギアをチェンジしてアクセルを踏んだ。

 静かに、丁寧に車は動き出す。


『右方向です』

 無機質なナビの音声が車内に響く。


「あの」


「ん? なに?」


「さっき店の外に、スマホをこちらに向ける人がたくさんいて」


 こういう事を相談するためのバイトリーダーだ。

 ちょうどいい機会だと思った。


「あー、いたね」


「あの人達何なんでしょう?」


「さぁ? 神崎さんを撮ってるみたいだったね」


「やっぱりそう思います?」


「うん。あれじゃない? 可愛い店員さんがいるってネットとかで話題になってたりしてるんじゃない?」


「えー。まさか。私なんか全然可愛くないですよ」

 否定しつつも、満更ではない。

 けれど、本当に、絶対ないと言い切れる。


「そんな事ないよ、君はかわいいよ」


「え?」


「可愛いだけじゃない。真面目で明るくていつも一生懸命で素敵な女の子だと思うよ」


 かーっと頬が熱くなって言葉を失う。


「ん? どうした?」


「いえ。そんな風に面と向かって褒められた事ないから、なんだか恥ずかしいです」


「褒められるのは嫌い?」


「いえ。そんな事は」


 いつも店では、挨拶や指示でしゃきんとした彼の声しか聞いた事がなかった。

 密室で聞く彼の声は、柔らかなトーンでとても穏やかで、ちょっとねばっこい。


「この車って高塚さんの車なんですか?」


「そう。中古で買ったんだけど、走行距離が1万キロぐらいのワンオーナー。200万しないで買えたんだ。なかなかの好物件だと思わない?」


「思います! すごくきれいで乗り心地もいいです」


「気に入ってくれてよかった」


 彼の発する言葉の一つ一つがなんかやたら引っかかる。

 上手く表現できないんだけど、わざとらしい少女漫画を見てるみたいな気持ち悪さがある。

 絶対そんな男いないよね? って言いたくなるような男性キャラ?

 女の空想を具現化したみたいな。


「高塚さんは、彼女とかいないんですか?」


「あー、その質問はセクハラだぞ」


 これまた芝居がかったトーン。


「あ、すいません」


「うそうそ、冗談。はは、君はすぐ真に受けるんだから、本当かわいいよね」


「え?」


 すぐ真に受けるんだから、なんて言われるほど親しくはないような……。


「そういう君はどうなの? 恋人は? いる?」


 彼氏ではなく、恋人という所がなんか気持ち悪い。


「今は、いないんです。別れたばっかりで」


「そっかー、じゃあ、僕と同じだ」


「そうなんですか?」


「うん。傷心中のぼっち同士、仲良くしようよ」


「あ、は、はい。あ、そこです」


 ちょうどナビが『目的に到着しました』とアナウンスを流す。


 徒歩で15分の距離は、車でおよそ5分だった。


「ありがとうございました。では、おやすみなさい」

 

 シートベルトを外そうとするが、もたついてしまう。

 動揺しているのか、指先が震えてうまく外せない。


「ん? 大丈夫?」


 再び、高塚さんが私に覆いかぶさるようにして、シートベルのバックルに手を伸ばした。

 バックルは運転席側にあるのに、覆いかぶさる必要ある?


 甘ったるい整髪料の匂いが鼻先を擦った。


 カチャ。


「あ、すいません。ありがとうございました」


 丁寧に頭を下げて車を降り、アパートの階段をかけ上る。


 路肩に停めたホンダは走り出す気配がない。


 なんでまだあそこにいるの?


 運転席からじっと監視されているようで、なんだか軽く恐怖すら感じる。

 急いで玄関を入り、ドアチェーンをかけた。



 SNSで私の写真がすごい勢いで拡散されていたのを知ったのはそれから30分後。

 お風呂から上がって、ベッドにダイブした時だ。


『伊緒、ネットでヤバい事になってる』という未菜ちゃんからのLINEメッセージでその恐ろしい事態を知ったのだった。

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