第12話 ほうれん草のお浸しとベージュのパーカー

 Side—伊緒


「「かんぱ~い!!」」

 快気祝いと称した未菜ちゃんとの宅飲みが始まったのは、かれこれ2時間ほど前の話。


 アパートの前で意識を失って、倫太郎に介抱されたあの夜から一週間が経ち、体はすっかり元通り元気になった。

 実家からの仕送りも振り込まれて、財政難もなんとか乗り切り、自宅に未菜ちゃんを招き入れてのプチパーティだ。


「ごめんねー、なかなかお見舞い来られなくて」

 未菜ちゃんは、本当に申し訳なさそうにそう言いながら、大量の酒類が入ったレジ袋を掲げた。


「いいよいいよ。初日はけっこうきつかったけど、二日目からはなんとか自分で動けるようになったし。そもそも自業自得だしね」


 そんな挨拶&近況報告から2時間ほどが経過している。


「今日って、亮、講義出てた?」


 未菜ちゃんは呆れたような顔をした後、首を横に振った。


「そっか。大丈夫かな? 絶対単位足りてないと思うんだよね」


「この頃人気出てきたから忙しいんじゃないの?」


 未菜ちゃんはさして興味なさげに、箸でつまんだほうれん草のお浸しを口に運ぶ。


「ご飯ちゃんと食べてるのかな? あのアマガミって女の所に住んでるのかな? 自分でアパート借りるとか、亮には無理だと思うんだよね。大体さ、あいつ、お金ないじゃん。バイトもあんまり続かないしさ」


 そもそも、亮は私がいないと生きていけない体質だ。

 私がいないとダメなのだ。


「ええーい! 未練がましい!! 自分を捨てた男の事なんてどうだっていいでしょーが!」


 そろそろ目が座ってきた未菜ちゃんは、バン!とテーブルを叩いて、腰を10センチほど浮かせた。


『捨てた』という表現がやたらグッサグッサと心を抉る。

「そ、それは、そうなんだけど」


「口を開けば亮亮亮亮亮! あんた忘れたわけじゃないよね? 顔の形が変わるほど暴力振るわれた事あったよね!」


「ま、まぁ、それは……」


「そんな男、他の女にくれてやってちょうどよくないか?」


「それは、違うんだよ未菜ちゃん」


「はぁ~?」


「あんなに痛い想いを我慢してまでつなぎ留めたんだよ、それなのにさ」


「じゃかーしい! いい加減にしなさい! そんなのは愛とは言わないの!」


「愛じゃなかったらなんなの?」


「執着よ!」


「執着……か」

 やたらしっくり来る。


「って、あの本に書いてあった。君の次の恋はなんちゃらって、アレ」


「ふぅん。未菜ちゃんはもう吹っ切れたの? 柳井先生の事」


「もうとっくに。子供に夢中になってる先生なんて、見たくも考えたくもないよ」


「ふむ、そっか」


「それよりさー、あの、イケメン社長はどうなったのよ? その話が聞きたい~!」


「あー、そういえば……それ」

 私は、テーブルの上の小皿を指さした。


「これ? このほうれん草のお浸し?」


「そう。あいつが作って冷凍してくれてたみたい。あと、鶏の煮物とか、いろいろ作り置きが冷凍庫に入ってた」


 それで生き延びた。


「いい男じゃん」


「そっかな?」


「あんたがいらないなら、私がもらっちゃおうかな~」


「ちょっとー」


「バカ、冗談よ。それよりさ、ちゃんとお礼言ったの?」


「お礼か。言いたいんだけど連絡先、知らないんだよね。亮は知ってると思うんだけど、わざわざ電話して訊くのも、なんかわざとらしいじゃん。未練あるのかななんて思われるのも悔しいしさ」


「まぁ、それはやめといた方がいいかもね」


「あのパーカーも、返したいんだよね」

 あの日、布団の中でくちゃくちゃに丸まっていたベージュのパーカー。

 なんで私の布団の中にあったのかは、謎なんだけど。

 一応、洗濯してハンガーに掛けてある。


「あ! そうだ!」


「へ?」


「伊緒さー、泥酔して、彼の家に泊まったんでしょ? 家、覚えてないの?」


「は! 覚えてるといえば、覚えてる。んっとー、世田谷の桜丘台!」


「わお! 高級住宅街じゃん、あそこ高級な家しか建ってないよ?」


「うん。低層の高級マンションだったよ! 確か……フォレスト、なんとか」


「今から、このパーカー、返しに行こうよ」


「え? 今から、いきなり家に?」


「うん!」


「いやぁ、いきなり家に押し掛けるのはどうなのかな?」


「ええい! しゃらくせぇー! 行くよ!」


 未菜ちゃんはそう言って、すっくと立ちあがった。


「ほら!、伊緒。立って!!」


 全然気がのらなーい、と心の中で叫びながらも、あれよあれよという間に未菜ちゃんに引きずられながら、玄関で靴を履いた。


 気は乗らないけれど、お酒のせいで気は大きくはなっている。


 なんだか面白そう。


 なんてノリで、私は未菜ちゃんと共に田園都市線に乗った。

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