第15話:会いに来るアイドル


「今日はちょっと事務所寄るからこれでですねー」


 ヒラリと飛び上がる水鳥の様に杏子ちゃんは帰っていった。俺はと言えばもちろんアイドルとの距離感を間違えるはずもなく。


「頑張ってな」


 そんなわけでヒラヒラと手を振って見送った。さて、次のオメガターカイトのライブも決まっているし、俺は角夢杏子ちゃんとの個別握手会に全力を尽くそう。


「さて……」


 推しが頑張ってるところを見て、俺も生きる活力を充填させられた。


 だが悪意というものは俺を容易に逃がさない。


「あいつ。中学の頃女子のパンツ盗んだんだって」


「知ってる。下着ドロボーで噂になった憎いアンチクショウだろ?」


 …………。


 ………………。


 ……………………はぁ。


「ま、いいけどさ」


 なので、俺は友達がいない。ボッチだ。冤罪とはいえ下着ドロボーはすでに過去の出来事。拭おうにも拭えない。とはいえこっちから冤罪だと説きまわっても意味は無いだろう。


 唯一味方してくれる角夢杏子ちゃんも、アイドル活動で忙しい。そもそも下着ドロボーが杏子ちゃんに話しかけるな……というのは俺も思う。


「推しに貢ぐだけで満足するか」


 駅で電車に乗って揺られる。そうしてマンションに戻ると、


「…………あ……どうもです」


 俺の部屋の前に、一人の女子が立っていた。眼鏡をかけているのは変装のつもりか。それにしてはオーラが隠しきれていない。あえて言うのなら制服がとても素敵だということだろう。


「古内院さん……」


「…………どうもです。……その……コトブキ屋のケーキ買ってきたので、一緒に食べませんか?」


「あー」


 つまり上がらせろと。そう言っているのか。オメガターカイトのサブセンターが?


「コーヒーでいいなら出しますが」


「…………好きですよ。……コーヒー」


「じゃあそういうことで」


 何この状況。


 俺の部屋にオメガターカイトの古内院タマモさんがお邪魔している。落ち着きが無いのか。俺の案内したリビングで、正座して緊張している。然程の存在ではございませんよ?


 もちろんルイにはメッセを送っている。


『今日はこっちにくるな』


『なんでよ』


『仮に来たらお前がアイドルとして破滅する』


『友達でも遊びに来てる?』


『俺に友達はいない』


 推しはいるがな。


「で、はいどーぞ」


 そうして俺はコーヒーを差し出す。


「味は保証せんが」


「…………ありがとうございます」


 そうしてコトブキ屋のケーキを差し出してくる。俺は皿とフォークを用意して、ケーキを選ぶ。俺はイチゴのタルト。古内院さんはザッハトルテ。


「はむ」


 そしてケーキを食べる。口内を襲った衝撃に関して、日本語で説明するのは難しい。だがこのイチゴのタルトがとても美味しいことは俺の馬鹿舌でも納得してしまう実力があった。


「美味いな」


「…………ええ……美味しいです」


 古内さんもニコニコ笑顔。


「…………あの……ですね」


「はい」


 タルトモグモグ。


「…………たまにこうやって……ケーキを一緒に……食べませんか?」


「ケーキを?」


「…………ケーキを」


「いえ、そのー」


 ただでさえ黒岩ルイがどうのこうので問題が発生しているのだ。これ以上訴訟案件を増やすのも得策とはどうしても言えない。


「…………ちょっとだけ……ちょっとだけ……あたしとお茶をしてくれませんか?」


「それ他のメンバーでもいいのでは?」


 杏子ちゃんとかメンバーのフォロー結構しているらしいし。


「…………あたしは……マアジさんに言っているのです」


「何でと聞いても?」


「…………えーと。……その。……一目惚れです」


 ワットディドゥユーセイ。


「…………一目惚れなのです」


 言わなくても伝わってはいますよ。


「…………痴漢から助けられたことも……尾を引いています。……今はゾーンに入っているような感じですね」


「つまり勘違い恋愛に振り回されていると」


「…………そう相成ります」


 まぁ確かに俺に本気で惚れるはずもなく。つまり痴漢から助けたことがキッカケで、なんか俺が気になると。で、その熱が終わるまで付き纏っていいだろうかという提案だ。


「お前が俺の部屋にいるとアイドルとしての株が下がるのだが、それはいいのか?」


「…………今は何も手に尽きません。…………マアジさんのことを飽きるまで……思っていたいです」


「さいでっか」


 つまり一時のテンションに身を任せて、破滅したいと。


「…………破滅はしたくありません。…………けれど…………このどうしようもない気持ちも…………トートロジーにどうしようもないことも事実で」


 だから自分が納得するまでいさせてほしいと。


「そう言っているのか?」


「…………織り交ぜて言えばそういうことです」


 さあ、マズいことになってまいりました。


「…………あの……あたしの胸って……大きいらしくて」


「さいですな」


「揉みたいですか?」


「超揉みたい」


 揉みたくない男子が果たしているものか。


「…………じゃあ……どうぞ」


 ボインと。差し出される巨乳。私服の胸部を突き上げて、圧倒的な存在感を演出しているそれは、俺にとって神の造形物にも等しい。


「で、では……」


 この勘違い恋愛を行うことで古内院さんはテンションの調節をして、健やかにアイドル活動へと復帰する。そのための第一歩。であれば俺が揉むのに言い訳は必要ない。そこにあれば揉めばいいだけ。そうして俺を最低だと認識すれば古内院さんは、俺との恋に冷める。


 やれ。やるのだ佐倉マアジ。ここで古内院さんを幻滅させるのだ!


 結局しないんですけどねー。

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