第11話 同じ痛み
侘しい1Kの部屋で、高らかにインターフォンが鳴った。
ピンポーーーン。
音に反応して、伊緒は僅かに体をビクつかせたが、目を覚ます事はない。
倫太郎は急いで玄関ドアを開けた。
「兄貴、買ってきました。先ず、薬と、ポカリと、レトルト食品と、総菜と、米っす」
「おい、誰が米買って来いっつったんだよ!」
「さーせん。レトルトのおかゆは一個もなかったっす」
「そっか、なら仕方ねぇな」
倫太郎はザキからレジ袋を奪うように取り上げ、ざっと袋の中身を確認して、一万円札を三枚差し出した。
「ビールでも買って飲め。夜中にご苦労だったな」
「あざっす」
深く頭を下げて、両手で有難くいただくザキ。
さっさとドアを閉めようとする倫太郎。
「ちょちょちょ、兄貴!」
「なんだよ」
「なんなんすか? ここ、女の部屋っすよね?」
ニヤニヤといやらしい笑みをたたえながら、思いっきり首を伸ばし部屋の中を覗こうとするヤクザ。
「なんでもねぇよ。さっさと帰れ」
「やっぱ、女じゃないっすか。寝てるんすか? この前、兄貴のマンションにいた女っすか? チャンスじゃないですか。俺も参加させてくださいよ」
「ぶっ殺すぞてめぇ」
本気で威嚇する倫太郎の声は鋭く、ザキを震え上がらせた。
「え? す、すんません」
「さっさと帰れ。あの女に指一本でも触れたら、エンコじゃすまねぇからな」
「はいっ。すんませんした。帰ります」
バタンとドアを閉める倫太郎。
「ふー」
と安堵の息を吐く。
イベント会社『ジョイウェーブ』の代表として知り合った伊緒に、裏の顔を見せるわけにはいかない。
逆も然りである。
裏稼業の人間にも、こちらの世界の顔を見せるわけにはいかない。
知っているのは、ザキとタカだけ。
2人は、倫太郎が幼い頃入所していた養護施設で出会った3歳下の弟だ。
もちろん血は繋がらない。
しかし、幼い頃から本当の兄弟のように、倫太郎はザキとタカを可愛がってきた。
身よりもなく、施設を退所した後、荒れに荒れていた2人を引き取るようにして組に入れたのも倫太郎だ。
「さてと」
米の袋を包丁の先で切り裂き、カップ一杯を取りザルに入れてシャカシャカと洗う。
「えっとー」
シンクの下を覗くと、ちょうど良さげな小ぶりの土鍋があった。
多めの水に浸して、火にかける。
「1時間ぐらいって所か」
沸騰したのを見計らって、火を小さくし土鍋に蓋を被せた。
倫太郎の視界に映るのは、懐かしいエレキギターだ。
少し塗装の剥げたフェンダージャパン・フェンダーストラトキャスター・スクワイアシリーズ。
それはかつて、倫太郎に夢を見せてくれたギターだった。
倫太郎には2人の父がいる。
一人は生物学的なDNAが一致した父親、仙道真一。株式会社ジョイグループの会長である。
もう一人は龍ケ崎會田村組の初代組長である田村竜仁。
命を与えた親と、生き方を教えてくれた親だ。
このギターをくれたのは、組長である田村の一人息子の
築城は、極道として生きる道を選んだが、残念な事にシャブに手を出し、オーバードーズで死んでしまった。
このギターは、倫太郎がまだ部屋住みしていた頃、いつの間にか消えていた。
築城が薬を買うための金欲しさに売ったのだ。
それを知った時、倫太郎は兄貴分である築城に殴り掛かった。
『元々は俺のギターだぞ』
と理不尽な言い訳をする築城。
『もらったもんは俺のもんだ!』
一歩も引かない倫太郎。
あの悔しさと悲しさはしばらく後を引いた。
そんな事を思い出し、切なかった気持ちが蘇る。
同時に、伊緒の悲しみに暮れる顔が脳内を過る。
理不尽に、大切な物を手放さなければならない痛みは、同じなのかもしれない。
今となっては、ギターぐらいいくらでも買えるが、そういう問題じゃないのだ。
このギターが、何より大切だったのだ。
伊緒もきっとそうなのかもしれない。
音成じゃないと、彼女の心の隙間は埋まらないのだろう。
懐かしいギターを抱え、未だ染みついて拭えないコードを指先でおさえながら、そんな事を考えていた。
Side—伊緒
グツグツと美味しそうな音がする。
部屋はなんだか人の気配でほわんと温かい。
これは幻覚? それとも現実?
うっすらと開いた視界は霞みがかっていて、男の背中が映る。
男は、ギターを抱えて、ビーンと静かに音を鳴らしている。
「亮……」
亮だ! あれ? 亮は出て行ったはずなんだけど、戻ったのかな?
そっか、戻ったのか。
「亮……」
亮はこちらを振り返り、何か言っている。
なんて言ってるのかわからない。
「亮……」
と、名前を読んだその時、口の中に、とろりと何かが滑り込んだ。
優しい甘さの暖かいおかゆ。
「おいしい」
次々にスプーンで口元に運ばれるおかゆは、五臓六腑の隅々にまで行きわたるようで、みるみる体が満たされていく。
「水分もとらないと」
そんな声が聞こえて、口の中にストローが差し込まれ。
ちゅーっと吸い上げると、甘い液体が流れ込む。
「美味しい」
「あと、これ」
そう言って、口の中に錠剤が放り込まれた。
直後、またストロー。
ちゅーっと水分を吸い上げる。
「人間の本能ってすげーな」
という声が聞こえた。
「ん? 亮?」
気を抜くとすぐにまどろみが訪れる。
意識を手放しては、取り戻す。
再び目を覚ました時はもう朝になっていて、嘘みたいに体が軽くなっている。
テーブルには土鍋と錠剤と手書きのメモ書き。
『ボルタレンは熱が高い時に1錠6時間置き。
必ずガスターと一緒に飲む事。
アモキシシリンは食後3回。症状がなくなったら飲まなくてもよい。
熱が下がるまでは外出禁止。
ちゃんと寝て、食べる事。
冷蔵庫の中にすぐに食べられる物を入れてあります。
では、お大事に』
亮????
とは、にわかに信じがたい。
どんなに熱があっても、亮は寝転がってスマホを見ながら「飯まだ?」というような男だった。
恐らくお米の洗い方すら知らないだろう。
メモの筆跡も、亮の物とは全然違う。
ふとヘッドボードに視線を移すと、お金が置いてある。
数えてみると4850円だった。
それに、これは?
布団の中に丸まってクシャクシャになっているベージュのパーカー。
これ、どこかで見た事があるような……。
どっくん、どっくんと心臓が波打つ。
倫太郎???
どうして?
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