第47話: 御機嫌のキス


「あっとポップでポッピンニッポン♪」


 アイドルってのは歌って踊れてナンボだという意識が日本にはあって。というかそもそもアイドルって外国ではどうなんだろうな? アジアとかでは聞いたりするが。アメリカとかヨーロッパでアイドル……?


「上手いな」


「まだまだ。能力的に声の伸びがね。こういうのは僻みだけど、ルイとかと比べると全然」


 だから黒岩ルイがセンターを務めているわけなのだが。


「素人には分からんけどなぁ」


「プロ目線も必要ってこと」


 で、どこで何をしているかと言えば、俺は放課後に杏子とカラオケに来ていた。部屋を一室取って、歌う杏子に俺が意見を言うような立場。とはいえ、そもそも音程もリズムもズブの素人の俺に言えることなどそんなにないのだが。


「マアジは歌わないの?」


「アイドルの隣でか? 悪夢だろ」


「別にカラオケなんだから楽しんだもの勝ちだと思うけど」


「まぁなぁ」


 俺的には杏子の独り舞台を見れればそれで満足なんだが。


「ほらほら。入れやれ」


 じゃあすごい女の歌でも。


「どこで覚えるの。そういうの」


 まぁネットを見ていたらそこそこな。


「~♪ ~~♪」


 何となく歌うだけなら俺でも出来る。そんな感じで歌っていると、杏子がスリスリ寄ってきた。


「何か?」


「ちょっとお願いがあるんですけど」


「聞こうじゃないの」


「キスして?」


 えーと。


 俺の思考をよぎったのはルイとタマモの顔だった。


「ジョークだろ?」


「結構本気なんだけど」


「俺が了承すると思ってるのか」


「思うよ?」


 何を根拠に。


「マアジ。お願い。キスをして」


「あー。ちょっと無理と言いますか」


「してくれなかったら、ここで半裸になってガチ泣きするって言っても?」


 それは脅迫だろ。


「うん。脅迫。こうしないと、マアジは私とキスしてくれないから」


「そこまで俺を貶める覚悟があるなら、何でそれを好意に出来ない?」


「マアジって自分のことよくわかってないよね」


 それこそ何を根拠に。


「いいんだけどさ。私だけが知っていればいいから」


 気になるな。


「だからキスして? 私に勇気を頂戴? 私が傷ついた分補填して?」


「俺に出来るのか?」


「マアジにしか、出来ないの」


 だから何を根拠に。


 俺がそう思っていると、杏子はソファに座っている俺の隣に座って、俺の膝に手を乗せる。ゾクリと悪寒を覚える俺を、けれども杏子は否定しない。


「誰にも秘密。誰にも言わない。だから誰も見ていないところで、マアジを感じさせて?」


「それはキスすると解決する事柄か?」


「少なくとも……私は勇気を貰える」


「勇気になるのか?」


「マアジは覚えてる? 私の過去」


「すっかり忘れている」


「だよね。多分覚えてもいないはずだよ。マアジの言い方を尊重するなら『御大層なことをした覚えもない』だね」


 だから何だって話で。


「だから言うよ。角夢杏子はマアジが好き。大好き。大大大好き。狂ってしまいそうなほど慕っている。そのことを自覚しろとは言わないけど、責任はマアジに帰結する」


 だから俺が何をしたよ。


「マアジは知らなくていい。ただ私とキスをして」


 あー。それをすると俺はルイとタマモに刺されるんだが。とはいえ、杏子が俺を慕っているというのも現実としては存在して。


「否定したいならしていいよ。それでも私はマアジを愛してる」


 俺を真剣に見つめて、杏子は俺にキスをする。


「ん……ちゅ……っ……」


 俺に出来ることが受け止めることだけだと知っていてもそれでも納得には程遠い。俺はカラオケの個室で何をしているのだろう。杏子にキスをされて、その上で誰に言い訳をしているのだろう。杏子が俺を好きでいるのは何か理由があるらしい。とはいえだ。それが俺が杏子のキスを受け入れる原因になるのか。


「マアジ。好き。大好き」


 だが俺を想っている杏子というのも事実としては存在して。


 俺とキスをする杏子を俺が突き放せないのも事実で。


「あー。俺とキスして楽しいか?」


「マアジに好きな女子っていないの?」


「いたら刺すだろ」


「うん。まぁ。刺すと思う」


 コイツの場合、本気で刺しそうで怖いのだが。自爆覚悟で俺を貶める自意識の持ち主だ。俺が恋をする対象がいたら、そのまま刺し殺して遺体を井戸に投げ捨てそうだ。


「好きだよ。マアジ。貴方だけを愛してる」


「そこに俺の肯定は無いのか?」


「マアジが何を思っていても関係ない。角夢杏子はマアジが好き。それだけはブレないから」


 チュッとキスをする杏子。それを受け止めないと杏子が壊れると知っている俺は受け入れざるを得ず。だというのに俺はルイとタマモを想っている。俺が杏子とキスをすることをあの二人が肯定するのかという疑惑に苛まれている。


 ぶっちゃけ肯定はしないだろう。杏子の疑念も当然だ。ルイとタマモは杏子を否定している。おそらくだが俺関連で思うことがあるのだろう。それを疑念として露出できないから、距離を置くことで正解としている。


 それこそ俺に近づく杏子を否定したいのだろうけど、それも否定し尽くせる。


「角夢杏子は佐倉マアジに近づくな」


 そう言いたいけど言えない状況。


 俺を杏子から離すために、俺に好意を与える矛盾。


「ちゅ♡……んむ♡……大好き……マアジ……」


 俺がそうまで思っていないのだが、杏子は俺が好きらしい。カラオケの個室で何をしているのかと言われれば、言い訳をするのも億劫なのだが。


「マアジは好きな女子とかいるの?」


「臼井幸」


「えー」


 引くなよ。それでも臼井幸が好きなのは変わらないのだが。


「アイドル声優だよね?」


「さいです」


 あのアニメ声は、思考がバグりそうになる。だからアニソンライブに顔を出すのだが。

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