二章 従来の定義・一般の認識~第一節~
本章では、ライトノベルと大衆文学を比較する前に、従来の定義と現在の一般の認識、つまり、大衆がライトノベルをどのような作品と捉えているかを参考文献とアンケートから確認する。
一節 従来の定義
『ライトノベル完全読本』(日経BP社 二〇〇四年)では、ライトノベルをいわゆる「おたく」文化の中で生まれた文学と位置付けるのであれば、その源流は一九七四年にあるとしている。この年には、ファンタジーTRPG(テーブルトークロールプレイングゲームの略。卓すなわちテーブルを囲んで会話すなわちトークで進めるロールプレイングゲーム)「ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ」の発売、『宇宙戦艦ヤマト』の放映などがあり、これを「おたく」文化の発祥としている。また、同書ではライトノベルの大雑把な定義として、
一:子供でも大人でもなく、ティーンエイジャーを購読層として意識した
エンターテンメント小説である。
二:読者が日常的に使用する言葉(口語的な表現)で書かれている。
三:表紙、挿し絵などにイラストを多用し、視覚にも訴える造本。
四:まんがやアニメやゲームなど小説外のメディアの影響を受けている。
五:著者が子供たちに向かって語るのではなく、同じ目線で、
自分が面白いと思っていることを書いている。
以上の五点を挙げている。
さらに、同書百五十六ページからの「ライトノベル読者動向調査結果発表」にはライトノベルの定義についてマルチアンサーではあるものの「読みやすい」・「中にイラストが入っている」・「表紙にイラストが入っている」の三点が順に53.2%、38.9%、37.4%選ばれている。
新城カズマは『ライトノベル「超」入門』(新城カズマ ソフトバンククリエイティブ 二〇〇六年)にて、「あくまでも後付けで当時の状況を整理した見方」と断りを入れつつ、「ライトノベル」と「ジュナイブル・ヤングアダルト」の差異として、語感の問題(「単語から連想されるイメージの違和感」)という点を挙げている。これは、後者が、元は両方ともアメリカで用いられていた言葉で、一九七〇年代以降日本に輸入されたとしている。これが、そしてそれらに「マンガやアニメのようなイラストの付いた小説」というニュアンスがなく、ライトノベルが誕生した際に使われなかったとしている。
また、新城は、ライトノベルとゲームの関連から、「内面があって葛藤と選択をする人格」である「登場人物」という手法より「こういうシチュエーションではこういう言動をみせそうな、いかにもそんな外見の人物」である「キャラ」(キャラクター)という手法の方が読者も書き手も便利であることに気づいたとしている。その上で、「キャラという手法で物語を視る」ことが定着したとしている。そして、「キャラという手法で物語を視る」、言い換えると「キャラクターを重視する」という物語の消費方法について、読本の形態を取る曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』とライトノベルの「イラストとテキストの融合」という相似点から、ライトノベルを「キャラクターを素早く伝える方法としてイラスト等を意識し、キャラクターを把握してもらうことに特化してきた、二十世紀末から二十一世紀における小説の一手法」と定義し、それを「そんなに間違っていない」としている。
東浩紀は、『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』(東浩紀 講談社 二〇〇七年)で、ライトノベルを内容面で説明する(定義する)ことは、ライトノベルに内包されるジャンルの多さ(ライトノベルと一口に言っても、それはSF作品であったりミステリーであったりする)から難しいとしている。また、定義をレーベルやパッケージなどの外的要因に求めた場合、ライトノベル以外のレーベルから出版された小説が、読者によって「ライトノベル的な小説」として扱われているからこの定義はうまく機能しないとしている。
東は、具体例として『涼宮ハルヒの憂鬱』を挙げ、前述の新城の著書を引用しつつ、キャラクターの自律化とデータベース消費という点において定義を試みている。キャラクターの自律化とは、キャラクターが本来の作品を抜け出し、異なった設定の投げ込まれるにも関わらず、同じ人物として描かれ続けることで、二次創作が典型的な例としている。また、日本のマンガやアニメの消費者の多くは、このキャラクターの自律化に慣れ親しんでおり、また消費者によってキャラクターが基礎的な単位として想像しているとしている。このような「物語ではなく作品の構成要素そのものが消費対象になっている」状態を、東は「データベース消費」と名付け、ライトノベルを取り巻く環境もこの「データベース消費」であるとしている。そして、キャラクターのデータベース(キャラクターという作品を構成する要素のデータ)を環境として書かれた小説をライトノベルと定義すれば、多ジャンル性を簡単に説明できるとしている。
『ライトノベル文学論』(榎本秋 NTT出版 二〇〇八)では、ライトノベルの定義として、「一九八〇年代末から九〇年代初頭にかけて登場した角川スニーカー文庫・富士見ファンタジア文庫以降の、中学生~高校生かつ男性という主なターゲットにとって読みやすく書かれた娯楽小説」としている。著者は前述の定義について、「定義を色々考えてもそれですべてをつかむこと」はできないとしている。またライトノベルの「基本要素(特徴と言いかえできる)」として、
・キャッチーなキャラクター
・読者が受け入れやすい世界観
・読者に感情移入させる仕掛け
・読みやすい文章
・娯楽小説としてのストーリー・テーマ
以上の五点を挙げている。
「シンポジウム「ライトノベルの誕生と現在」(江藤茂博/榎本秋/西谷史 二松学舎大学人文学会第一〇〇回記念大会シンポジウム記録 二〇〇九年)において、榎本はライトノベルを「カバーにかわいらしいイラストがついて中にも挿し絵が入っているもの」と説明している。
また、「八〇年代にあったコンピューター・アニメの流行り(小説によるノベライズ版)と当時のファンタジーブームから、ライトノベルの基本になったものが生まれる」とし、八八年から九〇年代中盤あたりまで甚本的にライトノベル=ファンタジー(『ロードス島戦記』やテーブルトークRPGのリプレイ小説)という構図にあったとしている。
さらに、このシンポジウムにおいて榎本は九〇年代の中盤から劇的に変化しているとしている。電撃文庫の『ブギーボップ』やアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』などの「わかりにくくてアンハッピーエンドある程度内容が伝わらなくてもいいや」という考え方や「どういうことなのか一緒に考えよう」という問いかけ的なものが非主流派から主流派になり、「思春期の少年や、父親がいなかったり、父親との関係がうまくいってなかったりする少年を主人公にしたてて、自分探しをさせる」作品が出現したと語っている。
続けて、二〇〇〇年代からは、当時流行っていた女の子のスタイルを全部とりこんで、美人からかわいい子までズラッと並べて、思春期の男の子たちの目をくぎ付けしたとしている。また、一つの流れとして、正統な冒険物語としてのファンタジーに対して、ヒロインがもう勇者でもなければ品行方正でもなくて、自分のために楽しく生きる、しかし別の側面も持っているという、今までのヒロイックファンタジーヘのアンチテーゼとなっているとしている。
榎本は、キャラクター小説(キャラクターが決まっていて、毎回話が違う小説)の走りとして、宗田理や赤川次郎を挙げており、「ライトノベルと近いと思っている」と述べている。
このシンポジウムの参加者は以下の通りである。なお()内は参加者の肩書である。
江藤茂博(二松學舎大学文学部教授・専門は文芸・映像・メディア論)
榎本秋(文芸評論家)
西谷史(小説家・代表作は『女神転生』)
太田睦・山口直彦・山川知玄は『ライトノベル・スタディーズ』(一柳廣孝/久米依子 青弓社 二〇一三年)において、「ライトノベル作品群の統計解析」という題で、「客観指標に基づいて十作品を評価し、ライトノベルとはどのような傾向を持つ作品群なのか」の考察を行っている。結果として、ライトノベルとは「出版のスタイル」に強く規定され、ライトノベルらしさと捉えられている文章のスタイルはライトノベルと一般文芸の差異を示す指標にはならないとしている。なぜ文章のスタイルがライトノベルを表す一つの指標であるとされたかについて、この指標が初めて用いられた「ライトノベル診断表」という物に原因の一つがあるとしている。
「ライトノベル診断表」は、翻訳家の大森望が書評家の三村美衣とともに、人によってばらつきのある、多面的なライトノベル像を二〇〇四年にまとめた物である。「ライトノベルっぽさ」として様々な指標が挙げられている。この表は、『ライトノベル☆めった斬り!』(大森望/三村美衣 太田出版 二〇〇四年)に付録として掲載されており、詳細は省くが、ここに「文章表現」・「改行や擬音など」・「造語・ネーミング」・「会話や語尾」という文章に関する項目がある。そして、この指標は現実との乖離があると、太田と山口は彼らの研究から導いている。
両名は、大学生十人(うち一人は女性)に「ライトノベルと一般文芸作品の印象比較実験」を行った。この際の実験には、ライトノベルは『このライトノベルがすごい!』の二〇〇五年度版から二〇〇九年度版のランキングに掲載された作品からリストアップしている。そして、ライトノベルに対し、「作品によっては読みづらい・小難しい」印象を持たれることを導いている。これは、「ライトノベル診断表」を作成した大森・三村の脳裏にあった二〇〇三年から二〇〇四年の「ライトノベルの作品例」と「印象比較実験」に用いた二〇〇三年下期から二〇〇八年上期にかけて展開された「ライトノベル作品の全体」とに食い違いがあったからだとしている。また、「読みづらい・小難しい」という意見のあった作品が二〇〇二年と二〇〇三年の発表であったことから、古い作品を例に出して話を展開していた大森や三村が考えていたものより多様な作品がその時期に表れ始めていたのかもしれないとしている。また、ライトノベルの特殊性に注目するあまり、同時期の一般小説にも現れていた特徴までもライトノベル固有の現象として捉える危険性があると指摘している。
『ライトノベルの新・潮流 ラノベの黎明期から2001年まで』(石井ぜんじ/太田祥暉/松浦恵介 スタンダーズ株式会社 二〇二二)においては、第一章で、ライトノベルという言葉は、九〇年代の初めに作られた言葉であるとし、それ以前の若者向け娯楽小説はライトノベルと呼ばないことが多いとしている。また、九〇年代初頭におけるライトノベルの定義と範囲は、「新しい若者文化であるアニメ、ゲームの影響を受け、同世代(若者世代)に向けて作られた文庫レーベルの娯楽小説」としている。 また、本書では、「時代によって人気作品の内容が変化するのは当然」で、そのため定義は時代によって変化するとされている。実際、第二章では、非新人賞出身作家の登場や非出版社の参入、読者層の拡大などに伴い、物語性が変容しているとしている。また、ライトノベル化された、ライトノベル系のウェブ小説との関連が解説されている。さらに、第五章において、ライトノベルと近似するジャンルとして、ライト文芸・児童文庫・少女小説・ジュナイブルポルノの四種類を挙げている。
また、先行する研究ではないが、インターネットの匿名掲示板である5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)の「ライトノベル板(注一)」には、「トラブル防止のため」として、「ライトノベルの定義」の話題は遠慮するように書かれている。それに続き、「あなたがそうだと思うものがライトノベルです。ただし、他人の同意を得られるとは限りません。」と書かれている。これは、相手の顔の見えないインターネット上の匿名掲示板において、無用なトラブルを避けるための方針であることが容易に推測できる。この考え方は「個々人のライトノベルに対する主観・価値観・尺度に沿う作品がライトノベル」であると言い換えることができる。
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