第36話:マアジとモミジ
フェス最終日。オメガターカイトの出番が来た。俺はサイリウムを持って準備万端。そうしてメインステージでオメガターカイトのライブが始まる。
「今日は来てくれてありがとー! 盛り上がっていくぞー!」
もちろんセンターはトップアイドル黒岩ルイ。その隣に古内院タマモ。角夢杏子はちょっと端の方。で、俺は黄と紫と緑のサイリウムを持っていた。それぞれがそれぞれを象徴するサイリウムの色だ。黒岩ルイは紫に反射する黒髪。古内院タマモは緑に反射する黒髪。で角夢杏子は黄色によく似た金色の髪。これが俺の推しだ。
「……! ……! ……!」
そうしてライブが始まる。俺はそのライブに対して全力でオタ芸を打つ。俺だけじゃない。今ここにいる全員がオタ芸を打つことに全力だ。そうしなければオメガターカイトに失礼だから。俺たちはこんなにも君たちを推している。その感情を表現するためにはサイリウムは必要不可欠だ。
「はい! はい! はいはいはい!」
流れる音楽に合わせて、俺たちもサイリウムを振る。もちろんオメガターカイトも歌う。旋律に合わせて歌い、踊り、スカートを揺らす。そうして全員が渾然一体となってライブを盛り上げる。この時確かに俺たちは運命共同体だった。
それがいつまで続いただろう。
結論として終わりは来る。
「ありがとー! みんなー! じゃあラストナンバー! やっぱりオメガターカイトと言えばコレだよね! 『可愛いテイル』!」
そうして前奏が始まる。可愛いテイル。オメガターカイトを知らない人間でも可愛いテイルを知っているという人は多い。これはオメガターカイトを有名にした一曲。お茶の間にも流れる一曲だ。
「――――ッ! ――――♪!」
その流れるような旋律に合わせてオメガターカイトが歌う。
俺たちはそれに合わせてサイリウムを振る。もちろん全力だ。そうでもしなければ申し訳が立たない。というか俺は先祖を供養するお盆に「此処で何をしているのだろう」という疑問については考えないようにしている。まぁ誰だって羽目を外したいときはある、ということで。
「失礼しましたー」
そうしてオメガターカイトのステージは終わる。
「ふう」
俺もやり切った。サイリウムを下ろす。後は帰ってきたルイとタマモを労うだけだ。
そう思ったのだが。
「……モミジ?」
誰とも知らぬ声が俺を呼ぶ。いや。俺じゃない。俺の名前は佐倉マアジ。決してモミジではない。だが相手が俺をモミジと呼んだことは何故か確信にも似た肯定があった。
「えーと?」
俺を見てモミジと呼んだのは一人の女性だった。ちょっと年齢は言っている。この歳なら結婚をしていてもおかしくないし、子供がいてもおかしくない。というか既に子供が就職していてもおかしくない。こういう言い方は失礼だが、おばさんだった。とてもではないがアイドルフェスに来るような人材ではない。
「モミジ……立派になって……」
俺をモミジと呼ぶ。その事に異論はあれど。彼女が慈愛を持って抱きしめているのは如何に鈍感な俺でも理解している。
そうして俺と彼女は出会ってしまった。
「ああ、ごめんなさいね」
謝られても困るのだが。アイドルフェスにはもう用がない。で場所を移して、俺は女性と向き合っていた。彼女の奢りのコーヒー。あの場所で話を広げるわけにはいかなかったので、喫茶店という意見はまぁ肯定するとして。そもそも彼女は誰だ。
「えーと金成琴子って言うんだけど、憶えてない?」
「記憶喪失なもので」
俺にとっての記憶は中学からしかない。幼い頃に問題があって、意識がフォーマットされたとは聞いているが。
「仕方ないわ。私がモミジを手放したんだから」
「で、そのアナタは俺の何で?」
「母親よ」
えーと。
母親。
その単語の意味は分かるが、それによって成立する意味合いが俺には理解不能だ。
「本当は言っちゃいけないの。私は親権を放棄しているから」
つまり俺の親であることを止めたと。そこにも理由はありそうだが。
「でもあなたを見て我慢できなくなったの。探していたの。金成モミジを」
今の俺は佐倉マアジだ。
「こんな親権を放棄したおばさんに親だって言われても否定したいのは分かるけど」
「いや。否定するほど自意識が明確でもないので」
「佐倉マアジ。今はそう言うのね」
俺を表すレッテルだ。
「で、結局何で、俺は金成モミジを止めたんだ?」
「それは……」
「知らないのか?」
「知っているけど。私が言っていいの?」
何か都合があるのか。
「多分ルイが知っているんだな」
「そうね。知っているわ。あの子と繋がりが」
「無いわけじゃない」
「それで……なのね」
「どういうことだ?」
「アイドルフェスのライブにモミジが現れるって伝言を貰ったの。そうして私はあなたを見つけられた」
つまり俺と金成琴子を逢わせるためにルイが仕組んだわけだ。
「それで俺はどうすれば」
「いいの。幸せに暮らしているなら私から言うことは無いわ」
「母親としてそれはどうなんだ」
「でも私ではモミジは救えない」
血を吐くような、それは言葉だった。
俺を救えない。そのことを何より金成琴子は十字架として背負っているらしい。
「じゃあ後はルイに聞くわ」
「ええ。そうして。でも聞かせて」
ワッツ?
「今。アナタは。幸せですか?」
「そうだな。佐倉コーポレーションに我儘聞かせてもらって。それなりに裕福な生活をしているぞ」
普通都心の駅近のマンションに一人暮らしは無理っぽい。
「よかった。私は貧乏だから」
「ちゃんと食べているか?」
「生きる分の最低限にはね」
俺は佐倉コーポレーションの御曹司。そうして俺が普通に感じている幸せも、あるいは他の人間にはとても享受できない幸せなのかもしれない。
「モミジ。私はあなたを忘れない」
「あー。じゃあ。お母さんって呼んだ方がいいのか?」
「その資格も失って久しいけどね」
うーん。俺が記憶を失って、ついでに金成モミジだとして、それをどう証明するのか。そこから俺にはわからない。既にオメガターカイトのライブは終わっている。その後で、俺の母親を名乗る金成琴子氏を俺はどう扱うべきか。母親、と認めるのは簡単だ。けれどそこには確定の情報がない。量子情報は確認したときに崩壊するモノだから。
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