第19話:この手に握るのは
「はい! はいはい! はいはい杏子!」
今日はオメガターカイトの箱ライブの日。俺は全力で杏子ちゃんを推していた。そうでもしなければ俺のアイドル熱は何処に向かうかも分からない。
「チュッ♪ しちゃって♪ 震えるあなたを悪戯っぽく見つめちゃって♪」
オメガターカイト全体で歌っているナンバーを聞きつつサイリウムを振る。もちろん全力で。俺の推しは角夢杏子ちゃん。それ以外に推しは要らないのだ!
「今日のライブ最高でした! 某超感動!」
で、俺はライブ後の個別握手会で杏子ちゃんの列に並んでいた。シングルCDは買ったので握手券はもちろん杏子ちゃんのために使う。ルイとタマモには長蛇の列ができているが、杏子ちゃんにはその三分の一程度。だがそれでも俺は杏子ちゃんを推す。
「頑張ってください! 超応援しますんで!」
「ありがとうございます。佐倉くん。いつまでも応援してくださいね? 離れたら嫌ですよ?」
「うっす」
はい。御時間でーす。とスタッフが俺と杏子ちゃんを突き放す。そうしてオメガターカイトの箱ライブは終わった。
「マ・ア・ジ~?」
「…………マアジ?」
で、家に帰って今日のご飯の仕込みをしていると、ライブから反省会まで終えて、そうして我が物顔で俺の部屋に来ていた黒岩ルイと古内院タマモが俺の頬を引っ張る。俺が何かしましたか?
「ボクと握手すべきって言ったぞ?」
「…………杏子ちゃんに……デレデレ」
しょうがないだろ。推しなんだから。
「杏子の手は柔らかかったぞ?」
「温かかった」
「ボクならいつでも握ってあげるぞ」
ホイと手を差し出される。
「ふーむ。生命線が長いな」
「誰が手相を見ろと言ったのよ」
いや。ベタながらやるべきボケかなって。
「ていうかタマモ。なんでここにだぞ?」
「…………お世話になります」
「入り浸るってこと?」
「…………マアジと一緒に寝ると……嫌な夢を見なくて済む」
「わかるぞ。安心するんだよね」
「…………はい。……あのオレンジの香りがもう」
さいですかー。
「いいから座れ。今日は炊き込みご飯だ」
ルイとタマモの分もちゃんと作ってある。
「いい匂い。マアジは立派な主夫になれるぞ」
「そりゃ光栄だ」
ごぼうとマイタケ。鶏肉に根菜。出汁は俺流で、元ネタはネットのレシピ。
「うーん。美味しい」
だからルイが喜んでくれると俺は素直にうれしい。
「…………これお金支払うべきでは?」
「大丈夫。我が家は裕福だから。金なんて要らん」
「…………じゃあ金を払って契約するので……これからもあたしとご飯を食べてください……というのは通じます?」
「飯食うだけなら誘ってくれ。あと此処で食う分には予算に都合はないから幾らでも食え。ただし太っても知らんがな」
「糖質は抜くべきだぞ。でもこの炊き込みご飯は美味しい」
「…………どうしても食べてしまいます」
もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ。
もうどうにも止まらないらしい。しばらく俺も無言で炊き込みご飯を食べる。
カチンと茶碗に箸をおいて、
「御馳走様」
「…………御馳走様でした」
二人そろって合掌一礼。
「で、今日の件だぞ」
「…………マアジ?」
そこをほじくり返すのか。
「だーかーらー。俺の推しは杏子ちゃんだっつーの。コレは譲れん」
「…………なにか理由があるんですか?」
「助けてもらったことがあるんだよ」
「…………あたしだって痴漢から助けてもらいました」
そういうアレじゃなく。
「中学の頃な」
食後のデカフェ紅茶を飲みつつ、俺は語る。
「下着ドロボーに間違われたことがある」
「それって……」
「まぁ冤罪だ」
ただ冤罪でももう遅かった。俺に張られた下着ドロボーのレッテルは、カレーうどんの染みの如く雪いでもとれないものになっていた。当然周りは引いた。ドン引きだ。
「けれど一人、俺と距離を置かないでくれた人がいたんだよ」
「それが角夢杏子……だぞ」
「そ、そりゃ惚れるさ。推しにもなるよ。俺を孤独から救ってくれたんだから。好きにならないわけがない」
「ちょいちょい」
何よ。
「今マアジは孤独?」
「今は違うな」
「じゃあそれでいいんじゃないぞ?」
ここにはルイがいてタマモがいる。だから俺の部屋は賑やかになった。それは否定しようのない事実で、ついでに二人ともアイドルでありながら俺を好きでいてくれるらしい。
「ねーえ? キスしよ?」
「するのは構わんのだが」
「…………あたしも」
「ルイと間接キスすることになるぞ?」
「ボクは構わないかな」
「…………あたしも構わない」
理由を聞いても?
「タマモはボクと同じくらいマアジが好き」
「…………ルイはあたしをも利用してマアジを自分に固定しようとしている」
「どゆこと?」
「つまり」「…………つまり」
チュッとルイがキスをしてきた。チュッとタマモがキスをしてきた。
「ボクたちはマアジにイカレているんだぞ」
「…………とってもいい匂いのするマアジに惚れて惚れてしょうがないんです」
「だからキスくらいするぞ」
「…………セックスだってできます」
「とりあえずおっぱい揉むぞ?」
「…………あたしの放尿とか見たいですか?」
さっきから有り得ない言葉を聞いている気がする。ベッドに入って寝るか。そうしよう。
「今日はラベンダーの香りをお願いね」
相承りました。お姫様。
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