第4話

 次の日は、ひときわ寒い朝だった。

 星のささやきはもちろん、ダイヤモンドダストが周囲を舞っていて、世界が私を祝福しているような、そんな美しい光景が広がっていた。


 それなのに、私は気が重かった。昨日の学校でのやり取りをずっと引きずっていたからだ。


朝比奈あさひなさん、私、今日用事あって。そこの掃除ささっと終わらせちゃうから、ごみ捨てだけ頼んでもいい?」


 HR後の掃除で、同じ場所の担当になった雁谷かりやさんからそう言われて、私は答えた。


「あ、うん。――でも、それでいいの?」


 私は『急いでいるなら掃除も代われるけれど、ごみ捨てだけでいいの?』という意味で言ったつもりだった。けれど、彼女はなぜか気分を害したようで、いらだたし気にほうきを動かした。


「……悪かったわね。やればいいんでしょ、やれば」


 雁谷さんはそう言っていつもより念入りに掃除をすると、私の手からごみ箱を奪い取って焼却炉へ向かっていった。何が起こったのかわからず、呆然としていた私は、そこに至ってようやく、誤解されたのかもしれないことに気づいたのだ。

 たぶん『掃除をそんな風に適当にしていいのか?』という意味に受け取られたのだろう。


(そんなつもりじゃなかったのに……)


 その出来事から今朝までずっと、「あのとき、星のささやきが聞こえていたら」なんて、せん無いことを考えている。

 私は、雪をきしませ踏み固めながら、もう何度目かのため息をついた。


 今までも、こんなことがよくあった。

 よかれと思って言った言葉が予期せぬ誤解を生み、相手に嫌われたり反感を買ったりする。誤解されたことに気が付いたときにはすでに関係はこじれていて、弁解したところで修復するのは困難だった。

 そんなことが積み重なって、私は話すのが苦手なのだと思い当たった。そうして次第に、会話をしなくなっていった。今では、クラスで「暗い子」認定されている。


 ――そんな私でも、星のささやきがあれば。


 相手にどう誤解されたかすぐにわかれば、傷の浅いうちに対処できる。そのために心の声が聞こえるようになったのだと、最初はもろ手を上げて喜んだのだ。

 実際は、学校に着く頃には氷のような寒さが和らぐせいで、役には立たなかったけれど。


(そう、うまくはいかないなあ……)


 足元を見ながらとぼとぼと公園を横切っていると、急に肩をたたかれた。


「――ひあっ!?」

「Wow,sorry」


 飛び上がって振り向くと、薄い空の色を背景にした金髪が目に入った。水底みなそこを思わせる青い瞳が驚きに見開かれ、『ああ、ごめん』という日本語が空中で響く。

 私は思わずぽかんと口を開けた。穴のあくほど彼の顔を見つめてから、ようやく昨日の一件を思い出した。


「あ、もしかして、昨日のじゃ伝わらなかった? あ、アイムソーリー! バットアイムノー!」


 慌てて言いつのったけれど、今度もうまく伝わる気がしなかった。日本語すらまともに操れない私が、苦手な英語で会話ができるわけがない。

 泥棒をした日本人をやっつけようと、ここで見張っていたということだろうか。

 踏んだり蹴ったりで泣きたくなってきたけれど、彼の用件は違ったらしい。

『なんでこの人が謝ってるんだろう?』という心の声が聞こえた後、彼はまっすぐ私を見て口を開いた。


『とにかく良かった、見つかって。謝りたくて探していたんだ。昨日は、勘違いして悪かった。日本人、いつも俺のことじろじろ見るからさ。あんたもそうなのかと思って』


 彼の流暢りゅうちょうな英語を聞き取っているふりをして、必死に心の声を聴く。

 昨日のことは、どうやらお互いに勘違いをしていたようだ。彼は、私の無遠慮な視線が気になって、「言いたいことがあるなら直接言え」というようなことを言ったのだという。


「そ、そうなんだ……。気にしないで。じゃなくて、ユアウェルカム(どういたしまして)!」


 誤解が解けたとわかって心底ほっとした。それだけで、一気に気分が浮上する。

 彼は、ラーシュ・オーバリだと自己紹介してくれた。父親の仕事の都合で、一か月前にスウェーデンから転入してきたらしい。


『やっぱり単一民族だから、外国人が珍しいんだと思うけど。朝からああじろじろ見られてたんじゃ、気が休まらなくてさ』


 そう言うと、ここからは塀で隠れている十字路の方角に目をやって、ため息をついた。

 彼が注目を浴びている一番の理由は、外国人だからではなくイケメンだからだろうと思ったけれど、それを伝えるだけの英語力が私にはない。

 しかし、問題なのは、そこまで嫌な思いをさせていたことだ。その原因の一部でもある私が「……ソーリー」と小さな声で謝ると、彼は首を傾げた。


『どうしてまた謝るんだ?』

「だ、だって……。アイルックユー。ソウ(私はあなたを見ます、だから)」


 彼は不思議そうな表情をして、頷いた。


『え? ああ、確かに俺を見てるな。イエス』


 いや、イエスじゃなくて。

 やっぱりちゃんと伝わらない。どう言ったらいいか頭をフル回転させていると、


『それ、日本人のよくないところだ。悪くもないのに謝るのはやめた方がいい』

と、なんか説教されてしまった。


 悪いから謝ったのに、言い繕えば言い繕うほど泥沼にはまってしまって、途中で諦めた。勘違いを正せなかった代わりに、せめてこれからは彼を凝視するのをやめようと心の中で誓う。


『あ、そうだ』


 彼はふと思い出したように、馬のキーホルダーを取り出した。


『これ、渡日するときに祖母がくれた馬のお守りなんだ。見つけてくれてありがとう、コトハ』


 そう言って、はにかんだように微笑んだ。そうすると、冷淡な印象が一気に崩れる。


(わ、この人、笑うんだ……!)


 その時、雲に隠れていた太陽が顔をのぞかせた。

 空の色が濃くなり、風に舞っていたダイヤモンドダストがひときわ輝く。彼の髪が光をたたえてキラキラと光る。


 今まで無表情か不機嫌そうな表情しかしてなかった彼が、笑った。

 それは星のささやきにも勝る奇跡に思えて、心の中に深く刻み込まれたのだった。

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