第3話 もういらない
エステに、ネイルに、マツエク。
それからヘアーサロン。
長かった髪はフェイスラインをふんわり包み込むような動きのあるショートボブになった。
緩みきっていたボディラインもスッキリしゃんと背筋が伸びて、ワンランク上の女になった気がする。
ネイルは、深いグレーのベースカラーで、指にしっとりと馴染んでいる。私の肌の色にはこういう色が似合うらしい。
薬指には、ゴールドの月のパーツを付けてもらった。
まるで御伽噺の中の夜空みたいに幻想的だ。
まつ毛だって流行りのワンホン? とかいうデザインでナチュラルで華やかな目元になった。
ワンホンデザインは頑張り過ぎてない感じが魅力なんだとか。
「伊緒ー! すっごい可愛くなったー! まるで別人じゃん!」
未菜ちゃんは待合の椅子から立ちあがり、自分の事みたいに大はしゃぎした。
「ありがとう。長い時間待ってもらってありがとう」
「ううん。本一冊読んだわ」
そう言ってスマホのスクリーンをこちらに向けた。
「電子書籍か。何の本?」
「君の次の恋を占おう、ってやつ」
「ああ、有名だよね。失恋した時に読む、アレだ」
「そうそう。なんか気持ちがスッキリしたよ」
「それはよかった。お会計してくるね」
何はともあれ、未菜ちゃんが少し元気になったのは良かった。
料金の説明は全く受けてなかったが、常連である未菜ちゃんの紹介という事で少し安くなるみたい。
財布を握って会計カウンターへと立った。
「全身スッキリほっそりコース48000円、ジェルネイル8800円、ワンホンデザインのマツエクが15500円。合計72300円ですが、ご紹介割引で10パーセントお引きして……65070円でございます」
くらっと眩暈がした。
またしたい! なんて上がったテンションは一気に地に落ちる。
恋のリベンジにもお金がかかる。
世知辛い世の中なのだ。
「ありがとうございましたー」
髪がカットとカラーとパーマで38000円だった。
今日一日で10万越えの出費。いたたたたぁー。
けれどこれまで、亮に尽くすばかりで自分のために全くお金を使ってこなかった。
1年分のご褒美と思えば、妥当か?
取り合えず来月、いや、来週からバイト増やそう。
未菜ちゃんと一緒にサロンを出ると、外はもう薄暗くなっていた。
朝10時から始まったサロン巡りはおよそ9時間にも及んでいて、なんだかぐったりと疲れた。
「今度は服、選びに行くよ」
「ふぇ? まだお金使うの?」
「投資投資! 自分への投資よ」
あれれれーという間に未菜ちゃんに手を引かれて大手商業ビルへと吸い込まれた。
そして迎えた、ハロワイン当日。
朝から怪しかった空は、午後から見事に雨を降らせて、傘がなくてはせっかくのおしゃれも台無し。
クローゼットから、大事に仕舞っていた折り畳み傘を取り出して広げてみる。
真っ赤で派手なバラがデザインされた晴雨兼用。
誕生日に、亮が買ってくれた傘だ。
5000円しないぐらいの物だけど、あの時の亮の精一杯だったのだと思うと、勿体なくて一度も使う事ができなかったな。
未菜ちゃんの見立てで買った服は、オフショルダーの黒いニット。
プリーツがたくさん入った薄いグレーのスカート。膝上で、ちょっと勇気がいるけど、着てみたら案外似合ってて可愛い、かも。
靴はエナメルのボルドー。
服代でまた5万飛んだ。
とほほほほ、なんて今は考えない。
決戦の時よ。
亮をぎゃふんと言わせてやるんだらー!
パタパタと傘を叩く大粒の雨に少しだけ憂鬱を抱えて、会場へと向かった。
野外イベントだが、雨天決行らしい。
SNSでは既に会場入りしている演者や、そこへ向かう観客の書き込みで賑わっている。
会場はやはりすごい人、人、人。
仮想している人も目立つ。
特に、目を引くのは『会場入り口』と書かれた矢印型のプラカードを持っている着ぐるみのパンダ。
「チケットをお持ちの方はこちらへお進みください!」
Tシャツ姿のスタッフの声に合わせて、眠そうなパンダが会場入り口へと誘導している。
「ふふ、かわいい」
その時――。
「亮ーーー! 来たよー」
という女の声が背後から聞こえて、ドクンと心臓が跳ねた。
亮?
この辺に亮がいる?
視線を周囲に走らせると、黒い革ジャンにダメージジーンズの亮の後ろ姿を捉えた。
一週間ぶりに見る彼は、誰かに手を振っていて、私には気付かない。
鼓動の波が喉までせり上がって、膝はガクガクと震え出す。
――お願い。気付いて。
その時だ。
高そうなロングのワンピースをはためかせた、ゴージャスな女性が列から飛び出して、亮に抱き着いた。
「え?」
もしかして、あの人が亮の――。
未菜ちゃんの嘘吐き!
めっちゃきれいで、スタイル良くて、堂々としていて、おしゃれじゃん。
手入れの行き届いた長い金髪が背中で揺れている。
そう言えば、亮は長い髪の女の人が好きだったな。
切らなきゃよかったかな。
亮は彼女の肩を抱いて、自分の傘に招き入れると、関係者通用口と書かれたゲートに進んだ。
あの隣にいたのは私だったはずなのに。
――バカみたい。
帰ろう。
列からこぼれるように離脱して咄嗟に駆け出した。
傘を放り出して、人混みを縫うように、出口を目指した。
直で地肌に感じる雨粒が嫌と言う程現実を教える。
おでこから流れた雨粒が目に入って、一瞬視界が歪んだ。
ドンっ!
「うわ!」
何か大きくて柔らかい物にぶつかった。
見事に吹っ飛ばされてべちゃーっと尻もちをつく。
雨粒が顔を襲撃する。
「いったーい、つめたーい」
もう、泣きたい。
泣きたいのに、どうして涙は出て来ないのだろう?
「ごめんなさい。大丈夫ですか?」
くぐもった声。
「へ?」
パンダだ!
目の前にパンダがいる。
「よいしょ」
と言いながら、パンダは頭を外して中身を露わにした。
「%&$#ー!」
イケメン!
色白で可愛らしい顔立ち。
柔らかいブラウンの髪。愛嬌のある目鼻立ち。
大学生のバイトだろうか?
どう見ても年下っぽい。
頼りなさそうに髪をくしゃっとかき混ぜながら辺りを見渡している。
「すいません。これ視界が悪くて、大丈夫ですか?」
どうやら、パンダにぶつかってしまったらしい。
「ちょっと倫太郎くーん! 頭取っちゃだめじゃない」
他のスタッフに怒られちゃったパンダは、リンタロウというらしい。
「おろろ、すいません。ちょっと緊急事態で」
ひょこひょことスタッフに頭を下げて、こちらに手を差し出す。
丸っこい着ぐるみの手にしがみついて、立ち上がらせてもらった。
頭を小脇に抱えたパンダは私を通り越して走り出し、傘を拾ってくれた。
「あの、これ。落としました」
「あ、それ」
捨てたんです。もういらない。
心の中でそう呟いた瞬間、涙がボロボロとこぼれた。
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