第8話 元彼、熱愛発覚
Side-伊緒
「ゲホッ、ゴホッ、ヘックチッ」
見事に体調を崩した。
3日前の雨とお酒にやられて、風邪に加えて二日酔いならぬ三日酔いで、昨日は丸一日寝ていた。
呪いのような悪寒と吐き気に襲われ、もう死んだ方がマシと思えるほどのどん底にいた。
うなされるように「殺してー」と叫ぶ自分の声で何度も目が覚めた。
大学もバイトも休んでしまった。
単位もお金も足りないっていうのに――。
ピピッ。
脇に挟んだ体温計を取り出すと。
37.4度。
「ふわぁー、微妙~」
時刻は夕刻5時40分。
今日の大学の講義はどうにかリモートで受けたけれど、バイトはどうしようっかな。しんどいけど、お金もないし。
うん、休んでる場合じゃない。
昨日は晴れたと思ってたのに、今日はまた雨が降りそう。
降り出さないうちに出掛けるか。
コトコトと音がして、やかんが笛を吹き始める。
「お湯が沸いた」
キッチンに向かい、火を止めて。
白いマグカップにインスタントコーヒーを淹れた。
今日一日、何も食べてない。
家中、食べる物がない。
食欲もないし、なんだか胃の調子も悪い。
そう言えば……傘。
傘、どうしたんだろう?
いつも濡れたまま壁際に立てかける癖があるのだが、玄関に亮がくれたあの赤い傘はない。
「は! もしかして!!」
一昨日の記憶を辿る。
泥酔して、倫太郎に介抱してもらった次の日の朝の事だ。
急いで服を着た私は、バッグから財布を取り出した。
前日の、居酒屋での会計を清算するためだ。
『あの、お会計はいくらだったでしょうか?』
『16800円』
と、領収書を差し出した。
『え? そんなに?』
『居酒屋とはいえ、テキーラは一杯が大体1000円ですから、妥当だと思いますケド』
財布には現金3000円のみ。
『あの、現金は持たない主義で、カードで支払う予定でして、あの、その。ペイペイでもいいですか?』
『ああ、いいですよ』
そう言って、スマホにQRコードを表示させて差し出した。
カメラで読み取ったが
――あれ? 『ペイペイ』って言わない。
口座の残高不足だ。
どうしよう。八方ふさがりだ。
しばし、針の筵に正座させられているような痛々しい時間をやり過ごす。
『あの、このツケは、来月必ず返済致します。ペイペイに入金しますので、あのー』
倫太郎はふーんと鼻から息を吐き、こう言い放った。
『もういいですよ。さっさと帰ってもらえたら、それでいいんで』
『は、はい。重ね重ね、ほんとに、大変申し訳ございませんでじた』
『もう二度と会う事もないと思いますけど、じゃあ、お元気で』
バタンと無情に閉じたドアに向かって深々と頭を下げた。
あー! あの時だ!!
「忘れてきた!」
まぁ、いっか。
どうせ、捨てるつもりだったのだ。
どうせ、あの偏屈塩野郎の事だ。
きっとあっさり捨てるに違いない。
そうだ。
捨ててもらえたら有難い。
亮の思い出がたくさん詰まった傘なんて……。
『伊緒はすぐ迷子になるだろう。派手な傘さしてたら俺が見つけやすいからな』
そう言って、あの傘をくれた亮の笑顔がフラッシュバックする。
『雨の時も、晴れの時も、すぐに伊緒を見つけられるように』
あれ? なんでだろう?
嫌な事、たくさんたくさんあったのに、いい思い出しか出てこない。
けどもういらない。
そうだ! 断捨離しよう。
傘も、恋も、もういらない。
けれど――。
けっこう、可愛いデザインだったな。
柄のところにも薔薇の模様が施されていて。
小ぶりで軽くて……。
傘に罪はないのだけれど。
なんて、感傷に浸っている暇はない。
熱々のインスタントコーヒーを水で薄めて、ぐいっと胃に収めた。
バイト先は、アパートから徒歩15分ほどにある『アジアンカフェ・ラヴェンダー』。
駅前にあるおしゃれな店で、通りに面してガラス張りになっている。
可愛らしい外観と、時給1550円で賄いつきというなかなかの好待遇に釣られて応募したのだ。
賄いではいつも日替わりのカフェメニューが300円で食べられる(給料天引き、ご飯お替り自由)。
今日の日替わりは確かおろし豆腐ハンバーグ。
うひ! 楽しみ!
しばらくは、バイトの賄いで食いつなぐ作戦だ。
昼過ぎまでは主婦やサラリーマンがコーヒーを楽しむ常連で賑わうが、この時間帯は学生や若いカップルの姿が増える。
大学とバイト先までの中間ぐらいに、自宅アパートがあるため、一度帰宅して身支度を整えてから出勤というのがいつものパターン。
アパートからカフェまでの道のりは、駅近くの繁華街を通り抜ける必要があり、大体いつも通勤や帰宅ラッシュに巻き込まれる。
山梨の山間部で生まれ育った伊緒にとって、東京での物理的な距離感は未だに慣れない。
体が触れ合うほどの距離を通り過ぎる人混みは、少なからずストレスだった。
「おはようございます」
スタッフ通用口からバックヤードに入ると、勤務を終えたパートさんが3人、何やらスマホを見ながら井戸端会議中だった。
「あら、神崎さん。おはよう」
シンママの阿部さんが、華やかな笑顔を向けた。
「ねぇねぇ、これ見た?」
そう言って、スマホをこちらに差し向ける。
「え? なんですか?」
「ネットニュースなんだけど、
「アマガミ?」
スクリーンにはネットニュースの見出しがこう書かれていた。。
『ヤンデレアイドル甘神リアナ、謎のイケメンと熱愛発覚』
「知らない? 元MyTubeの配信者でアイドルに転身した……。ヤンデレラって呼ばれてけっこうバズったんだけど。自殺配信が有名で、結局死なないんだけどさ」
「あ! あああああああ!!! 知ってます!」
ハロウィンのイベントで、亮と一緒にいた、あの女の人だ!
名前までは出て来なったけれど。
「男の方は顔がよく見えないんだけど、これ絶対ちゅうしてるよね?」
スマホの画像には、長身の男性に肩を抱かれて、頬に口を寄せる甘神リアナの姿がはっきりと映っている。
男の顔ははっきり見えないけれど、私にはわかる。
この革ジャン、このピアス、この髪質、この指。
この人は、間違いなく、亮だ。
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