第4話 パンダの正体
「え?」
戸惑うリンタロウ。
「あ、えっと、とりあえず、あっち行きましょうか? 服、濡れちゃってますよね」
倫太郎はスタッフ通用口と書かれたゲートを指さした。
「ロケバスあるんで」
「ずびばせん……あじがとうごじゃいます、グジュっ」
「こちらです。ご案内します」
先ほど、亮たちが通過して行った関係者通用口に向かって歩き出すパンダ。
その後をトボトボと付いて歩いた。
冷静に考えてみたら、この後電車を二本乗り継いで家まで帰らなければならないのだ。
こんなびしょ濡れで電車に乗ったら、他の人に迷惑をかけてしまう。
かといって、タクシーに乗るお金も、もうない。
今夜からはクレジットカードで生活するしかないか。
こちらにどうぞ。
大きなワゴン車の前でパンダが立ち止まった。
中には誰もいない。
パンダに促されるまま、ワゴン車に乗り込んだ。
たくさんの荷物で雑多としている。
「これ、会社の車なんです。これ、どうぞ」
倫太郎は真っ白い大判のタオルを差し出した。
「え?」
「とりあえず、あの、泣いてたみたいだったから」
「ありがとう……グジュ、うっ、ううう……」
タオルを受け取り、その中に顔を埋めると、既に緩くなっていた涙腺から大量の涙が溢れた。
「ここに、座ってください」
「あ゛い」
倫太郎は新たなタオルを座席に敷いて、そこへ私を座らせた。
「この車はイベント終了まで動かさないので」
「ヒック」
「服が乾くまでここにいていいですから」
「ヒッ……う゛……ずびばぜん……ううっ……」
倫太郎は少し困った顔を隠すかのように、ひょいとパンダの頭を被せた。
「服、乾いたら、勝手に帰っちゃっていいんで」
くぐもった声がパンダの中から聞こえた。
「は、はあ」
そして、さっと背を向け出て行った。
「へ?」
ちょ、待ってー?
こういう時、事情を聴くとか、慰めるとか、なんかあるでしょうーが!
女の子一人置いて、そそくさと行っちゃう?
行っちゃうかー。忙しそうだったもんな。
窓から小さくなって、人混みに紛れていくパンダの背中を見送った。
すると、不思議と涙が止まった。
そっか、そうだよね。
そんな少女漫画みたいな展開、ないよねー。
傷心してる所に偶然、別の王子様が現れて恋が始まっちゃうなんて。
いつまで夢みてんだろ、私……。
ふと、腕時計に目を落とす。
「8時か……」
亮たちのバンドがそろそろ出番だ。
どうしようかな?
見ずにこのまま帰ろうか。
それとも、せっかくだし、ちょっとだけ覗いて行くか。
どうしようかな?
もう一度、亮の歌声、聴きたい、な……。
「ヒッ グジュ」
寒い。
服が濡れているせいで、体が冷え切っている。
倫太郎が渡してくれたタオルを体に巻いて、横になった。
外界から隔離され、一人になった事でなんだか緊張の糸がぷっつり切れたみたい。
急に眠気が襲ってきて。
意識を手放した。
「お疲れー」
「お疲れさーん」
「疲れたなー、この人手不足、何とかして欲しいよな」
「こんな低賃金の重労働、なかなか働き手が集まんないんだよな」
「ブラックだからなー、うちの会社は」
「あれ? 誰かいる?」
そんな男性の声が耳に流れ込んで来て、目を瞑ったまま現実に引き戻された。
――あっちゃー。寝ちゃってたわ。恥ずかしいーーーー!!!!
「え? だれ?」
「誰かの知り合い?」
「寝てるのか?」
「死んではないよな?」
「うん、息はしてるっぽい」
「迷い込んだのかな?」
そこへ
「お疲れ様でしたー」
この声は、倫太郎!!
「あ、社長。なんか知らない女の子が寝てるんですけど」
――ん? 社長????
倫太郎だと思ったが違ったのか?
「あ、大丈夫です。えっと、知ってる、人です」
やっぱり倫太郎だ。
え? どういう事? 社長?
「どういう事っすか?」
「社長の女っすか?」
「ダメですよ、イベント中にロケバスに女連れ込んじゃ」
「ちが! 違う違う違う!! そんなんじゃ、ありませんよ」
どうじようー。
どのタイミングで目を開けよう。
さわっと、何かがお尻を撫でた。
ん? これは、誰かが私のお尻を!
「きゃーーーーーーーー!!!!!」
飛び起きると、目の前には倫太郎。
その背後に4,5人のガテン系の男たちが中腰で私を取り囲んでいた。
「あ、す、すいません。もう乾いたかどうか、確認しただけで、その、あの……。訴えないでください」
倫太郎はおどおどとそんな事を言った。
「だ、大丈夫です。訴えません。あのあの、ありがとうございました。帰ります」
そう言って座席を立ち、天井に頭がぶつからないよう中腰で、車を降りた。
早く! 一刻も早くこの場を立ち去りたかった。
さっきまでの雨は嘘みたいに止んでいる。
服もすっかり乾いたようだ。
「あのー、ちょっとー、ちょっとーーーー」
倫太郎の声が追いかけて来た。
「へ?」
振り返ると、私の傘とバッグを持って走って来る倫太郎が見えた。
着ぐるみの状態ではわからなかったが、細身でしゅっと引き締まった体が、貼り付いたTシャツ越しに確認できる。
「ひゃあ。すいません、何から何まで、ご迷惑おかけして」
「いえ。これ、忘れ物です」
「わざわざ、ありがとうございます」
「あの」
「はい!」
「大丈夫ですか?」
「え?」
「あの、泣いてるみたいだったから」
「あれー! 社長!」
私の背後から聞きなれた声が飛んで来た。
「ああ! これは、音成君。今日はお疲れ様でした」
「お疲れ様でした。今日は呼んでいただきありがとうございました」
「いえ、お礼なら事務所の社長に」
「あれ?! 伊緒?」
バレないように顔を背けてたのに、亮に気付かれてしまった。
「伊緒じゃん! 髪切ったの?」
「知り合い?」
隣の女が亮の腕にしがみついた。
「あ、え? うん、まぁ」
「ふぅん。こんな地味な子、まさか元カノじゃないよね?」
「ええ? ああ、あはは~」
地味!!??
こんなに頑張っておしゃれしてきたのに、私ってやっぱり地味なのか……。
「え? なんで社長と、伊緒が?」
亮は私と倫太郎を交互に指さしながら目を丸くしている。
「これには事情があって」
と倫太郎が眉をへの字に曲げる。
「え? 2人、もしかして?」
あ、勘違いしてる。私と倫太郎が付き合ってると思ったっぽい。
「そうなの、実は私、彼と付き合ってるんだ。紹介するね。私の新しい彼氏」
口から出まかせに、そんな事を言った。
「へ?」
――お願い! 合わせて。
心の中で念を送りながら、ぽかんと口を開ける倫太郎に、軽くウィンクをした。
「え? マジ? 仙道社長が伊緒の彼氏?」
亮は、腰をぬかすのではないかと心配になるほど、驚きのリアクションを見せる。
「いえ。違います」
倫太郎はあっさり否定して、冷めた目で私を見た。
ひんやりと血の気が引く。
ガシっと論太郎の腕をホールドして、そっと亮に背を向ける。
ひそひそ声で。
「ちょっとー、合わせてくださいよ。今だけ、ここだけでいいんで」
「いやぁ、無理ですよ」
「そこをなんとか。あの男に酷い振られ方をしたんですよー。助けると思って、ねっ、お願いします」
「いやいや~」
「イベントの手伝い、タダでやるんで」
「え? 本当っすか?」
「はい。会場整備でもチケットもぎりでも、演者のお世話でもなんでも喜んでやりますから」
「けっこう重労働ですよ」
「全然イケます!」
倫太郎はくるっと体を翻し
「彼氏です」
と亮に告げた。
「ええええーーーーー、マジでーーーー???」
顎が外れるんじゃないかと思う程の亮のアホ面を、瞳にやき付けた。
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