第13話:鼻の下には唇が
「~~~~~ッッッ!」
どこにでもある進学校。そのテストが近づく八十八夜。俺の脳内は正にバカになっていた。あの生々しいルイの唇の感触が、俺の唇に焼き付いている。ティッシュで拭って取れるはずもないので、尚のこと熱を持った唇をなぞるように悶えていた。
「あはは。何をやってるのです?」
授業はさっぱり頭に入ってこなかったので、俺は昨夜の予習で勉学の補完していた。教科書を読めば教師の言いたいことは少しわかる。テストに出る知識が何処かくらいが欠如しているだけだ。かといって別に山勘で勉強するほど終わってはいない。
とにかく煩悩というか怨念によって苦しむ自分の脳のポンコッツさが、何より恨めしい。
「百面相していますね」
気付けば。俺の対面に杏子がいた。オメガターカイトの端っこアイドル。俺の最推しである奇跡の人。
「ライブに向けての練習はどうだ?」
「ちゃんとやってます。チケット買ってくださいね?」
「ニューシングルだって買っちゃうぞ」
「握手券のため?」
「いや。純粋にオメガターカイトのため」
その売り上げが事務所を潤し、給料として杏子ちゃんに支払われる。途中で何回かピンハネはされるだろうが。
「はやくセンターになってくれ。激推すから」
「難しいこと言いますね」
「キレッキレのダンスと歌を身に着けるんです。そうすれば可愛い杏子ちゃんはあっという間にセンターに」
「ほんと。推してくれるのは佐倉くんだけですよ」
「個握はファンが並んでいるだろ」
「ありがたいです。本当にありがたいです。私を推してくれてありがとうです」
そうして授業の合間の学生食堂。俺はカツ丼。杏子ちゃんはソバ。糖類の摂取を気にしているのだろうか?
「なぁ杏子ちゃん」
「はいはい」
「キスしたことあるか?」
「ないよー」
よ、よかった。経験済みだったら屋上からダイブしていた。
「何でキス?」
「意味はない」
「わけないですよね。誰かとキスしましたか?」
「シテナイヨ」
「誰と?」
言えるわけねーだろ。黒岩ルイとなんて。杏子ちゃんにとっては仲間でありライバルでもある。ついでに運命共同体で、事務所にまで問題が波及しかねない。
「甘かったですか?」
「何が?」
「初めてのキス」
「シテナイッテー」
「そういうのいいから」
そういうのはいいので?
ニヤッと杏子ちゃんは笑った。ゾクッとする。体感温度が冷えてる感じ。
「味比べする?」
自分の唇に人差し指を当てて蠱惑的に誘ってくる。
それは。つまり。
「キスしていいので?」
「ダメですけど。佐倉くんが誰かとキスしたなら、その意識のブレを私に繋ぎとめるセレクトボタンが必要かなって」
んなこといったら個握で誰彼構わずキスする羽目になるのでは?
「だ・か・ら」
角夢杏子は囁く。
「…………ボソリ(君にだけ特別)」
ゾクゾクゾクッと悪寒が駆け抜けた。
「御冗談でしょうファインマンさん」
「わかんないですけど、君になら出来そうですよ」
俺は周囲を見渡した。誰にも聞こえていないだろうな。場合によっては訴訟もあり得る。それを言ってしまえば、俺は既に黒岩ルイとキスしているのだが。
「場所移します?」
「ノーセンキュー」
そんなことしなくても、俺は既に角夢杏子ちゃんが推しだ。
「もっと信者増やして?」
それはむしろお前の営業努力じゃないか?
なんにしろオメガターカイトもテレビ露出が増え始め、国民的知名度を得た今となっては、センターでなくともアイドルとしては勝ち組だ。ドルオタであれば角夢杏子を認識することは普通にできる。さすがにお茶の間に浸透している黒岩ルイほどではないが、杏子ちゃんだって高名なアイドルなので。その杏子ちゃんの人気に介錯をするのは、俺としてはいささか気がひける。
「なんだろう。私を見まして、キラキラした瞳の光量が減っていると言いますか」
「いつまでも最推しは杏子だぞ」
「グッズとか買って?」
「お小遣いでいいのなら」
「私をセンターにして」
「及ぶ限り努力します」
「ダメですね。面倒くさい承認欲求地雷アイドルになっています」
それはアイドルって時点で承認欲求ありきでは?
困ったように杏子ちゃんは金色の髪を弄りだす。
「で、キスしたの?」
「してございません」
嘘をつくのには慣れている。
「はあ」
「最推しの顔見て溜息ついていますね……」
帰ったらルイの乳バンドとスキャンティを洗わねばならない。それも色も形も保ったまま。童貞にはキツイ所業。綺麗に乾いてくれれば、経過は議論しないとお墨付きをもらっているが、アイドルのブラとパンツを俺が洗うってソレ……訴えられないか?
「まさか面倒な女に付き纏われていますので?」
「
「可愛い女の子に押しかけられているとか」
「まっさかー」
「それで距離が縮まって懐かれたとか」
「マッカーサー」
「で、知らず知らずすり寄ってきてキスまで?」
怖いよー。俺の態度からそこまで読む杏子ちゃんが怖いよー。
「そんなラブコメ主人公に見えるか? 俺が?」
「まぁ顔はいいからドルオタであることを除けば結構いけると思うんですよね。これで私が佐倉くんに惚れて同棲するために押しかけたら、ラブストーリーは突然にじゃないですか?」
一理ある。
実際現実の黒岩ルイがそんな感じ。
「ほんとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおぉぉぉに! 私が推しなんですか?」
「天地神明に誓って」
だから杏子ちゃんとは絶対にキス出来ない。
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