第6話

 それからは、空気の冷えた朝は、公園で彼と過ごすのが日課のようになっていった。

 公園を散歩しながら、植樹されている草木についてラーシュから講義を受ける。自然に興味がある彼は、植物のことに詳しかった。


 時には、おすすめの場所を私が教えてあげることもあった。当然のことだけれど、学校に通い始めて間もない彼より、近所に住んでいる私の方が、この辺りにはずっと詳しい。


 私とラーシュの会話は、基本的に英語で行われた。といっても、日本語で聞こえてくる星のささやきをもとに、私がなんとか英語を組み合わせて返答しているだけだ。

 言葉にしたことと心の中で思ったことが完全に一致するわけではないから、ときおり会話がかみ合わないこともあった。それは私の英語が拙いせいだと彼はとらえているようだった。


 実際に話してみると、ラーシュはよく笑った。ただ、顔を曇らせることもあった。


『日本は差別が激しい国だな。何かあるたびに俺が疑われる』


 体育館に土足の跡があったとか、教室で誰かのボールペンがなくなったとか、そういうことがあると、真っ先にラーシュが犯人扱いされるらしい。

 でも、彼は泣き寝入りをしない。クラスメイトだけでなく教師陣にまで詰め寄って謝罪させたと胸を張っている。ぎぬを着せられるのは大変だけれど、「さすが外国人だな」と相手にも少しだけ同情してしまった。


『当然だろ? 俺を疑う論理的な根拠なんて何一つないんだから。動機だってないんだ。疑うならまず証拠を示すように言ったら、納得してくれたよ』


 私には逆立ちしても真似できない芸当だ。彼は他の差別にも敏感だった。


『女性蔑視べっしもあるよな。委員会とかクラスのリーダーは男ばっかりだった』


 そういうラーシュは、ベンチに腰掛けるときは私の座る場所にハンカチを敷いてくれるし、道路を歩くときは車道側にまわってくれる。これは違うのかと問うと、


「レディファーストは女性尊重であって女性差別とは別物だ」と反論された。


 正直、こんなあからさまな女の子扱いには慣れていないので、だいぶ挙動不審になってしまったと思う。特に、割と頻繁にかけられる「かわいい」という言葉には閉口へいこうした。目を細めてほほ笑みながら言われたときの衝撃はすさまじく、そのたびに「これは外国人にとってマナーみたいなものだから」と自分に言い聞かせなければならなかった。


 きっと学校では、モデルみたいな外見もあいまって、さぞ女の子たちにちやほやされているのだろう。

 そんな人と私が一緒にいてくれるということがいまだに信じられない。彼女……なんて大それたことは望まないけれど、友達だと思ってもいいのだろうか。


『あ、そういえば、この間の小テスト、どうだったんだ?』


 考えにふけっていると、突然鞄をつかまれてテストを見せるよう要求された。勉強家なラーシュは、最近、私の学力まで心配してくれる。

 つつしんで辞退させていただきたいという思いを頑張って伝えようとしたけれど、そんな遠回しな拒否は彼には通じないし、そもそも英語に変換できない。しぶしぶプリントを渡すと、彼はひどく真剣な表情をして顔を近づけてきた。


『小テストなら授業を聞いていればわかるだろ』

『わからなかったらなぜ復習しない? 日本の学生は怠けすぎじゃないか?』

『その状態でテストを受けて点数が悪いのは当たり前』

『もしかして将来を諦めているのか?』

『俺に謝ってどうする。自分のことだぞ。もっと真剣に……』


 ラーシュの説教は延々と続いた。それはもう途中で「この人、やっぱりそんなにもてないかも」と思うくらいに。



 ――ラーシュは真面目だ。

 それに正しい。

 彼の行動が親切心からきていることは、ちゃんとわかっている。

 でも、そういうところが日本ではうとましく思われるかもしれないと、忠告もできないくせに、私は少し心配していた。

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