三章 テキストの比較分析~第二節~

 二節 大衆文学について

 

 この節では大衆文学の分析を行う。取り扱う作品は以下の六作品である。


『海の見える理髪店』(荻原浩 集英社 二〇一六年)

作品概要

 荻原浩による短編集。書籍タイトルと同名の『海の見える理髪店』含む六話が収められている。題材は主に家族を扱う。二〇一六年下半期受賞。



『蜜蜂と遠雷』(恩田陸 幻冬舎 二〇一六年)

作品概要

 恩田陸による長編作品。あるピアノコンクールに参加する四人の男女を描く作品。二〇一六年上半期受賞。


『つまをめとらば』(青山文平 文藝春秋 二〇一五年)

作品概要

 青山文平による短編集。書籍タイトルと同名の『つまをめとらば』含む六話が収められている。江戸時代を舞台に、妻を娶る男の心を描く。二〇一五年下半期受賞。


『流』(東山彰良 講談社 二〇一五年)

作品概要

 東山彰良による長編作品。タイトルの読みは「りゅう」。十七歳の台湾人の主人公「葉 秋生(イエ チョウシン)」が、自分のルーツについて調べる旅を描く。二〇一五年上半期受賞。(一部を講談社の公式ホームページより引用)


『心淋し川』(西條奈加 集英社 二〇二〇年)

作品概要

 西條奈加による短編集。書籍タイトルと同名の『心淋し川』含む六話が収められている。江戸にある小川の終点と、その周囲にある古びた長屋を舞台に、そこに暮らす人々を描く。二〇二〇年下半期受賞。(一部を集英社の公式ホームページより引用)


『少年と犬』(馳星周 文藝春秋 二〇二〇年)

作品概要

 馳星周による短編集。書籍タイトルと同名の『少年と犬』含む六話が収められている。多聞という一匹の犬と、それに関わる人間たちの物語を描く。二〇二〇年上半期受賞。


 以下、特に断りがない場合、『海の見える理髪店』・『つまをめとらば』・『心淋し川』・『少年と犬』は書籍タイトルとして扱い、収録されている同名の作品タイトルは「」を用いる。また、前述の三冊に収録されている他の短編作品のタイトルについても「」で示す。さらに、ここから行う分析は長編作品と短編集を分けて考える。これは、短編集は著者の意志によって同じ書籍の中でも自在に表現を変えることができるからである。





▼地の文、使われている言葉・表現


 『蜜蜂と遠雷』は地の文の主語は登場人物の名前のため、三人称的な視点で書かれている。『流』は主人公である秋生の一人称の視点で書かれている。さらに、三者に共通する事柄として地の文の量が非常に多い。

 登場人物の属性については、『蜜蜂と遠雷』と『流』には以下のような記述がある。


 鍔広の帽子、綿のパンツにカーキ色のTシャツ、その上に薄手のベージュのコート。肩から大ぶりなキャンパス地のカバンをたすき掛けにしている。(中略)どこにでもいそうなティーンの格好だが、よく見ると不思議に洒脱な雰囲気がある。

 帽子の下の端整な顔はアジア系だが、見開かれた瞳や色白の肌はどこか無国籍だ。(『蜜蜂と遠雷』十一ページ下段~十二ページ上段)


 制服のボタンをみんなよりひとつだけ多く開けて着流すような、ちょいとばかり粋がった高等中学校(注三)の二年生(『流』十四ページ)


 『つまをめとらば』は、地の文の主語が原則として下の名前であるため三人称で描かれている。対して、『海の見える理髪店』では、原則、地の文の主語は「私」で、登場人物の一人称視点で書かれている。例外は「遠くから来た手紙」での主人公「祥子」の過去を回想するシーンのみである。このシーンは物語を俯瞰する三人称視点で書かれている。また『心淋し川』・『少年と犬』は全編を通して三人称視点で描かれている。

 「海の見える理髪店」は、セリフに「」が使用されない地の文のみで構成されている。この話は、客である主人公と店主のみで進行するため、リズム感を重視した物と推測する。

 前述の通り『つまをめとらば』においては、原則、地の文の主語は物語を俯瞰する三人称視点であり、『つゆかせぎ』のみ「私」という一人称が用いられている。ただし、「私」の本名は不明である。『つゆかせぎ』は主人公となる「私」が、物語開始の二十日前に心臓の病で死んだ妻の「朋」に思いを馳せながら自分を見つめなおす話である。登場人物の感情の発露を叙情的に記す為に一人称を用いていると思われる。

 『心淋し川』と『少年と犬』については他の二作品と異なり、すべてが三人称視点である。これが、著者の作風によるものか、何か他の意図があって全編を通してこの形(三人称視点の地の文)にしているのかは今回考察できなかった。

 この四つの短編集については、登場人物の属性と呼べるような記述はほとんど無い。これは、短編という形態を考えると、あまり情報を詰めこむことが難しいからだと推察する。


 白髪のめだつ髪を染めもせず、短く刈りこんでいる。高齢だが背筋はしゃきりと伸びていた。(『海の見える理髪店』八ページ「海の見える理髪店」)


 今回取り上げた六作品全てにおいて、特殊な表現及びわかりにくい言葉が使用されている。普通は使わないような言い回しもある。しかしながらそれは局所的な物であり、全体を俯瞰すれば総じて口語的な文章である。そのため、ライトノベルとの違いは見られない。『蜜蜂と遠雷』は言わずもがなであり、主人公の一人称視点で書かれている『流』はライトノベルとの言葉・表現的な差異はより少ないと考えられる。振り仮名は少なく、振られている漢字も常用漢字が多い。『流』の場合は中国語のカタカナ読みもしくは日本語訳である。


 使われている言葉・表現の一例


 いつものようにベッドから手を伸ばして、鳴る寸前に目覚ましを止める。

 一瞬起き上がるのが遅れたのは、目覚める前に見た夢のイメージを取り戻そうとしていたからだ。(『蜜蜂と遠雷』二百三十一ページ下段)


「わかった?――――」ヒュッ。(『流』百六十四ページ)


 特殊な表現の一例


 夜は、まだ若い。(『蜜蜂と遠雷』二十八ページ下段)

 朝のしじまを切り裂いて(『蜜蜂と遠雷』五百七ページ)


 『海の見える理髪店』と『少年と犬』は、長編作品と同じように全体を俯瞰して見ると口語的な文章で書かれているが、若干馴染みのない言葉の使用がある。また、漢字の場合、振り仮名が振られていないことが大半である。


 ヒッピーだのフーテンだの(『海の見える理髪店』二十五ページ「海の見える理髪店」)

 だめだったら、それこそ自分がフーテンになるつもりでした(『海の見える理髪店』二十八ページ「海の見える理髪店」)(注四)


『つまをめとらば』及び『心淋し川』は、どちらも江戸時代を舞台としており、時代として特有の単語こそあれども、全体的には口語を用いた文章である。


 こんなときは、やはり磯だろう、と、丸四年、矯めを繰り返してこさえた、まだ下ろしていない竿をかつぎ、小半刻ばかり歩いて着く岬へ向かう。(『つまをめとらば』三十二ページ「ひともうらやむ」)


 吉祥寺門前町にある『よいや』まではたいした距離ではない。海蔵寺横丁と四軒寺丁を抜けて、岩槻道を北へだらだら行くと吉祥寺がある。(『心淋し川』百六十一ページ「明けぬ里」)



 ▼心理描写

 『蜜蜂と遠雷』と『流』には、登場人物の心理状態について、直接的な描写がある。


 ホールに神々しい大伽藍のようなバッハの響きが降臨していた。

 あの、恐ろしく緻密で計算された、和声の積み上げられた建築的にも完璧な響きが、揺るぎない骨格で迫ってくる。

 悪魔のようだ、と三枝子は思った。

 

 

(『蜜蜂と遠雷』二十六ページ上段から下段)


 ここなのだ。

 わたしは碑文に触れ、祖父の名に指を這わせた。この土の下に、宇文叔父さんの家族が埋められている。祖父の手によって埋められた。私が生まれる十五年もまえに、すべてはこの場所からはじまったのだ。

 この日の青島は気温が一、二度しかなかったが、寒いわけではなかった。宇文叔父さんはもうわたしの手のとどくところにいた。

(『流』三百六十五ページ。注五)


 選出した短編集の四冊についても、特別難しく心理描写が分かりづらいことはなく、前後の文脈から読み取れるようになっている。


 ドアをノックする。

 返事はない。

 半分だけ開けてみた。誰もいないことを期待して。

(中略)

 だけど昔からあの人は、私の望みをいつも簡単に断ち切る。

 北向きの大きな窓の前にイーゼルが置かれ、鏡を見つめるようにキャンバスと対峙している背中が見えた。(中略)

 半開きになったドアをもう一度ノックした。

 

 

 コツ、コツ、コツ。

 やっぱり振りむかない。

(『海の見える理髪店』四十九ページ「いつか来た道」)


「……苛々する」

 

 

 誰にでも慈しみの眼差しを注ぎ、口許に浮かべた微笑は途切れることがない。

 それが何故だか、ようにはたまらない。観音と呼ばれて、明里は嬉しいのか?人が仏と呼ばれて幸せなのか?

(『心淋し川』百七十四ページ「明けぬ里」)


 

 すでに四人の子を産んでいる、と聞いていたので、勝手に四十に近い婦人を想い描いていたのだが、あれは姑の言いまちがいだったのだろうか。それとも、早々と十五、六で母になったのだろうか。それにしても、まるで娘のようなこの姿形はなんなのだろう。

(『つまをめとらば』九十六ページ「乳付」)


「ごめんな、多聞、一瞬ろくでもないことを考えた。おまえはおれたち家族を天国に連れていってくれたのに……」

 車を西に向け、東北自動車道のインターを目指した。アパートとは逆方向だが、

(『少年と犬』四十四ページ「男と犬」)


 ▼終わり方

 各作品を総合して比較した場合、どの作品でもライトノベルとは違い、続編を想定しない終わり方となっている。また、解釈という点についても特に複雑さを感じることはできない。


『蜜蜂と遠雷』では、若干の難しさこそあるが、それは言葉のむずかしさによる局所的な物で、難解さはない。複数の解釈ができる終わり方はしない。

 最終章の終盤においては、コンクール参加者で、作中「ギフト」と言われている風間塵が自分の行くべき道を強く認識し、「彼自身が音楽」であると称えられ、塵が夜明けすぐの街中を駆ける様を「一人の音楽が、一つの音楽が、朝のしじまを切り裂いて、みるみるうちに遠ざかる」と表現している。


『海の見える理髪店』では、特別難解な終わり方はしないが、「海の見える理髪店」については、この話に登場する「僕」と理髪店の店主との関係について、親子であると匂わせるような終わり方をする。これは、作中で店主の二人目の妻との間に子どもがいることと、その妻と二十六年前に別れていること。「僕」が結婚式を迎えること。「僕」から「口の重い母」と言われていること(これは、離婚の原因にあることが推測できる)の三点が匂わせている要因である。

 

 『つまをめとらば』、『心淋し川』では作中での言葉遣いこそあるものの、終わり方には他の解釈をする余地がなく、わかりやすくなっている。

 以下に、『心淋し川』に収められている「はじめましょ」の結末を挙げる。

 舞台となる心町で飯屋を営む「与吾蔵」が、不思議な子どもの「ゆか」を通じて、昔恋仲だった「るい」と再会する。「与吾蔵」は、大晦日に寄りを戻すことを提案する。しかし、「るい」は、「ゆか」が「与吾蔵」そして「るい」とは血の繋がりが無い拾い子ことを「与吾蔵」に打ち明け、一緒には暮らせない、と「与吾蔵」に告げて去る。翌日、「与吾蔵」は差配に年始の挨拶をし、「鳶が鷹を生むことだって、ありやすよね?」と聞き、差配は「そりゃあ、あるだろうな」と答える。その答えを聞くと、「与吾蔵」は飛び出し、初詣の待ち合わせに向かう。待ち合わせ場所からは「ゆか」の唄う声が聞こえるという終わり方をする。

 終盤の描写から、「与吾蔵」と「ゆか」の関係は途絶えておらず、それは「るい」との関係がまだ続いていることが分かる。


 『少年と犬』は連作短編であるものの、一話で完結する終わり方が為されている。「夫婦と犬」・「老人と犬」・「少年と犬」を除いて、各話の主人公たちは、そのストーリーの終盤になると必ず多聞を手放している。

「夫婦と犬」は、主人公の一人である中山大貴が多聞と共に登山をしていた時に滑落。大貴は滑落時に何かにぶつかり死亡。多聞は落ちなかったものの、大貴の妻の紗英が呼んだ救助隊が近づいた時に身を翻して走り去ったと救助隊から紗英に伝えられる。事故に遭った際に大貴よりも多聞が無事であることを願った紗英は、その罪悪感からより一層働くことと、新たに犬を飼うことを決める所で物語が終わる。

「老人と犬」は、島根まで来た多聞が老いた猟師の片野弥一と共に、猟友会と助っ人として呼んだ丹波の漁師が仕留めそこなった熊を、猟友会の頼みで狩りに行く。弥一が熊を追い込む地点で待ち伏せしていると丹波の猟師がそこにやってきた為、手を振り上げて帰らせようとすると、熊と見間違えた丹波の猟師に誤射されてしまう。一人で死ぬと思っていた弥一は、多聞が傍から離れなかったことを嬉しがり、微笑みながら死んで物語は終わる。

 「少年と犬」は、最終的に五年をかけて元居た釜石から熊本にまでたどり着いた多聞が、東日本大震災の影響で熊本に避難してきた内村徹に拾われる。熊本地震の余震によって徹の息子の光は多聞と共に倒壊した家のがれきに飲まれてしまい、多聞は光をかばう形で死んでしまう。それでも、光は心の中に多聞がいるといって、徹やその妻の久子も前向きになる。そして、多聞についてSNSで発信していた徹の元に中垣麻由美(「男と犬」に出てくる人物)という女性から「多聞のことを知っている」とメッセージが届き、徹が返信をするところで物語は終わる。


 以上のように、先行研究が導いたように大衆文学はその表現や使用されている言葉からライトノベルと比較を行うことは不可能であることが分かった。違いとして挙げられる点は、ライトノベルは続編が出ることを前提としていても不思議ではない終わり方であるが、大衆文学は一巻で完結するような形になっている点である。

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テキスト的分析によるライトノベルについての考察 磯風とユキカゼ @isokaze

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