第三章
第14話 恋が落ちる
Side—倫太郎
誰もいない部屋に入り電気を点けた。
キッチンの横に設置されているインターフォンのモニターが、赤く点滅している。
インターフォンが鳴り、応答しなかった場合録画されるシステムで、これを再生するのは倫太郎の日課だ。
いつものように、なんの構えもなく上着を脱ぎながら再生ボタンを押した。
そして、モニターに視線が釘付けになる。
そこに映るのは、すました顔の伊緒だ。
『なぁんだー。緊張して損した。べろべろべろべろーーー』
挑発するように、真っ赤な舌を出したかと思えば、人差し指で鼻頭を持ち上げてはきゃっきゃと笑い、更に、見るに堪えない変顔を繰り返す。
「はぁ…………ったく」
初めて逢った時から感じていたが、やはり、こういう女は苦手だ。
予想もつかない行動で、心を乱す。
どうしようもなく心の中に住み着いて平常心を奪って来る。
――鶏の煮物、美味しかったです。お粥もトロトロで、優しい塩加減でとても食べやすかったです。ほうれん草のお浸しも、甘くて食感もよくて、細胞の一つ一つが蘇るようでした。
一生懸命に、感謝を伝える姿が何度も脳内で再生される。
――また来てください。新しいデザートが出るんです。食べに来てください。
あんなにキラキラした瞳を持つ女は……苦手だ。
RRRRRRRRRR・・・・・・・・・
ポケットの中でスマホが鳴る。
モニターにはタカの文字。
「もしもし」
『兄貴、大変です』
「どうした?」
『皇道会の連中が、例のクラブでケツモチ出せって騒いでるみたいです』
「そうか。わかった、すぐ行く」
◆◆◆
Side—伊緒
告ってもないのに振られた理不尽な夜から1ヶ月が過ぎた。
街はすっかりクリスマス一色。
誰もかれも忙しそうに通り過ぎる姿を、バイト先のガラス窓が映す。
未菜ちゃんは、泣きそうになりながら、何度も謝ってくれてアルコール飲み放題の焼肉を奢ってくれたので許す事にした。
もう、何のワダカマリもない。
未菜ちゃんに対してのワダカマリはないとして、倫太郎の冷たく言い放った一言は、ずっと小骨のように喉の奥につっかえてなかなか流れる事はなかった。
――お断りします。
人懐っこくて優しそうな眼は一瞬にして影を落とし、鈍い光を放った。
もちろん私のバイト先のお店に顔を出す事もなくて、ベージュのパーカーは『いつか』のためにいつも店のロッカーに入れてある。
もしもその『いつか』が訪れたら、今度こそちゃんと返そう。
持っててもしょうがないし、まだまだきれいで使える物を捨てるなんて事も出来るわけがない。
それは、また会えるかもしれないという期待でも、また逢いたいという切なる願いでもない、と思う。
「音成亮って知ってる?」
「知ってる! アマガミちゃんの彼氏でしょ?」
キッチンから、嫌でも聞こえるスタッフ同士の私語。
「最近の人だと思ってたけど、もう3年もメジャーで活動してるんだよね」
「2人で曲出したよね」
「恋が落ちるってやつでしょ。すっごく切なくていいよね、あれ」
「いいよねえー、大好き」
「亮君の声ってさ、掠れてるのに高温で透明感出るじゃん、最高だよね」
「わかるー! アマガミちゃんの甘ったるい声とかさなると、本当神!」
嫌でも耳に入る元彼の近況はどれだけ時が経っても慣れないのだろうか?
この瞬間だけ、本当にこの職場にいるのが嫌になる。
客の引けた店内のモップ掛けが終わる頃には、匂いまでも跡形なくスッキリ片付き、「お疲れ様でしたー」という店員の声が飛び交う。
「お疲れ様でしたー」
私もモップを片付けて、着替えのためにロッカーに向かうため、一旦ホールに出ると――。
「あ、神崎さん」
バイトリーダーで優等生イケメンの高塚さんに呼び止められ振り返った。
「はい?」
「帰り、車で送るよ」
「え? いいですよ。徒歩で15分ぐらいなので」
「いや、本部命令なんだ」
そう言って、完璧なジェントルマンの笑顔を貼り付けた。
「あ~、そっか。ありがとうございます」
この頃世間を騒がせている発砲事件で、街は戦々恐々としている。
どうやら暴力団同士の抗争が行われているようで。
生まれてこの方見たこともない拳銃という物の存在はまるでドラマの中のそれで、どうにも現実味を帯びない。
私もヤクザ映画ぐらいなら見た事がある。
たくさんのポーンが消費される中、キングを勝ち取った物が勝利となる。
そう。まるでチェスのような物。
命を懸けてキングを守りつつ、相手のキングを倒す。
遠い遠い世界の話が、今まさにこの町のどこかでそんなゲームが繰り広げられているらしい。
デイリーのニュースでは必ず『警察の捜査は難航しているようです』という一文で締めくくられる。
つまり、拳銃を持ったポーンがそこら中にいるかも知れないという、なんとも物騒な状況で。
一般企業も、スタッフの安全確保に配慮せざるをおえない状況なのだ。
「着替えたら声かけて。すぐ近くのコインパーキングに車停めてあるから」
深夜の徒歩帰りのスタッフは、車で送迎するという新たなガイドラインでもできたのかしら。
「はい。ありがとうございます」
ロッカーに行こうと一歩踏み出した時だ。
ガラス戸の向こうに、いくつかの小さな光がこちらを照らしているのが見えた。
「ん? なんだろう?」
よくよく目を凝らしてみると、スマホをこちらに向ける若者の姿が数人。
皆一様に、こちらにカメラを向けている。
「え?」
私?
私、撮られてる?
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