第2話 絶対見返してやる~!
「ただいま」
誰もいない部屋に電気を点けた。
日当たりの悪い北向きのこの部屋は、昼間でも暗く電気が必要だ。
そっか、もう電気を点けて待っていてくれる亮はいないのか。
やたら静まり返った部屋で、まだ亮が吸ったタバコの匂いが残るベッドにダイブした。
「はぁ~」っと大きくため息を吐いても、胸のつっかえは全然取れない。
「終わったんだな」
もう、電気を点けて、部屋の空気を入れ替えて、快適な温度にして、亮を待っておく必要もないのか……。
まるで陳腐なB級映画を観た後みたい。
このバッドエンドは、しばらく後を引くパターン。
ベッドの横には、年代物のエレキギター、スクワイヤー・ストラトが立てかけてある。
白と黒のクールなデザインで亮に影響されて買ったのだ。
中古ながら8万円もした。
何度練習しても、結局上達しなかったな。
ヘッドボードの上には、ピンクの100円ライター。
部屋の真ん中にあるローテーブルには、白と黒のマグカップ。
パンくずが散らばった白い皿。
常に視界に映り込む亮の痕跡に、ぎゅっと目を瞑った。
いつの間に眠っていたのだろう。
ふと、耳に流れ込む喧騒が現実を知らせる。
RRRRRRRRRRRRRRR・・・・・・
RRRRRRRRRRRRRRR・・・・・・
一瞬、ここはだどこだ? とか、私は何をしていたんだっけ? とか、今は朝方なのか夜なのか? ぼんやりと霞がかった記憶を辿り、もう亮がいないんだという現実にたどり着いた。
更に、ずっと鳴りっぱなしのスマホが覚醒へと導く。
――電話? 亮?
亮だ! 絶対に亮からだ。
このタイミングの電話は亮に違いない。
『やっぱり伊緒の傍がいい』だとか『戻ってもいい?』とか『俺たちやり直さない?』とか。そんな電話に違いない。
慌てて飛び起きて、ベッドの下に放り投げていたバッグを手繰り寄せた。
スマホを取り出し、スクリーンを確認する。
「未菜ちゃんか」
ズンと気持ちが一気に萎えた。
未菜ちゃんは同じ大学に通う同級生だが、年は一つ上だ。
つまり一浪。
未菜ちゃん曰く。
私は、ドジで頼りなくて放っておけない存在なのだとか。
大学でも顔を合わせるのに、休みの日はこうして定期で電話をくれる、お姉ちゃんみたいな存在だ。
そういえば、そんな時間か。
未菜ちゃんがいつも電話をかけて来る時間だ。
「もしもし」
『ちょっと! 何回かけたと思ってんの?』
いきなり怒鳴られて、一瞬スマホを耳から遠ざけた。
「あは、ごめんごめん。いつの間にか眠ってたらこんな時間になっちゃってたよー」
『寝てたのか、そっか。なら、よかった』
「ん? 何が?」
『いや、あの……なんでもない。バイト帰りに亮君見かけたからさ……』
「ああ、そっか。女の人と一緒だった、か」
『え?』
「いいのいいの。知ってるから」
『知ってるって……』
「別れたんだ、私達」
『え? いつ?』
「今日の、お昼ごろ」
『そっか……』
「もう、出てっちゃった。亮……、もう、いなくなった」
『そっか……』
未菜ちゃんは急にしんみりとした声になって、こう続けた。
『実は私も
「え? そうなの? 結婚考えてるって言ってたのに?」
思わずプチっと発動した怒りに任せてそう声を張り上げたが、この報告に私はほっと胸を撫でおろしていた。
『なんかー、奥さんに子供ができて……』
「何それ。奥さんと別れたって言ってたんじゃなかったの?」
『別れてなかった、みたい』
「ええ?? 嘘つきじゃん。結婚するって言いながら、3年も未菜ちゃんの事騙してたの?」
『ううっ……グジュン』
お分かり頂けただろうか?
未菜ちゃんは浪人生の頃から不倫していた。
お相手はアラサーで予備校の講師。
離婚をエサに、この3年間未菜ちゃんを束縛し続けたクズ中のクズ男だ。
「ねぇ、未菜ちゃん。ご飯食べた?」
『まだ、ううっ、グジュン』
「一緒に行かない? カラオケでさ、ぱーっと飲んで食べて歌って発散しようよ」
『ううっ、そだね。行くか!』
そうそう。
お互いに家でふさぎ込んでても仕方がない。
こんな時、いつも誘って来るのは未菜ちゃんの方だが、今回は私から誘う事にした。
突然の別れで傷ついた痛みは計れないけれど、未菜ちゃんの方が痛手は大きいような気がしたのだ。
私がしっかりしなきゃ。
集合場所は、ウェイ系の若者が溢れかえる甘谷センター街。
煌びやかなネオンにひと際天高く聳えるアースカラーのビルが目印。
既に、エントランスの横で佇む未菜ちゃんを発見した。
白いニットに、カーキのタイトミニ。編み上げのロングブーツですっかり秋の装いだ。
私はというと、薄手のブラウスに、ざっくりとしたベージュピンクのカーディガン。ロングスカートに適当なスニーカーというなんとも気合の入っていない出で立ちだ。
「さぁて、飲みますか。何飲む?」
空元気を絞り出して、メニュー表を未菜ちゃんに押し付ける。
「伊緒は?」
メニュー表を受け取りながら、真っ赤な目をこちらに向ける。
「うーん、カシスウーロン」
「私はウーロンハイにしよ!」
それから小一時間が経ち。
お酒のグラスやジャンクなおつまみがテーブルに溢れかえり、二人ともすっかり酔っ払いのテンションになり始めた。
「未菜ちゃん、次何歌う? 失恋ソングもう尽きたよ!」
「じゃあさ、あろ曲いこうよ、『らんでこんな奴好きらったんらソング』!」
未菜ちゃんはリモコンを握りしめ、頭上でふるふるする。
「いいねいいね! 『あの頃の自分よ目を覚ませ!』な」
「なーんであんな奴……、ううっううっ」
「あらぁ、スイッチ入っちゃったねー」
「らんで、あんら、クズに夢中になってたんだ、って思うけどさ、優しかったんだよ。大人でさぁ、余裕あってさぁ、見た目もドストライクでさぁ、もう二度とあんなに相性のいい人とは出会えないんじゃないかって思うんだよ」
泣きじゃくる未菜ちゃんを見て、なんだかちょっとだけ羨ましかった。
私もこんな風に泣けたらどれだけスッキリするだろうか。
私はまだ、失恋といいうイベントを、なかなか思い出に切り替える事ができずにいるのかも知れない。
まだ、現実として受け止める事を、心が拒否しているのだ。
「ねぇ、未菜ちゃん」
「ん? どした?」
「あのさ……」
やっぱりどうしても気になった。
「どんな人だった?」
「え?」
「亮の隣にいたのは、どんな人だった?」
未菜ちゃんは憐れむような顔をして、またたらたらと涙を流した。
「ブスだったよ。伊緒の方が数倍、いや、数百倍可愛かったさ」
未菜ちゃんのその優しさに、少しだけ涙がこぼれそうになった。
「絶対見返してやろうぜ!」
急に、いつもの未菜ちゃんになった。
「う、うん!」
「伊緒は先ず、明日、美容院に行けー!」
「は、はい」
「その伸ばしっぱなしのクソダサい髪をおしゃれにしてもらうのらー 」
「そだね」
「まつ毛もくるりんして、服も買ってー、見返してやるのらー!」
酒のせいで語彙力も平常心も死んだ未菜ちゃんは、仁王立ちになり、身振り手振りしながらそう叫んだ。
「そうだね! 亮が悔しがるくらい、いい女になる!」
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