第9話: 古内院タマモ


 オメガターカイトが世論に乗るようになったのは営業努力もあったろうが、あるいは時勢に乗れたのも大きいだろう。端的に言って、アイドルグループを作ったくらいで世間が注目するほど世の中は甘くない。おそらくだが起爆剤になったのは黒岩ルイだろう。


 可憐な容姿。熟れた肢体。歌を華麗に歌う歌唱力。


 結果オメガターカイトは、黒岩ルイの所属するグループというお題目で世間に認知されるに至った。そのことを俺は否定はしないし、むしろ凄いとさえ思う。ただ俺にとってのオメガターカイトの推薦が角夢杏子だったというだけで。


「私が君のアイドルになる♪ だから君こそ私を愛して♪」


 休日ということもあって俺は都会に出ていた。巨大な映像広告でオメガターカイトのコマーシャルをしているが、そこに映っているのはほぼ黒岩ルイだった。杏子ちゃん推しとしては複雑な気分。


 アイドルソングを歌っている巨大ビジョンのルイは、まぁ可愛かったが、そら誰だってルイは可愛いと思うだろう。こうやって都会の映像広告に映るだけでも、オメガターカイトの人気ぶりが伺えるというもの。


「でもボクの方が可愛いぞ?」


 そんなことをルイは言っていた気がする。けれども俺は杏子ちゃんの推しを変えるつもりはなかった。ただそうなると、俺は杏子ちゃんを自分のものにしたいけど、アイドルとしての都合上、俺のものにはならない。


 学校ではちょくちょく会っているが、それだって俺が中学生だった時からの付き合いだ。同中であること以外に杏子ちゃんとの接点はない。


「さて、そうすると杏子ちゃんの人気を獲得するにはどうすれば……」


 悩んでみるも答えは出ない。


「とはいえ、だ」


 要するに何かこう杏子ちゃんを世間に露呈する何かがあればいいわけで。


「つまり事務所が推せばいいわけだな」


 であれば俺がすべきこと。それは。


「事務所の爆破予告……」


 角夢杏子を推さなければ事務所を爆破する。


「ないな」


 俺が捕まって終わりだ。そんなことで警察を煩わせるのも税金の無駄だろう。


「にしても。本当にここは豊作だな」


 都会の隅っこにあるガーデニング専門店は、あらゆる植物を売っていた。俺はそれらを識別して、ちょいちょい購入する。俺の体質上、再現できる植物は結構多く、体内で飼うのならハーブの類はちょうどいい。


「リラックス効果ならラベンダーとかか? ヒノキもいいな。さすがにヒノキは売っていないだろうが」


 というか既に木材だ。風呂とかに使ったらいい感じになるのではと思っている。ほら、ヒノキ風呂とかあるし。


「ハーブ系でアロマを再現するか。とにかくオメガターカイトの躍進のためにはセンターアイドルの黒岩には常にベストでいてもらわねば困る」


 そしてベストで居続けられても困る。出来れば杏子ちゃんにセンターの座を譲ってほしい。


「まいどありー」


 で、アロマを自分で再現するために植物を幾つか買って、そのまま帰路に着く。今日の夜ご飯は親子丼なので食材を買うのは帰ってからでも出来た。そのまま巨大ビジョン広告で歌っている黒岩ルイに微妙な感覚を覚えながら電車に乗る。


 ガタンゴトンと揺られる電車の中。


「ん……」


 思ったより俺の近くで、色っぽい声が聞こえた。例えるなら、男にセクハラされて文句を言えない乙女のような……というかまさにそのものだった。


「…………」


 頬を赤らめて耐えている女子と、その女子の尻を触っているおっさんと。おっさんの方も一種のハイになっているのか。目がギラギラと輝いている。我慢している乙女と、その乙女に痴漢するサラリーマン。電車の中で、ある種特有の環境が創り出す聖域というか。


 言い訳の余地なく尻を掴んでいるおっさんは、おそらくだが自分が何をしているのか自覚していない。正確にわかっているのだろうが、その法的立ち位置を忘却しているのだろう。


 しかし気持ちは分からないじゃない。俺の隣に立っている乙女は見るからに美少女で、ついでに胸も尻も大きい。グラビアアイドルにでもなれば一瞬で人気を獲得するだろう美少女。ボインも大きければ尻も安産型という男から見れば垂涎の的だろう。俺も何も思わないわけもなく。


「はいそこまで」


 仕方ないので、仲裁に入る。


 ポンポンとおっさんの肩を叩く。


「冷静に考えろ。ここで警察のお世話になるのは、サラリーマンの退職金と引き換えにしていいものか?」


 言ってしまえばそれだけ。ここで一時のテンションで身を亡ぼすにはサラリーマンの退職金は大きすぎる。その事に思い至ったおっさんは痴漢を取りやめて、しかし謝ってしまえば痴漢を肯定したことになるという微妙な立場で、次の駅で降りて行った。おそらく目的の駅ではないが、このまま乗っていれば俺から通報されると思ったのだろう。否定はしないが。


「大丈夫ですか?」


 まぁこのまま俺と一緒にいても、それはそれで問題だろう。何せ痴漢されたところを見られたのだ。女子側の羞恥の感情は振り切れているはず。どうせ都会の電車なんて十分もあれば同じダイヤが来る。であれば、俺も離れた方がいい。


 というか、ここで関わってもマイナスだろう。


 相手が問題だ。


 巨乳で安産型だという女子の魅力にあふれ、ついでに俺は彼女を知っていた。


「これからは電車に乗るときはお気をつけなすって」


 そのまま電車を降りようとすると、相手が俺の服の裾を引っ張った。振り切ることも出来たが、そこまで冷酷にもなれず。


「えーと」


「…………ありがとう……ございます」


「まぁ痴漢してる方が悪いから。助けたのは偶然だ」


「…………お礼を」


「いや。この後用事あるでしょ?」


 俺にはないが、相手にはある。


「…………どうして?」


「古内院タマモとなれば知らない方がおかしいと思う」


 オメガターカイトの人気アイドル。センターこそ黒岩ルイだが、それだけで人気の度合いが図れるわけでもない。


「…………オメガターカイトの」


「ファンですよ。電車で移動してるってことは、今日はグループで何かあるのでは?」


「…………肯定」


「ではそっちを優先してください」


「…………でもお礼」


「気にしなくていいですから。俺の推しじゃありませんし」


 俺の推しは角夢杏子ちゃんだ。


「…………せめて……お名前を」


「佐倉マアジ。覚えなくてもいいけどね」


 よく考えると、俺は冷静じゃなかった。本気で無関係を築くなら偽名を使うべきだったのだ。


「…………佐倉……マアジ」


「偽名だけどね」


 最後の悪あがきも、効果的とはそれは言えないわけで。

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