第8話:ペパーミントの魔法使い
「おはよーだぞー。ふわー」
とある休日の朝。今日も今日とて俺の居城にあっさりと現れた黒岩ルイは、眠気眼をこすってコーヒーを飲み始める。やはり芸能界に携わっているためか。コーヒーをブラックで飲める逸材だった。
昨夜はあまり眠れなかったのか。どうやら寝足りないらしい。
「コーヒーうまうま」
で、俺の淹れたコーヒーを飲んで、目を覚まし始める。
「ほい。朝飯だ。噛んで目を覚ませ」
俺が差し出したのはトーストとスクランブルエッグ。それからサラダとコーンスープ。あんまり朝から肉は食いたくない俺の意向が含まれている。
「いただきまーす」
で、モグモグと食べるルイ。
「美味い」
そりゃよかった。
「本当にお金いらないぞ? ボクとしてはサブスク契約してもいいくらいだぞ」
「金は困ってない。正直な話、潜在資金云々で言えばお前より持ってるくらいだ」
「このブルジョアジー」
眠気眼で俺を見て、けれどもそれ以上は何も言わない。
「お、知ってるアニソン」
で、俺はいつもの通りにテレビを見ながら、朝食を食べる。トーストをシャクリ。スープをゴクリ。
テレビに映っている黒岩ルイは可愛らしい服を着て、アニソンをキャピキャピ歌っていた。こういう映像を見るとコイツもアイドルなんだなと思えるが。その実在の人物は俺の朝飯を食べながらフラフラと頭を振っていた。
仕方ない。少しだけ刺激するか。
俺は自分の身体をちょっとだけ作り変える。
「んー? いい匂いだぞ。ナニコレ?」
「ペパーミントの香りだ。少しは目ぇ覚めたか?」
「芳香剤?」
「似たようなもんだな」
「どこに保持していたので? ボク見つけられなかったけど」
「テメェ……」
「いや。マアジが保有しているエロ本がどういうジャンルなのか気になってしまい……」
「全部パソコンに入ってるから実物はねーんだよ」
「パスワードは?」
言うわけないだろ。
「でもいい匂い。どこから匂ってくるぞ?」
端的に言って俺から。
「むぎゅ」
朝食を終えると、そんな俺にルイは抱き着いた。どうやら俺の匂いが気に入ったらしい。
「目を覚ましたいならシャワーでも浴びろ」
「いい匂い。香水……にしては優しい感じ」
まぁ香水なんて使ってないしな。
「どういう原理だぞ?」
「ちょっとペパーミントを再現しただけだ」
「再現?」
言っていいものか。悩んだが特に秘密にしろとも言われてはいないんだよな。
「まぁ役に立ちそうな植物は育てているんだよ」
「でも部屋のどこにも植物なんて……」
俺に抱き着いて匂いを嗅ぐルイの絵面がヤバい。こいつはたまにアイドルである自覚を放り投げている気がする。俺を悪い意味で信用しているのかもしれないが、こっちは健全な男子であってだな。
「いい匂い。ちょっと目が覚めてきた」
「じゃあ良かったな。早く仕事に行け」
今日は確かダンスパートの練習だったはず。ニューシングルについてもダンスが付随するのは昨今のアイドルの因業だ。であれば目は覚めていた方がいい。
「シャワー浴びてくる」
「ああ、タオルは勝手に使ってくれ」
「シェイシェイ」
そうしてフラリとルイは風呂場へと向かっていった。で、俺はいつもの通り朝食の食器の洗いだ。こうなったら食洗器でも買うべきか。別に買うのは難しくないが、置き場所がな。業者によっては下見をしてくれるらしいが。
「で、マアジ」
シャワーを浴びてさっぱりした黒岩ルイは俺を見つめて。
「教えてほしいぞ」
「何を?」
ワッツ?
「ペパーミントの香りの出どころ」
「まぁ構いはせんが」
別段秘密にすることでもない。ただちょっと一般人が聞くと引いてしまう類の事情ではあるわけで。
「あと服を着ろ」
「着てるでしょ?」
俺のシャツをな。下着は着用しているので犯罪には適応されないが、もし第三者が見たらパパラッチ垂涎の的だ。
「言ってしまえばマアジにお世話になっているだけでスキャンダルではあるんだけどだぞ」
分かっているなら自重しろ。
「むぎゅ」
そのシャワー上がりのルイがまた俺に抱き着いてくる。
「おい」
「いい匂い。本当に。マアジはいい匂い」
そういう香りを選んでいるからな。
「ペパーミントは目が覚めるだろ?」
「これがマアジから香ってくるのがもうね」
「ダンスの練習行かなくていいのか? 芸能界は時間にうるさいだろ」
「大丈夫。遅れることは絶対にないから」
時間に厳格であるのはこっちとしても望ましいのだが。
「じゃあ、マアジは何でこの匂いを再現できるの?」
「夜飯の時に教えてやる」
「じゃあリクエストしていい?」
「構わんぞ」
どうせルイには食べさせるのだ。
「親子丼食べたい」
「お安い御用だ」
「えへー。じゃあそのためにボクは頑張れるぞ」
精一杯頑張ってくれ。
「次のライブ期待してるからな」
「ボクを応援してくれる?」
「いや。俺は杏子ちゃん推しだから」
「ボクも推してよー」
「お前を推す奴はいくらでもいるだろ」
「多いに越したことは無い」
「それは杏子ちゃんにも言えるからな」
「じゃあマアジをメロメロにする」
「どうやって」
「する?」
「しない」
ヤバい。コイツの挑発を平常心で捌けている自信が俺にはない。それこそ場合によってはやってしまいかねない。だから言うしかないのだ。
「時間だ。行け」
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