第13話 付き合ってください!
世田谷桜丘台駅から徒歩でおよそ5分足らず。
視線の先にそびえる二階建ての低層マンションは、煌びやかに洗練された外観がまぶしい。
ガラス張りのエントランスには、反射する光がまるで宝石のように輝き、少しだけ背筋が伸びる。
外壁はピカピカの白とライトグレーのタイルが交互に貼られ、モダンで清潔感がある。
あおあおとした植栽は葉っぱの向きまで計算されつくされているかのように、シンプルかつ上品で、住人のステータスを示すかのようだった。
全くもって場違いな雰囲気を醸し出す女子2人は、電車移動のせいで更に酔いが回っている。
「ここ」
私は遠慮気味に、本来なら生涯無縁のはずのそのマンションを指さした。
「はわわわーーー。ここ? しゅごい。お金持ちらー」
未菜ちゃんのテンションがハイになる。
「そう、このマンションの201号室」
エントランスの前のゴールドに輝くボックス上には、1~0までの数字が刻印されたボタンが並ぶ。
2⃣0⃣1⃣【呼出】というボタンを押せば、倫太郎が現れる。
そう考えると、なんだか徐々に酔いが醒めていく。
「ねぇ、やっぱり帰ろうよ。もう10時だよ。さすがに迷惑だよ」
極めて常識的な判断だと思う。
「らめー! ここまで来てそれはらめでしょー。さぁ、押せ! 押せーーーー」
未菜ちゃんは、グイっと私の腕を引きずった。
「どりゃぁぁぁッ!!!」
2⃣、0⃣ 1⃣、【呼出し】
「きやぁぁぁぁぁぁーーーーー」
軽やかなメロディが鳴り、正面のカメラが赤い光線を放った。
しかし、無反応だ。
「留守かな?」
「なぁんだ。拍子抜け」
拍子抜けついでに、一度は引いていた酔いが再び回り出す。
「なぁんだー。緊張して損した。べろべろべろべろーーー」
と、カメラに向かって、舌を出した。
鼻を上にプッシュして、白目を剥いたり、ありとあらゆる変顔をカメラに向かって繰り出す。
未菜ちゃんも一緒に、両頬をぐにっとつまんで舌を出した。
その時だ。
「あの、なんか用っすか」
背後から聞こえた声に体はびくんと反応し、硬直した。
ギリギリギリと首を声の方に回転させると、『Joy Wave』とデカデカとロゴの入った作業服を着た
「り、倫太郎……」
いつからいた?
「あひゃ! イケメンらー」
未菜ちゃんは私に抱き着いて、ぴょんぴょん飛び跳ねる。
「あ、あの、こんばんは」
よろめきながらも、ビシっときをつけの姿勢を取る。
「先日は大変お世話になりました」
礼。
「何の事ですか? イベント会場でびしょ濡れになった後ロケバスで眠りこけた事ですか? それとも泥酔してゲロの始末させた事?」
倫太郎は意地悪な口調でそう言った。
素面のテンションは鋭くて、容赦なく冷たく突き刺さる。
浮足立っていた気持ちは、頭上からでっかいハンマーでゴンゴンと打ち付けられたように、地に足がめり込んでいく。
「いえ、あの……、それもそうですけど、先週、熱出した時、看病してくれたの、あなたですよね?」
「ん? あー、たまたま通りかかったら死にかけてたんで。さすがに素通りするわけにはいかなかっただけです。で、何の用ですか?」
「あ、これ!」
手に持っていたパーカー……
「あれ? ない!」
「ありゃ、伊緒、忘れてきちゃったの?」
「あは、あは、あはは~。忘れてきちゃったみたい、えへ。あの、布団の中にパーカーが丸まっていて、それを返そうと思って、ここへ来たんですけど、忘れちゃったみたい」
「そうですか。じゃあ、もう帰ってください」
倫太郎はポケットからカードキーを出して、ボックスにかざす。
「ちょ、ちょっと待って」
「まだ何かあるんですか?」
「明日、持ってきます」
「いいですよ、別に、わざわざ持って来なくても。量販店で買った安物ですし、捨てちゃってください。では」
「ちょっと待って!」
「なに?」
「ありがとうございました。お陰様で元気になりました。この御恩は決して忘れません」
「それはよかったです、では」
あっさりと背を向ける倫太郎。
その背中に向かって、声を張り上げた。
「鶏の煮物、美味しかったです。お粥もトロトロで、優しい塩加減でとても食べやすかったです。ほうれん草のお浸しも、甘くて食感もよくて、細胞の一つ一つが蘇るようでした」
「いえ、こちらこそ。ベトナムコーヒー、甘くて香りが高くて、とても美味しかったです。ナポリタンは甘酸っぱくて、懐かしくて、カオマンガイとクリームキャラメルは、初めて食べる味で、どれもとっても美味しかったです。お金払うのも忘れて帰っちゃいました」
はわ~、初めてまともに口きいてくれた。
「それに、あのハロウィンのイベントの夜、私失恋したばっかりで、一人になるのが本当に辛くて。一緒にいてくれてありがとうございました。ちゃんとお礼言えてなかったから」
「はぁ」
倫太郎はなんだか気まずそうに、少し恥ずかしそうに、うつむいた。
「あのー、また来てください」
「え?」
「お店! 今度、クリスマスフェアで新しいデザートを出すんです。食べに来てください!」
「はい。行きます」
心なしか、倫太郎は少し嬉しそうにも見える。
これは、もしかしてワンチャン……。
「あの、倫太郎さん?」
未菜ちゃんはそう言った後、私の肩を後ろからガシっと掴んだ。
「この子と付き合ってください」
そう言って、ぐいっと背後から押し出す。
「は? 未菜ちゃん? 何言ってる?」
倫太郎はぽかんと驚いた顔。
「ドジでおっちょこちょいで天然で気が利かない所もありますけど、いいヤツなんです! 優しくて一途でいい子すぎるぐらいお人好しで」
「ちょっと、未菜ちゃん、やめて……」
「なので、伊緒と付き合ってあげてください」
「本当にやめて欲しい」
泣きそうなぐらい恥ずかしい。
倫太郎はぐいっと顔を上げ、しゅっと背筋を伸ばすと、真っすぐに私の顔を見てこう言った。
「お断りします」
そして、くるりと体を翻して、さっさとエントランスの中へ吸い込まれて行った。
無情で冷酷な立ち居振る舞いに、まるで頭から冷水を浴びせられたように、夢から醒めていく。
告白もしていないのに、振られた…?
なんとか笑顔を繰り出そうとするが、うまくいかない。
ズキズキと胸が痛い。
なんにも言葉が出てこない。
期待しちゃって馬鹿みたい。
なんでこんな事になったんだっけ?
「ごめん、伊緒……」
未菜ちゃんはまるで自分がふられたみたいにしゅんとして頭を下げた。
未菜ちゃんのせいだ!
「なんであんな事言ったの?! あんな事言ったら……あんな事言ったら……もう……二度と会えないじゃん」
あれ?
私、なんで泣いてるんだろ?
倫太郎なんて、別にどうだっていいはずなのに……。
次から次に涙があふれて、冷たいアスファルトに落ちて行った。
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